「自分の浅はかさを今でも強く悔いる」コロナワクチン接種後の死亡報告2,295件、医師たちのドキュメンタリーが問う“科学の本質”

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2025年11月09日 09:30  日刊SPA!

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©「ヒポクラテスの盲点」製作委員会
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類に移行して2年以上が過ぎ、自粛の日々は遠い過去になりつつある。しかし、その一方で、多くの新型コロナワクチン接種後の死亡報告があり、また、極度の倦怠感の増長や歩行不全、睡眠障害などの後遺症に悩んでいる方々が現実に多く存在することをご存知だろうか。
果たしてコロナワクチン接種の有効性や正当性はどれほどあったのだろうか――。そんな疑問に対し、医師や研究者たちが科学的な検証を試みようとする姿を追ったドキュメンタリー映画がある。その名前は『ヒポクラテスの盲点』。公開以来、満席が続出。公開館は全国で拡大し、パンフレットは公開から3日で多くの上映館で完売した。

◆日本人の平均寿命は2021年を境に短くなった

まず、目を見張るのは信じがたい事実の数々だ。コロナワクチン接種後の副反応疑い死亡報告は2,295件(2025年3月末時点)、コロナワクチン接種による体調不良等の副反応疑いの総数は37,555件、重篤例は9,325件(2024年8月4日時点)。いずれも副反応疑い報告制度に基づいて集計された厚生労働省による発表数だ。

その後も目を疑うようなデータがスクリーンに流れる。戦後下がり続けていた日本人の年齢調整死亡率(高齢化の影響を除外した統計)がコロナワクチンの接種を開始した2021年から急激に上がったと共に、戦後伸び続けていた日本人の平均寿命は2021年を境に短くなった(出所:Yuriko Hirai et.al 臨床評価2024年52巻2号「新型コロナワクチン接種後の大動脈解離:症例と厚生労働省への死亡報告,そして文献的考察」より)。

2回目の接種をした5日後に死亡した男性の遺族は「何が起こったのか知りたい」と語る。妻と生まれたばかりの6ヵ月の男児との突然の別れ。遺体の解剖後わかったのは、心筋細胞が断裂していたということだった。健康そのものだった28歳の男性の身に、なぜ、このようなことが起こるのか……。他にも接種後に寝たきりになった10代の若者たちが何人もいる。

福島雅典医師(京都大学名誉教授)をはじめコロナワクチン接種後の死亡例や後遺症の救済や治療法の開発に懸命に取り組む医師たちは、時折、涙を詰まらせてインタビューに応じていた。

医学の祖・ヒポクラテスは言った、「何よりもまず、害をなすなかれ」と。「ワクチンを打たなければならない」という雰囲気に覆われた社会に盲点はなかったのだろうか――。

この映画は重大な事実を、淡々と描いていく。しかし、なぜ、こんな大事なことを今まで自分は知らなかったのか?そんな疑問を抱えながら、企画・監督・編集を担った大西隼監督に制作の経緯や意図などを聞いた。

◆自分自身が知りたかった

――制作の経緯についてお聞かせください。

大西:大学院に進学して、博士論文ではRNAとタンパク質の相互作用について研究していたこともあり、コロナワクチンがメッセンジャーRNAを用いた新技術であることはずっと引っかかっていました。そして、ある時スマホでYoutubeを見ていたら、福島雅典医師による2023年2月の記者会見がたまたま目に入りました。コロナワクチン接種と死亡率に関するデータを厚生労働省に対して開示請求したところ、不開示とした決定を取り消すことを東京地裁に提訴した時の会見です。

無意識レベルで気になっていたことが、パチンと弾けたというか、この先生は科学と事実をもとに真実を見ようとしている、語ろうとしていると直感しました。半年ほど考えた末、福島医師に取材を申し込みました。

2023年当時も、コロナワクチン接種後の副反応疑い死亡報告はすでに2000件を超えていたのに、接種の推奨は続いていた。何が起こっているのかを知りたいという気持ちを抑えられなかったです。本当にワクチン接種の有効性や正当性はどれほどあったのだろうか、自分の体にとってはどうだったのかと…。それを知るための一番の近道が、福島医師の肩越しにカメラを回すことでした。

そして、取材を始めてからは、福島医師の医師・科学者としての矜持や責任感、憤りや感情の部分も含めて、人間的な厚みに圧倒されました。

◆“反ワク”という言葉が遠ざけてしまうもの

――福島医師は、客観的な事実をもとに検証する姿勢を貫いています。ワクチン接種には、そもそもリスクが伴うということを前提に医師は行動すべきだと、著書『科学という名の信仰 新型コロナ「ワクチン」政策を問う』(岩波書店)でも説いていますね。そして“反ワク”という言葉が議論を止め、科学的な検証を妨げてしまうともはっきりおっしゃっています。

大西:コロナワクチンが善なのか悪なのか。この作品で二項対立的にジャッジしようという考えは、全くありません。実際、この問題に取り組む医師や研究者の方々において、全く同じ見解の人はいないと思います。

「はい、これが答えです」というような絶対普遍の正解は、科学ではありません。反証されることに対して開かれていることこそが科学の本質であり、それはコロナワクチンにおいても変わらないでしょう。だからこそ、僕にとっては虚心坦懐に事実を記録し続けることが大切です。そして、医師や研究者の方々は専門的な見地からさまざまなデータを検証して論文を書かれています。

立場や考えが違っても議論をし続けるべきなのですが、それを妨げる象徴的な言葉が「反ワク」だと思います。本当に危険な言葉です。言葉自体にネガティブなニュアンスを含む、強烈なレッテルではないでしょうか。

哲学者のヴィトゲンシュタインは「私の言葉の限界が私の世界の限界だ」と言いましたが、「反ワク」という言葉は、その先の検証や議論を完全に閉ざしてしまいます。

ある日の撮影現場で、福島医師や他の医師らが「反ワク」という言葉についてざっくばらんに話し合っているのを見ながら、「あぁこういう場面を撮るために取材をスタートしたのだ」という気持ちになりました。多くの人たちには聞こえて来ない会話ですよね。

◆疑問を感じつつも流されて「打った」

――そんな大西監督も少し疑問を持ちつつも、コロナワクチンを接種したとのことでした。

大西:安全性について多少の疑念を持ち、自分なりに論文を読んだり調べたりしましたが、今思えば十分ではなかった。政府や厚労省、専門家の意見から、「まあ大丈夫だろう」と軽々しく信じたと思います。

自分は会社の職域接種のきっかけを作り、接種の取りまとめ役を担いました。今考えると恐ろしいと思うのは、心の中で1%おかしいと思っていても、現実に流されて自分に対しても他者に対してもブレーキを踏めなくなるということです。同調圧力に負けたというのか、思考停止になってしまったというか…。

当時は会社の取締役の1人だったこともあり、「コロナ禍で経営はどうなってしまうのか」という切迫感がありました。早くロケを開始しないと、という気持ちからコロナワクチンが救世主に見えていた気がします。「自分の身体にとって、同僚の誰かの身体にとってどうか」と考え抜くのではなく、「会社のために、社会のために」と、言わば主語が大きくなっていきました。多くの人がワクチン接種をするほど感染症は収まるはずだと、盲目的に自分の思考が傾いていった感じを思い出します。自分の浅はかさを、今でも強く悔いる気持ちがあります。

◆専門家の予測は

――例えば、年代によっては未接種者より接種者の方が陽性率が高いという統計など、コロナワクチンの感染予防効果が疑われるような客観的なデータが映画中に登場しますが、これは専門家であれば予測可能だったことなのでしょうか。

大西:「コロナワクチンを打った方が感染しやすくなる」ということも、完全に実証されたわけではありません。それが包括的に検証されていないことこそが、最大の問題の一つだと思います。「接種するほどに感染しやすくなる」ことを危惧していた医師や研究者は、確かにいましたが少数でした。

ただ、コロナウイルスはどんどん変異していくので「さほど効かないのではないか」、「ワクチンでウイルスに対抗してもいたちごっこになる」と予測した専門家はもっと多くいたはずだと思います。

一方で「僕はこう予測しますのでワクチン接種を止めて下さい」と言って止まるものではありません。接種事業は当時の菅(義偉)政権によって押し進められた国策だったからです。「接種後の死亡報告」が募って来て初めて、その事実をもとにコロナワクチンの安全性についての疑問を表明することができます。

国民全員を対象に、接種事業が一気に進んだことを振り返ると、多くの人たちが思考停止に陥っていた異常事態であったことは間違い無いと思います。やはり僕は、若年層全般への接種推奨に正当性はなかったと、今は考えています。

◆利益が不利益を上回れば接種

――劇中で「利益が不利益を上回れば接種を実施」ということを武見敬三元厚生労働省大臣が言っています。一方、福島医師は著書で「リスク(不利益)/ベネフィット(利益)」については「疾患の特性・病気・病態・予後・年齢などをふまえて個々の患者さんごとに決定する」、「因果関係論でリスクを切り捨てない」、「厚生労働省と連携を取りながらそれぞれの立場で薬害防止のために議論する」等の主張をしていますが、これら緻密な検証ができない理由について取材を通して感じたことがあったのでしょうか。

大西:例えば今回、尾身茂さんをはじめとするパンデミックに対する専門家委員会が組成されましたが、その後の本や資料を読むと、コロナ対策の各論点について委員会の中でも様々な意見があり、議論があったことがわかります。

しかし、方針を最初に決めるのは政府です。政府が「右だ」と決定したとして、それに対して専門家委員会が「左だ」と言い続けることは難しい。それが権力、国家運営の現実だと思います。不測の事態では、科学的な正しさを導き出すことだけでも難しい上に、それを臨機応変に政策に反映させることの困難や限界は、今後の大きな課題だと思います。

◆「感染・発症」予防効果から「重症化」予防効果へ

――厚生労働省発表のワクチン接種の根拠は2022年の夏あたりから、「感染・発症予防効果」から「重症化予防効果」にシフトしています。

大西:2021年末に2回目接種が終わる頃には1000件を超える死亡報告がすでにありました。ただ同時に、PCR検査による陽性者数が接種者において減るなど、2回目摂取までの時点では「コロナワクチンが効いている」可能性を示すデータも、厚労省は得ていたと考えられます。

ただし、その後に続くブースター接種、つまり3回目接種以降はコロナワクチンを打ったところで、そんなに感染予防効果はないことが段々と明らかになってきました。その頃から「入院予防効果」や「重症化予防効果」に重心が移った。つまり、「感染予防」「発症予防」の効果について明言せずとも、「重症化予防」「入院予防」効果はあると。24年の9月時点でも厚労大臣は明言していて、今でもその姿勢は崩していません。重症化予防は、コロナワクチンの有効性の「最後の砦」だと感じます。

――定期的に厚労大臣の会見を聞いている記者の人たちは政府の発表の表現が変わったことには気が付かなかったのでしょうか。

大西:批判的意識、懐疑の精神を持って記者会見を取材している記者は限られるのかもしれません。

フリーランスの記者たちは、毎回、会見で鋭い問いを投げかけており、その様子はYoutubeなどでは見ることができますが、それがテレビや新聞で報じられることは、ほとんど全く無いというのが現状です。

「なぜ大手メディアがワクチンの負の側面に取り上げないのか」については、現実にはとても複雑なレイヤーがいくつもあると思いますが、検証が必要です。映画内でも触れられていますが、報道機関におけるヒエラルキーが障害になっているということは確実なのではないでしょうか。現場の記者が何か異変に気づいても、ニュースとして世の中に伝えられるまでには、いくつかの段階を超えなければなりません。一度二度跳ね返されるうちに、「どうせ書いても通らない。そんな空気が醸成されていった」とは実際にある記者から聞いた言葉です。

組織の上層部にとっても、「国が進めている方針が正しい」としておく方が、波風が立たないし、経営リスクも小さいと感じるのではないでしょうか。

◆医師を突き動かすもの

――福島医師は弁護士や他の研究者と協力しながら、コロナワクチン問題の解決について精力的に取り組んでいます。先日は、福島医師らが提訴したコロナワクチン購入契約書の開示請求に対する厚労省の対応について、第一審の訴訟で原告勝訴の判決が出ました。東京地裁は厚労省の不開示を取り消す判断をしたということですね。福島医師らは、他にも政府が保有している各種ビッグデータについて情報公開請求を行い、不開示決定のあったものについては開示を求めて行政訴訟を起こしています。この原動力は何だと思いますか。

大西:医師・科学者としての矜持、責任感に尽きると思います。福島医師はとても人間味のあふれる方です。不条理に対して激しく憤ることもあれば、誰かの痛みに対して温かい共感を示されることもある。大切な家族をワクチン接種後に亡くされた遺族の悲しみに直に接されたことも大きいと思いますが、結局は、ご自分の信念に対して嘘をつけないのでしょう。

また、福島医師は長年日本の医学研究におけるリーダーの一人として広範な領域で数々の実績を残されてきた。日本人の健康に貢献してきたという、自負があるのだろうと想像します。ところが、2021年以降の平均寿命の低下を知った。福島医師は、コロナワクチンを盲信すべきでないと、当初からマスコミや内閣補佐官、前任の厚労大臣にも直接電話をして警告していたといいますが、何も反応はなかった。福島医師も愕然としたはずです。だから、医療イノベーション支援という本業の傍で、ワクチン問題の解決に自ら動くしかないと考えられたのだと思います。

現役の大学教授ではないし、どこかの組織に属しているわけでもない。だからこそ、何にも忖度せず自由に主張できるのではないでしょうか。

――最後に、メッセージをお願いします。

大西:映画の公開後、受け止め切れないほどの評価や感想をいただいており、正直驚いています。特に、コロナワクチンについての0か100かの答えではなく、考えるきっかけのための映画を作ったつもりだったので、そのように多くの方々に受け止められているのを見ると、作るべきものを作れたのかもしれないと、少しホッとしています。

映画のパンフレットにレビューのご寄稿を頂いた國部克彦神戸大学教授の著書『ワクチンの境界』(アメージング出版)では、「何かを軽々しく信じること自体が悪である」と論考されています。

何か新しいことに直面した時、立ち止まって考えてみること。唯一の正解を見つけて一足飛びに信じるのではなく、常に現実を疑う目をもつこと。その重要性は何度でも繰り返して語られるべきだと思います。

この映画はフラットな立場から、事実をもとに、コロナワクチンをめぐる現実の複雑さを描きました。ぜひ多くの方々にご覧いただくことを願っています。<取材・文/熊野雅恵>

【熊野雅恵】
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

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