公私ともにいろいろあったフェルナンド・アロンソ
2026年のF1日本GPは、アンドレア・キミ・アントネッリ(メルセデス)の勝利で幕を閉じた。その一方で、F1ジャーナリストの尾張正博氏の現場取材活動も、これで一旦終了となる。今回は、尾張氏がこれまでお世話になった方々を訪問し記念撮影をしたり、かつての出来事について振り返りながらまとめた模様をお届けします。
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現場取材最終日。この日はこれまでお世話になった方々に少しでも感謝することにした。まず、フジテレビの解説で鈴鹿を訪れていた片山右京。筆者が1993年の南アフリカGPでF1の取材をスタートさせたとき、現役の日本人F1ドライバーのひとりだった。毎日、立ち話で取材に応じていただきありがとうございました。「どうしてやめるの?」と尋ねられ、理由を答えると、「いや〜、海外へ取材に行くのは大変な時代になったよね」と労ってくれた。本当にありがとうございました。
パドックを歩いていたら、「尾張さん」と呼びかけられたので振り返ると、小林可夢偉だった。「オートスポーツwebで記事を読みました。500戦記念パス、見せてください」と言われたので、ちょっとだけ自慢してしまった。「500戦のなかで忘れられないレースは?」と聞かれたので、「2009年のアブダビGP」と答えると、「あれは、僕にとっても忘れられないレースでした」と、しばし昔話に花を咲かせました。世界に通用する日本人ドライバーを育ててください。
フェルナンド・アロンソ(アストンマーティン)はフェラーリ時代から家族のお祝い事にスピーチをもらったり、渋谷のハチ公事件では公衆の前に出られなくなったアロンソの代わりに私がスピーチしたり、いろいろとお世話されたり、したり、仕事以上に深い関係を築いた仲だった。「お子さん、お誕生、おめでとう」と言うと、「ありがとう」と言って握手した後、「じつはこのレースでひとまず現場取材を卒業するんだ」と切り出すと、「マジ!?」と。「でも、日本からあなたとホンダのレースはずっと見て伝えるから」と言うと、「競争力を発揮するまで、まだ少し時間がかかるかもしれないけど、頑張るよ」と誓ってくれた。
ピエール・ガスリー(アルピーヌ)も、取材を通して、仲良くなったドライバーのひとり。「ユウキのこと、よろしくね」と頼むと、「大丈夫、復帰できるよう、ケツを叩いておくから」とお兄さん的回答。ガスリーのデビューレースとなった2017年マレーシアGPのとき、ガスリーが囲み取材の後、日本人の私に「これ、今日ファンにもらったんだけど、何?」と尋ねられたので、「これはガスター10といって、日本の胃腸薬。ガスリーとガスターが似ていて、10はあなたのカーナンバーだから、いわゆるダジャレだね」と言って、一緒に笑ったものだった。
マティア・ビノットも、この機会にきちんと挨拶しておきたかった人のひとり。2022年のオランダGP後のフェラーリの会見でビノットが、レース中にマシンにトラブルが生じ、スローダウンしながらコース脇にクルマを止めた角田裕毅(アルファタウリ)のことを、「ツナミ(津波)」と表現。直後に行われたイタリアGPの国際自動車連盟(FIA)の公式会見で、筆者はビノットに次のように謝罪を要求したことがあった。
「オランダGPのレース後に、リタイアした角田のことをあなたは『津波』と表現しました。それは、ある意味ジョークのつもりで言ったのでしょうが、日本には津波の被害を受けて苦しんでいる人がいまでも大勢います。その方々に対して、謝罪する気持ちはありますか?」
するとビノットは次のように謝罪を受け入れた。
「心から謝罪したい。その言葉を使用したことは、完全に私の間違いだった。その言葉を使用することで、被害者の方々を傷つけるつもりはまったくなかったが、間違った使い方をしてしまったことは事実であり、謝罪したい。それから、ツノダについても謝罪したい。彼は素晴らしいドライバーで、素晴らしい人間だ。ちょっとした冗談のつもりで言ったのだが、それは悪い冗談だった。本当に申し訳ない。私は日本のみなさんと角田とこれまでも、そしてこれからも良い関係を築きたいと思っている。本当に申し訳ない」
それから4年、私はビノットがどう思っているのか、知りたかった。
「あなたの母国グランプリであんな質問をした私のことを恨んでいますか?」
ビノットはこう言った。
「あなたは日本のメディアとして、正しい質問をした。間違っていたのは私だ。だから、また取材に来ることがあったら、ぜひ連絡してほしい」
アウディの今後の活躍を祈りたい。
国際自動車連盟(FIA)の広報スタッフ。左が広報部長のロマン・デ・ロウで、右がアントン・テルゼン。日本人の若手がフリー走行を走らせるときに、筆者がピットレーンで取材を許可されるピットレーンタバードを獲得できる確率が高いのは、偶然ではない。2021年のFIAの年間表彰式では申請を締め切っていたにもかかわらず、参加を許可してくれた。欧米人が多いなかで日本人であることの不利を感じることが少なかったのも、ここまでやってこられた理由だ。本当に感謝したい。
そのFIA広報に許可を得て、日曜日にFIA会見場で記念撮影した。今回の決断を下す前、ひとつだけ気がかりだったのは、筆者が現場取材をやめることで日本人記者が皆無になること。しかし、昨年、ふたりの仲間が加わった。左が小野智也くんで、右が吉田知弘くん。今後の原稿の依頼はふたりを優先してください。
X JAPANのYOSHIKIさんの国歌演奏も素晴らしかった。
現場取材のひとまず最後のレースを制したのは、アンドレア・キミ・アントネッリ(メルセデス)だった。普段、滅多にサインを求めたりしないが、最後にパスにサインしてもらう相手はアントネッリしかいないとサインをお願いした。
これで33年間の取材活動もひとまず終了。仕事を終えて、メディアセンターを出るのはもちろん、筆者が最後。その筆者を待ち続けてくれた鈴鹿をはじめ、世界中のスタッフのみなさん、本当にお世話になりました。これからはもう少し早く帰れることを願っています。そして、この原稿を最後まで読んでくれた読者のみなさんにも、お礼を申し上げます。
[オートスポーツweb 2026年03月30日]