『auセルモスープラ(2001年)』未勝利で手にしたスープラ勢2度目の戴冠【忘れがたき銘車たち】

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2026年04月01日 17:30  AUTOSPORT web

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2001年の全日本GT選手権第3戦スポーツランドSUGOで、3位チェッカーを受けたauセルモスープラ。竹内浩典と立川祐路がステアリングを握った。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2001年の全日本GT選手権(JGTC) GT500クラスを戦った『auセルモスープラ』です。

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 JGTCの本格的スタート年である1994年のシーズン途中にレースデビュー。翌1995年には初優勝をし、そのさらに2年後である1997年になるとGT500クラスにおいて初タイトルを獲得をしたクルマ。それはJZA80型トヨタ・スープラだ。

 スープラは1997年の初戴冠して以降、3年間は次なる栄冠を手にできずにいた。だが2001年、そのチャンスが再び到来したスープラは、JGTCで2度目のチャンピオンに輝いた。その王座奪還を成し遂げたのが『auセルモスープラ』である。

 2000年、スープラはドライバーズランキング最上位5位、わずか1勝に終わり苦戦。そのため2001年に向けて大きく改良が施されることになる。改良の主眼におかれたのは軽量化と低重心化だった。スープラはロールケージの形状を見直すことでそれらを実現する。

 そして、2000年まで吸気制限用のリストリクター径を車重“1150kg以上”の規定に準じたものを選択していたスープラは、軽量化に伴って“1100kg以上”のリストリクター径に変更。もちろんこれで出力的には厳しくなるものの、それでもクルマを軽くすることを選んだのである。ただエンジンに関しても燃費、レスポンスの向上を目的としたモディファイを実施し、ポテンシャルアップを果たしていた。

 いざ2001年シーズンが始まると、スープラは開幕戦のTIサーキット英田ラウンドこそ低迷したものの、富士スピードウェイでの第2戦でエッソウルトラフロー、第3戦スポーツランドSUGOではマツキヨZENTトムスが勝利を挙げ、シーズン前半にして2勝をマークする幸先のよいスタートを切った。

 一方、この年の王者となるauセルモは優勝こそないものの、第2戦富士から2位、3位、4位、2位、6位と最終戦を迎えるまでにコンスタントに上位入賞を積み上げており、MINEサーキットで開催された最終戦へはランキングトップで挑むこととなった。

 だがそのMINEラウンドの決勝レース、auセルモはオープニングラップでライバル車に追突されて、最後尾まで転落してしまい、これで王座獲得争いは万事休す、かと思われた。

 しかし、同ポイントでランキング2位につけていたホンダNSX勢のARTAとロックタイト無限が接触し、結果ARTAがリタイア。さらにロックタイト無限もその後にミッショントラブルにより後退、ニッサン勢でチャンピオンの可能性を残していたザナヴィヒロトGT-Rも中団に沈んでしまい、結局はノーポイントで完走したauセルモの手に王座が転がり込んだのだ。

 チームチャンピオンこそニスモの手に渡ったものの、auセルモをドライブした竹内浩典と立川祐路が、未勝利ながらシーズンを通して安定した強さを見せたことにより、スープラに4年ぶりのドライバーズタイトルをもたらしたのであった。

[オートスポーツweb 2026年04月01日]

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