フォーミュラ・ニッサン育ちのアロンソ。四輪経験26戦でF1へ【F1ドライバーの履歴書】

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2026年04月02日 12:00  AUTOSPORT web

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1999年ユーロオープン・モビスター・バイ・ニッサンに参戦するフェルナンド・アロンソ(カンポス・レーシング)。この年までレーシングカートにも参戦していた。
 世界最高峰の四輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどのようなキャリアを積んできたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる以前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題し全22回のシリーズでお届けする。

 第1回目に登場するのは、2026年シーズン最年長の現在44歳、2001年にF1デビューを飾ったフェルナンド・アロンソだ。

 1981年7月29日、スペイン北部アストゥリアス州の州都オビエドで誕生したアロンソ。レースキャリアの原点は微笑ましいエピソードに始まる。父ホセ・ルイス・アロンソはカート愛好家であり、フェルナンドの5歳年上の姉ロレーナのために自作のゴーカートを製作した。

 ただ、ロレーナはカートに興味を示さない。一方で、3歳のフェルナンド少年がカートに夢中になった。父は彼のためにペダルを改造し(当然ながらロレーナのサイズでは足が届かない)、存分にカートを楽しませた。

 5歳でカートライセンスを取得しレース活動を開始すると、1988年に7歳で公式戦初優勝。地方戦を総なめにすると1991年にはスペイン・カート選手権のカデット部門2位となる。

 そして1992年、アロンソは11歳で本来はカデットクラスに出走する年齢だったが、前年の成績が評価され1992年よりカート連盟の特認を得て対象年齢が上のジュニアクラスを戦った。そして1993〜1995年には同ジュニア部門で連続チャンピオンに輝いている。

 レーシングカートで華々しい活躍を見せたアロンソ。しかし、決して裕福な家庭ではなかった。国際レースにステップアップしてからは、カデットクラスを戦う7〜8歳のさらに若いドライバーのメカニックを務めたという。アロンソは当時14歳。自分で稼いだお金を自分のレースに費やしていた。

 さて、足早に1998年までのレーシングカートキャリアを記してきた。ここまで読んで既にお気づきの読者も多いかと思う。アロンソは1999年まで世界選手権、欧州選手権とカートの最前線を戦い、同年初めて四輪レースに出場する。そして、2001年よりミナルディからF1デビューを果たす。

 つまり、アロンソは1999年と2000年の2シーズンしかミドルフォーミュラでのレースを経験していない。レース数にするとわずか26レースだ。さらに言えば、アロンソは2000年の段階で既にミナルディのリザーブドライバーを務めていた。そこに至るまでの流れを見てみよう。

 1999年、アロンソがレーシングカートから最初にステップアップしたのはユーロオープン・モビスター・バイ・ニッサンというカテゴリーだった(通称:フォーミュラ・ニッサン。1999年はスペインの通信大手テレフォニカ傘下の携帯会社モビスターが選手権タイトルパートナーだった。タイトルパートナーが変わるたびに選手権名称が変わるため、便宜上本記事ではフォーミュラ・ニッサンで統一する)。

 このシリーズは1991年から1997年まで開催されたスペイン・フォーミュラ・ルノーが前身だったこともあり、スペインチーム、スペイン語圏出身のドライバーが多数参戦していた。

 フォーミュラ・ニッサンは、イタリアのコローニが製作したシャシー『CN1/C』に、ニッサンの2リッター直列4気筒エンジン『SR20(250bhp/8000rpm 237Nm/6750rpm)』を搭載するというワンメイク車両パッケージだった。

 455kgの軽量モノコックシャシーに最大250馬力というエンジンを積み、モンツァでは純粋な馬力では2倍近い差があった国際F3000マシンと遜色ないタイムをたたき出し注目を集めた。そんなフォーミュラ・ニッサンに、F1、国際F3000参戦を視野に入れたドライバーが世界各地から参戦するようになるのは自然な流れだった。

 フォーミュラ・ニッサンでアロンソを起用したのは、スペイン人元F1ドライバーのエイドリアン・カンポス率いるカンポス・レーシング。同チームは1998年にマルク・ジェネとアントニオ・ガルシアを起用し、チーム設立1年目ながらフォーミュラ・ニッサンでドライバーズ(ジェネ)&チームタイトルを獲得していた。

 1999年に加入したアロンソのチームメイトは同じくスペイン出身でチーム2年目のガルシア。チャンピオンチームのエースの印であるカーナンバー1はガルシアのものだったが、彼はカーナンバー2を付けるシングルシーター1年目のチームメイトに大きく差をつけられるシーズンを過ごすことに。


■カンポス「フェルナンド、2番手に42秒差をつけているぞ」

 1999年、フォーミュラ・ニッサンには16チーム36名のドライバーが参戦した(スポット参戦含む)。8大会16レースが開催されるなか、アロンソはリタイア6回、DNS(未出走)1回となるも、ポールポジション9回、優勝6回、2位2回、7位1回と、浮き沈みの多いシーズンを過ごし、ランキング2位に7点差でシリーズタイトルを獲得した。

 アロンソのオフィシャルサイト内で生前エイドリアン・カンポスは、以下のように当時を振り返った。

「フェルナンドは私に、レース全体を通して限界まで攻めることを学ばなければならないと言い『それができるようになるまで諦めない』と言った。(開幕の舞台)アルバセテのレース2で彼は初優勝を飾る直前、私は無線で彼に『フェルナンド、2番手に42秒差をつけているぞ、スピードを落としてくれ』と言った。すると彼は『ブレーキパッドがすり減っている。これ以上スピードを落とすことはできない』と言ったんだ」

 最終的にアロンソは10秒のリードを守って開幕大会アルバセテのレース2でフォーミュラ・ニッサン初優勝を飾った。

 1999年まではレーシングカート参戦も継続していたアロンソ。フォーミュラ・ニッサンのタイトル獲得で、1999年12月にはミナルディのテストに参加しF1を初ドライブしている(マシンは1999年のミナルディM01/当時のミナルディにはジェネが加入しており、ジェネが持ち込んだテレフォニカのスポンサードを受けていた)。また、2000年はミナルディのリザーブのポジションを得ることに。一気にF1昇格が現実味を帯びたこともあってか、アロンソは1999年でレーシングカートキャリアを終えた。

 余談だが、ジェネ(1999年ミナルディからF1デビュー)、アロンソ(2001年ミナルディからF1デビュー)の活躍もあり、創業から間もなかったカンポス・レーシングは一気に強豪レーシングチームとして名を馳せることになった。創業者エイドリアンは2021年にこの世を去ったが、現在も息子たちがチーム運営を継続し、FIA F2、FIA F3、F1アカデミーなどに参戦している。

 また、フォーミュラ・ニッサンはその後、ルノーが主催するフォーミュラ・ルノーV6ユーロカップと統合。ルノーが運営に加わり、フォーミュラ・ルノー3.5へとリブランドされた。その後、2015年を最後にルノーが同シリーズへの支援を終了し、2016年からはフォーミュラV8 3.5の名称で開催された。ただ、FIA国際自動車連盟が同シリーズをスーパーライセンスの発給条件の面で冷遇したこともあり、エントリーが激減。2017年をもってその歴史に幕を閉じた。

 2000年、アロンソはF1直下の国際F3000選手権(現在のFIA F2/GP2の前身)にステップアップを果たす。チームは前年のチームランキング4位のチーム・アストロメガ(ベルギー)、そしてテレフォニカがビッグスポンサーとしてサポートする悪くない体制だったが、シーズン序盤は苦戦。当時の国際F3000の入賞は6位までだったこともあり、10戦中6戦終了時点ではノーポイントだった。

 ただ、第7戦A1リンク(現レッドブルリンク)で6位入賞を経験すると、第9戦ハンガロリンクで2位に。そして最終戦/第10戦スパ・フランコルシャンをポール・トゥ・ウイン&ファステストラップで制し、ブルーノ・ジュンケイラ(その後北米チャンプカーで活躍)、ニコラ・ミナシアン(現IDECスポールのスポーティング・ディレクター)、マーク・ウエーバー(9勝を飾った元F1ドライバー/現オスカー・ピアストリのマネージャー)に続くドライバーズランキング4位となった。

 なお、当時についてアロンソのオフィシャルサイトは「フェラーリがフェルナンドに興味を示し、テストドライバーの役割をオファーし、口頭での合意があった。しかし、フラビオ・ブリアトーレがフェルナンドについて問い合わせたことがきっかけとなり、最終的に彼はルノーと契約。ミナルディにレンタル移籍することになった」と振り返っている。もし、この時点でアロンソがフェラーリとの契約を済ませていたら、F1の歴史は大きく変わっていただろう。

 ブリアトーレとルノーの後ろ盾を得たアロンソは、2001年F1第1戦オーストラリアGPでミナルディからF1デビューを飾った。同グランプリではキミ・ライコネンがザウバーからデビューしていた。

 ライコネンはフォーミュラ・フォードとフォーミュラ・ルノーで、合わせてシングルシーター経験23戦のみでのF1デビュー。F3、F3000は未経験だったことから、FIAやF1関係者からも批判の目が向けられていた(F1デビュー後は鎮静)。ただ、ミドルフォーミュラのレース数に関してはアロンソも26戦であり、経験レース数ではライコネンとほぼ同じだった。

 2001年のF1デビュー後のアロンソの経歴はここでは割愛する。ひとまず、2001年に19歳だった彼は、44歳となった2026年も変わらずF1のステアリングを握っている。

[オートスポーツweb 2026年04月02日]

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