シャバダバふじさん年間330本ものイベントで司会を務めたことがあるという司会者・シャバダバふじさん。アイドルやグラビアアイドルのリリースイベントをはじめ、映画やアニメなど、数々の現場でマイクを握り、現在は司会業だけで生計を立てている。
そんな彼の原点は、お笑いだった。M-1グランプリへの挑戦を経て上京し、吉本所属の芸人になるも、なかなか売れない日々。コンビ解散を機に「自分一人でできる仕事」として選んだのが司会だった。芸人としてもがいていたふじさんが、いかにして司会を仕事にしていったのか。その半生を聞いた。
◆上京してNSCに入るも「お笑いをやりに来たのか、遊びに来たんだか」
現在の肩書きは司会者だが、元々は吉本所属の芸人だった。シャバダというのは昔のコンビ名で「カンニング竹山さんみたいな感じです」と笑う。
「中学の作文でナインティナインの矢部さんのツッコミをテーマにするくらいお笑いマニアでした」
幼馴染と「ハイテク」というお笑いトリオを組み、中学の卒業式でコントを披露して大ウケ。高校3年生の時に1人抜けてしまい2人組のコンビになったが、それでもプロのお笑い芸人として売れることを目指した。
「高3の時、ちょうどM-1グランプリが始まったんです。地元・広島のNSCの予選の締切は終わってて調べたら東京はまだ間に合ったので、新幹線に乗って受けに行きました」
一次予選を通過し、再び新幹線で二次予選を受けるも残念ながら敗退したが、「達成感があった」という。そのまま上京し、念願のNSCに入学するも「ダレてしまった」とふじさんは当時を振り返る。
「色々となぁなぁになってしまったんです。お笑いをやりに来たのか、遊びに来たんだかってくらいでした。高校時代に恋愛とか青春を満喫してこなかった反動なのか、遊び呆けてしまいました」
あっという間に1年が経ち、相方と共にNSCを卒業。ここで転機が訪れる。
「コンビって恋愛と一緒なんですよね。同期で『この人と組みたい!』って強烈に思う人を見つけてしまった。僕の6歳上で、兄弟コンビを組んでいた通称お兄ちゃん。彼を口説いて、元相方に謝って、コンビを解消して結成したのが“シャバダバ”です」
その後、シャバダバとして吉本に所属したが、活動は「うんともすんとも」という状態だった。作家さんに月に1回ネタを見せる以外は、ほぼバイトをしているフリーター状態だったんだとか。
「自分のことを『お笑い芸人です!』なんて恥ずかしくてとても言えなかったですね。それで仕事がないから同期と集まって代々木公園でストリートライブをしたり、エハラマサヒロさん達と集まって『嗚呼!爆笑神』というインディーズライブをやったりしていました」
このライブでは出演者が順番でMCを担当していったそうだが、当時からふじさんの司会には定評があったそうだ。
「確かに学生時代から台本なしで場を仕切るのは得意だったので、それが活きているなぁとは思いました。でも、ライブの場数をいくら踏んでも仕事は増えない。売れた同期のビラを折りたたんだりすることもあって……すごく悔しかったです」
努力では縮まらない差にシャバダバは「辞めよう!」と吉本に退所の相談をする。所属芸人が多い吉本ではフェードアウトする芸人がほとんどだったそうだが、2人はきちんと筋を通した。その理由はーー。
「うちらは売れると思っていたし、“シャバダバ” の名前を使いたかったんです。怒られるどころか『お前らえらいな』って褒めてくれました。お世話になった作家さんは『他事務所行って売れろよ!そこで俺を使ってくれ』と言ってくれて嬉しかったです」
◆「うちらは売れる」吉本を辞めて掴んだグラドルイベントの司会
そして2人が移籍したのは、JME系列の芸能事務所だった。その直後にもらった仕事が、秋葉原ソフマップでのグラビアアイドルのリリースイベントのMC。
「元々事務所の先輩がやっていたので『試しでシャバダバにもやらせるか』と任せてくれたんです。やっぱり僕は司会が向いていたのか、お試しのはずが1社から2社に……と、どんどん増えていって。最終的にはグラビアメーカーさんが僕らのDVDを作ってくれました。ありがたいことにソフマップのイベントが満員になったんです」
さらにオーディションの話も多く、人気番組「あらびき団」や「エンタの神様」にも出演する。ふじさんは、順調な芸能活動のきっかけになったのは「K地雄輔さん」と語る。いったい、どういうことか?
「シャバダバのマネージャーが、K地雄輔さんも担当していたんです。僕、昔は今より痩せてて、K地雄輔さんに似ているって言われてたんです。だから、ワザとK地雄輔さんと同じ金髪にしたら、K地雄輔さんのファンにめっちゃ叩かれたんですが(笑)、僕的には『しめしめ』って感じで。狙い通り、K地雄輔さんに気にかけてもらって、付き人みたいなこともさせていただいてました」
なんと、何千人規模のライブのMCを「シャバダバに任せる」と言ってくれたんだとか。
「グラドルのリリースイベントで鍛えられていましたから『慣れてるな!』って褒めてもらえました。K地雄輔さん公認をいただき、2年連続で司会をさせていただきました。ただ、振り返れば……これがコンビとしてのピークでした」
◆コンビ解散、“一人でできる仕事”が司会だった
コロナ禍に入り、仕事は激減。そんな中、めちゃイケの新メンバーオーディションをコンビで受けたが、ふじさんは「思い出作り」だったのに対し、相方は「落ちたらお笑いを止める」と心に決めていたそうだ。
「相方は結婚していたんです。もうお笑いをやるか離婚するかっていうところまで思い詰めてたみたいで。奥さんはお笑いをやることを応援してくれていたけど、正直、食えてはいなかった。すっごくいい奥さんだったから、僕は『奥さんを取りなよ』って言いました。僕も相方と一緒に売れたかったし、他に誰かと組むっていうイメージがなかったから、もう芸人を辞めるつもりでした」
だが、その意志を伝えると相方は突然泣き出し「お前には才能があるから続けてほしい」と懇願してきたという。
「1週間悩みました。でも、1週間経っても何も思いつきませんでした。ただ、『後悔だけはしたくない』って、すっごく思った。僕がシャバダバとして“一人でできる仕事”って考えたら、“司会” なんです。二度とコンビは組みたくないけど、自分達の名前は残したい。そうだ、“シャバダバふじ” として、司会でどこまでいけるかやってみよう、と思ったんです」
ピンになってからは「MC芸人」と名乗ることもあったが、現在は「芸人はやめています」とのことで、肩書きは完全に「司会」1本になった。もう10年以上、アルバイトをせずに、司会だけの収入で生きている。
「MCを始めた当初は本当にお金がなかったです。事務所の配慮でイベントのギャラは満額もらっていましたが、それでも貧乏だった。基本は取っ払いだったんですが『今回は振り込むね』ということが一回だけあって、秋葉原から自宅までの電車賃がなくて歩いて帰りました(笑)。それが今ではありがたいことにバイトもせず、好きな仕事で暮らしていけている。感慨深いです」
◆“イベントの主役を相方だと思って接する”司会者として10年以上
現在はメインである司会業に加え、大好きなディズニー関連のYouTubeチャンネルの運営もしているそうだ。グラドルのイベントのイメージが強いが、ディズニーの映画の先行上映会の司会や、ワンピースやドラゴンボールの公式番組の司会をしているという。
「ルフィの声で『シャバダバ』と聞けたのは痺れましたねぇ。僕がこの司会という仕事に出会えたのは、元相方のお兄ちゃんのおかげ。彼を目立たせたくて、彼の面白さをみんなに伝えたくて……その一心で頑張ってきた。司会をするときは、イベントの主役の方を自分の相方だと思うようにしているんです。司会は縁の下の力持ちですから」
芸人として思うように結果が出なかった時代も、コンビ解散も、決して無駄ではなかった。相方を目立たせ、その面白さを伝えようと磨いてきた力が、いつしかふじさん自身の武器になっていた。
年間330本ものイベントでマイクを握り、今では10年以上、司会一本で生活するシャバダバふじさん。隣に立つ相手は変わっても、「その人を輝かせる」という姿勢は、芸人時代から変わっていないーー。
<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/長谷英史>
【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720