屋鋪要は江川卓のボールを「ズドーン」と表現 「重いボールが浮き上がるように伸びてくる。信じられない」

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2024年09月13日 17:40  webスポルティーバ

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連載 怪物・江川卓伝〜屋鋪要が放った26安打の記憶(前編)
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 1980年代、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」、長江健次、山口良一、西山浩司の「イモ欽トリオ」が芸能界を席巻したのと同じ頃、プロ野球界でも伝説のトリオが誕生した。大洋(現・DeNA)の「スーパーカートリオ」だ。

 1985年に近藤貞雄が長らく低迷している大洋の監督に就任すると、まず現状をなんとか打開すべきだと考えた。そこで高木豊、加藤博一、屋鋪要の俊足プレーヤーを1番から3番に据え「スーパーカートリオ」と命名し、マスコミに注目させることでチームの活性化を図った。

 現役時代と変わらずスリムな体型に加え、トレードマークの口髭をたくわえた屋鋪がゆっくりと口を開く。

【打ってない記憶しかない】

「僕を3番に抜擢って、近藤さんはえらい思いきったことをしたなと思いましたけどね(笑)。85年はバッティングの理論が少しわかりかけてきた頃だったので、キャリアハイと言える成績(打率.304、15本塁打、78打点)を残せたのかなと思っています。3番バッターだからといって、ホームランを意識したことはないです。

 ご存知だと思いますが、当時は球団ごとに使用球が違ったんです。あの頃、大洋は投手力が弱いということで、飛ばないボールを使っていたんですよ。それでホームラン15本はまあまあじゃないですか。ホームランバッターではないから、狙うことはなかったけどね」

 そして巨人・江川卓との対戦成績(95打数26安打、打率.268、2本塁打、10打点)を告げると、「そんなに打っているんですか? 全然打ってない記憶しかないです」と、屋鋪は驚きの表情で答えた。

「ホームランは1本しか覚えてないな。打率が.268ってことは、僕の生涯打率(.269)とほぼ一緒。江川さんとの対戦成績は、ほんと1割台だと思っていました」

 屋鋪はその場で、江川との対戦成績の数字をノートにきちんと記した。この好奇心たっぷりの姿勢こそが、18年現役生活を続けられた秘訣のように思えた。さらに趣味が高じて、鉄道写真家、ラベンダー栽培家という野球選手以外の顔も持つ屋鋪の本性を垣間見た気がした。

「ホームランは1本だけだと思っていたんですよ。最初に打ったのは覚えてないんですが、2本目にあたるホームランは覚えています。後楽園球場最後の年(1987年)で、ちょっと振り遅れてレフトに上がったんです。『捕られたかな』と思ったら、ギリギリスタンドに入ったという感じです。でも、あらためてこんなにヒットを打っていたとは思わなかった」

 屋鋪は何度も、江川から放った26本の安打に対して、疑念を抱かずにはいられなかった。三振を27個していることを伝えると、「ヒットより多いね」とボソッと悔しそうに言った。

「僕はどちらかというと、速球派のピッチャーに強かったと思うんです。でも、江川さんがまだ入団したての頃はほとんど打ってないと思いますよ」

【江川さんの球はビューンじゃない】

 とにかく屋鋪のなかでは、江川に抑え込まれたイメージしかない。実際に26本のヒットは、江川が肩を痛めた84年以降に積み上げたものが多い。打者心理として、ましてプロのバッターである限り、いくら晩年に打ったとしても投手の全盛期の球を打っていないとなんの記憶にも残らないのだろう。

 トーナメントと違って、プロ野球はリーグ戦ゆえに一線級の投手と何度も対戦しなくてはならない。だから失投よりも決め球を打つことで、相手の自尊心をズタズタにして、少しでも優位な立場で打席に入りたいわけだ。これが勝負の鉄則である。

 もちろん打順によって役割があるし、狙い球を絞るにもいろいろなタイプがいる。それでも打者としてプロの世界に入ってきている以上、相手投手の最高の球を打ちたいという思いは、誰もが持っているものである。

 江川の球質について、これまで対戦したことのある選手に聞いてきたが、屋鋪にも尋ねてみた。

「なんだろうなぁ。音で表現すると、ビューンじゃないんですよね。ビューンからちょっとギュッと伸びてくるんじゃなくて、ズドーンって感じですかね。重い感じ。だから、高めのボール球を振っちゃいけないと思っていても手が出てしまう。ものすごい伸びがある感じですね。実際、伸びることなんてあり得ないんだけど、ギュイーンと伸び上がってくる感じはしましたね」

 ズドーンという擬音語を使った屋鋪には意図があった。ビューンという音は、よく快速球による使われる擬音語だ。たしかに江川の球は速いが、それだけではない。速くて重い"豪速球"なのだ。江川のストレートは強烈なバックスピンをかけることで自然落下しにくい球となり、打者はボールの下を振ってしまう。

「同じ歳の小松辰雄の球も速かったですが、球質が全然違う。口で表現するのは難しいんですけど、彼のはただ重たいボールがググッと伸びる感じ。一方で江川さんは、とてつもなく重いボールが浮き上がるように伸びてくるんですから。信じられないボールですよ」

 江川のボールの伸びは、実際にバッターボックスに立った者でなければわからない。それでも屋鋪はイメージしやすい言葉で、なんとかすごさを伝えようと独自の言葉で表現してくれた。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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