
「特別支援学校の友達と遊んだり、放課後デイサービスの職員さんとコミュニケーションをとったりするのが大好きな、明るくてええ子なんです。『ちえんちぇ、ちえんちぇ(先生)』って、15歳になったいまも、2〜3歳の子が話すようにしかしゃべれないけど、毎日を必死に生きてくれてます」
と話すのは、大阪府在住で難病のコケイン症候群を患う一人娘、采音(ことね)さんを育てている沖香織さん。
50万人にひとりの遺伝性疾患
コケイン症候群は、遺伝性の疾患で発症頻度は50万人に1人ほど。紫外線によるダメージを受けたDNAを修復するための遺伝子に異常が生じることで、さまざまな疾患が起きてしまう病気といわれているが、まだ解明されていないことも多い。
症状は、成長障害や難聴、歩行障害があり、ほかにも、日光過敏症で紫外線を浴びると発疹が出る、目がくぼみ、顔の皮膚が萎縮して、実年齢よりも老けた印象に見えるなど、症状は多岐にわたる。
「身体の機能がどんどん低下していくことから、通常の4〜5倍の速さで老化が進行しているようなもの、ともいわれます。寿命は15〜20歳で、根本的な治療法はなくて……。発育障害もあり、15歳になった現在も身長は102cm、体重は15kg。頭の大きさも生後7か月から変わっていません。
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10歳で歩けなくなり、13歳で視力を失って、今は補聴器で聴力を補っている状態。元からできることが少ないのに、病気の進行でそれさえも奪われていくのは、本人にも私にとってもつらいことです」(香織さん、以下同)
采音さんが生まれたのは、2009年12月24日のクリスマスイブ。2642gで誕生した。
「異変はすぐに感じました。母乳を飲めずに何度も吐いてしまい、1か月健診でも体重は24gしか増えていなくて。健診のたびに発育の遅れについて相談しましたが、それぞれのペースがあるからと言われるばかり。歩くようになってもずっとペンギンのようなよちよち歩きで、ごはんもうまく食べられんくて……」
7歳でやっとわかった正しい病名
原因を探し続け、5歳のときには、筋肉に異常が起きる難病、先天性ミオパチーと診断された。
「でも、采音の症状は先天性ミオパチーの、どの病型にも当てはまらず。結局明確な原因はわからないまま時は過ぎ、7歳でようやくコケイン症候群とわかったんです。当時は悲しさよりも、やっと病名がわかったんやという気持ちや、もっと早くわかっていたら紫外線のケアやリハビリができたかもしれない、と強い後悔に襲われました」
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以来、香織さんは定期通院と昼夜問わずの看病で、采音さんの命を支え続けてきた。
「コケイン症候群の子は食事がうまくとれないので、チューブで胃に直接栄養を流し込む、胃ろうを使うんですが、采音は体質的に胃ろうを受けつけず。今は胸から太い血管に直接栄養の点滴を入れて、下腹部にも腸の排液を外に出す管がつながっています」
2本のチューブは、24時間365日、身体につながれている状態。その管理のため、香織さんは采音さんから目を離すことができない。
「管が邪魔で自分で抜こうとするんですが、もし引っ張れば大出血してしまうし、お腹の管も抜けやすいので見守りは必須。また采音は薬の注入もしづらく、1回4〜5時間はかかるので深夜まで点滴することも。私の睡眠時間は1日、2〜4時間ですね」
しかも管の挿入部は感染を起こしやすく、敗血症で度々命の危機に晒されてきた。香織さんの苦労は他にもある。
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「車椅子で電車やバスに乗ると嫌な顔や舌打ちをされることもあります。エレベーターがない駅で階段の昇降機を使っているときに、邪魔なんじゃ!と罵倒されたことも」
睡眠不足と疲れが重なり、香織さんは重度の喘息を発症してしまう。
「まずは健康体になろうと、ダイエットで9kg痩せました。娘のためにも、私が元気でいなくちゃダメなので」
初めてのクラファンでディズニー旅行へ
数年前、SNSで知り合った知的障害の息子を持つママ友の紹介で、障害者を支援するNPO法人『VAROR』が主催する運動会に参加し、代表の辻和王さんに出会う。
「辻さんはいろいろなイベントを開催していて、采音もファッションショーや運動会に参加したんです。そのご縁で、関西ABCテレビで采音の特集も放映されて。また辻さんの協力で教会を借りて花嫁姿も撮影しました。結婚は難しいし、女の子の憧れである、ウエディングドレスを着させてあげたくて」
その後も、障害者のためのイベントに積極的に参加し、思い出をつくっていったが、ある日、采音さんは急に自分の目を指さして「目が見えない」と訴えてきたという。13歳のときのことだ。
「それからはファッションショーに参加しても泣いてばかりで。本人が楽しんでないなら意味がないなと。それなら、一番楽しんでくれることをしてあげたいと、東京ディズニーランドへの旅行がいいと思って。辻さん協力のもと、旅費を集めるべくクラファンに挑戦しました」
最終締切日までになんと150万円の支援が集まった。
「采音も本当に喜んでくれて。小さいときに連れていっていて、目が見えていたときの記憶があるからわかるんですよね。でも顔は関係のない方向を向いていたりして、うれしい反面、複雑な気持ちにもなりました」
支援金は旅費に加え、難病助成金では賄えない高額な医療品の購入費用、そして子どもホスピスへの寄付に使った。
「夢の実現に協力してくれた方々には本当に感謝しています。寄付者の名前がわからない形だったので、この場を借りて感謝を伝えたいです」
とにかく前向きで明るい香織さんだが、一度だけ泣いたことがあったそう。
「采音が歩けなくなった10歳のとき、お風呂場で少し泣いてしまって、ママ大丈夫?って頭をヨシヨシされて。この子の前で泣いたらあかんって思いました。それに采音がいなくなった後にいくらでも泣けるし、泣く時間があるなら1分1秒でも長く、采音が楽しめることを考えたほうがいいなって。
最初に検査をすすめてくれた先生に『目が見える間にいろんなものを見せて、耳が聞こえる間にいろんな音を聞かせてあげて、いろんな思い出をつくってあげてください』と言われたことがあって、確かにそうやなと。身体の機能が落ちて寝たきりになっても、その時楽しめることを探していきたいです」
沖香織さん 大阪府在住。難病のコケイン症候群の采音さんを、懸命にサポートしている。昨年の'24年、ABCニュース(テレビ朝日系列)のYouTubeチャンネルに密着動画が公開され、話題を呼ぶ
取材・文/井上真規子