<阪神2−0広島>◇7日◇甲子園
藤川球児監督(45)が超満員の甲子園で5度舞った。阪神が優勝マジック1で迎えた広島戦に2−0で快勝し、2年ぶり7度目のリーグ制覇を決めた。9月7日のV決定は2リーグ制後の最速記録。元最強守護神の藤川監督はコーチ経験なく就任したが、球団史上初めて新人指揮官Vも果たした。「成し遂げる人は理解されない」。故郷高知の偉人の生き様に重ねた信念を貫き、貯金33、2位に17ゲーム差をつけての独走優勝につなげた。“球児維新”で球団創設90周年を飾り、次は日本一の頂を目指す。
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笑顔でマウンドに向かったのは、初めてかもしれない。藤川監督はゆっくりと、先に待つ阪神ナインのもとへと歩いた。「いやあ、選手たちは強いわ。我々が、リーグチャンピオンです!」。甲子園の夜空を5度舞いながら、自信たっぷりに拳を突き上げた。2リーグ制後の最速優勝を成し遂げ、阪神新人監督の優勝も球団初。虎の最強守護神として君臨し続けた聖地で頂点をつかんだ。
「成し遂げる人は、理解されないんです」。愛するふるさと高知の偉人に、自分の生きざまを重ねた。阪神で現役を引退して約1年半が過ぎた22年3月、高知県立牧野植物園へ足を運んだ。そこは「日本の植物学の父」と称される、牧野富太郎博士の業績を顕彰する施設。幼い頃は近くに住んでいて、よく知る場所だ。
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23年のNHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルにもなった牧野博士。大好きな植物学に没頭したが、多大な借金も抱え、周囲の理解を得られず、研究仲間と対立することもあった。功績をたどるうち、1人で寡黙に戦う姿が目に浮かんだ。静かに心に響いた。「それがいいんです。理解者がいない方がいい」。無条件にうなずいてくれる人は時として、決断をにぶらせる存在に変わる。道なき道を歩む人は、いつも1人だと知った。
ユニホームを脱いでもなお、熱いものがこみ上げてきたという。「また、反骨精神が出てきました」。振り返れば現役時代も、それが原動力だった。大リーグに挑戦したがケガに苦しんで志半ばで帰国。四国IL高知でプレーしながら、タテジマでもう1度、花を咲かせると決めた。「周りはもう無理なんじゃないかと。見返したらやめようと思っていた」。ふるさとはいつも、覚悟を決める場所だ。
理解されなくてもいい。常識、慣例、実績…。何にもとらわれず、新人監督は信念を貫いた。就任直後の秋季キャンプでは「選手の可能性を広げてください」とコーチ陣へ大号令。代走が主戦場だった熊谷、わずか8試合の出場だった高寺らを臆せず先発起用した。
三塁に固定していた佐藤輝を5月は外野で起用。就任直後に決めた「4番森下」もスパッと変えた。「朝令暮改です。僕が決断しなければいけないので、簡単に変えます」。柔軟な発想で勝利への最善を求めた。
長いシーズンを見据え、近本、大山ら主力も積極的に休養させた。周囲から批判や疑問の声が聞こえても、ぶれなかった。「孤独でいいんです。嫌われていていい」。試合前に恒例だった円陣の選手声出しも今は行っていない。綿密なミーティングを毎日行う分、試合中の円陣も必要ない。決断の後は、口癖のように「僕が責任を取ります」と周囲に言い切った。
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「コーチもしてなくて急に監督なんて、という声はもちろんある。これも自分の心の置きよう次第」。周囲の雑音も、しがらみも、新時代の指揮官にとっては無意味。頂点への歩き方は自分だけが知っていた。
次は85年吉田阪神、23年岡田阪神が成し遂げた球団3度目の日本一が目標だ。「3月にはドジャースとカブスに勝ちましたから。世界に誇れるタイガースにしていきましょう!」。理想のゴールはまだまだ、もっと先にある。【磯綾乃】
◆牧野富太郎(まきの・とみたろう)1862年(文久2)5月22日、土佐国(現在の高知県)生まれ。「日本の植物学の父」と称される。日本人として国内で初めて新種「ヤマトグサ」を命名するなど、1500種類以上の植物に学名を付け、40万枚超の標本を収集。日本の植物分類学の基礎を築く。1940年(昭15)『牧野日本植物図鑑』を刊行。57年1月18日死去。文化勲章受章。23年は牧野をモデルにしたNHK連続テレビ小説「らんまん」で神木隆之介が主演した。
▽元阪神投手コーチの山口高志氏(現役時代に指導、現在は関大アドバイザリースタッフ)「あっけないと思えるぐらいの優勝、おめでとうございます。投手の継投もうまくいっていて、言うことがありませんね。また、連絡くださいね」
▽城北中元監督の上田修身氏(藤川監督を指導)「秋季キャンプの時に電話で『けがをさせないように、スタッフが選手を守っていかないといけない』と言っていました。中学生の時に『僕らも先生に守ってもろうたし』と。長く続けられる監督になってほしいです」
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◆藤川球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年(昭55)7月21日、高知県生まれ。高知商2年夏に甲子園出場。98年ドラフト1位で阪神入団。05年、ウィリアムス、久保田との救援トリオ「JFK」の中核を担いリーグ優勝に貢献。06年途中から抑えを務め、07年の46セーブはセ・リーグ最多タイ。12年オフにFAでカブス移籍。15年にレンジャーズへ移籍し、自由契約となった後は独立リーグ四国IL・高知に加入。16年に阪神復帰。20年限りで引退。NPBでは782試合に登板し、60勝38敗、防御率2・08。通算243セーブは歴代6位。引退後は球団本部付スペシャルアシスタント(SA)を務め、25年から1軍監督。185センチ、90キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸8000万円。
◆阪神タイガース 1935年(昭10)12月、阪神電鉄を経営の基盤に、巨人に次ぐ老舗球団の「大阪野球倶楽部」(大阪タイガース)として設立された。プロ野球が始まった36年から参加し、初代監督は早大出身の森茂雄。1リーグ時代に4度優勝。セ・リーグでの優勝は今回で2年ぶり7度目。吉田監督の85年、岡田監督の23年に日本シリーズ制覇。永久欠番は藤村富美男の10、村山実の11、吉田義男の23。オーナーは秦雅夫氏。
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