一軒家に核爆弾が落ちる、老夫婦の日常アニメ映画 「風が吹くとき」がいま公開される意義

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2024年08月03日 20:03  ねとらぼ

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「風が吹くとき」は絶賛上映中/(C)MCMLXXXVI

 1982年に発表されたイギリスの作家レイモンド・ブリッグズの漫画を原作とし、日本では1987年に初公開されたアニメーション映画「風が吹くとき」が、2024年8月2日からリバイバル上映中だ。


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●絵柄はかわいいのに、怖い


 同原作者による短編アニメ映画「スノーマン」は「セリフなし」で動き出した雪だるまとの冒険を描く、かわいらしくて幻想的な魅力に満ちた、子どもから大人までおすすめできる名作として知られている。この「風が吹くとき」でも絵柄は親しみやすく、ほのぼのとしていてクスッと笑える場面はある。


 しかし、「風が吹くとき」でまず思い起こされるのは、「トラウマ級の怖さ」だ。それも、血や内臓が飛び出るといった直接的な残酷描写ではない。レーティングはG(年齢制限なし)であり、子ども見られる内容といえる。しかし、後述するショッキングな場面と、戦争の一側面を切り取るアプローチがとてつもなく恐ろしいのである。


 今回のリバイバルでは、森繁久彌と加藤治子が老夫婦の声を担当し、「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督が演出を担当した日本語吹替版での上映となっている。素朴だが奥行きのある声質と演技が淡々とした会話劇にとてもマッチした内容となっていたので、この機会に劇場で見てほしい。さらなる特徴と魅力を紹介していこう。


●不確定な情報に頼る怖さ


 「風が吹くとき」の舞台はほぼ「一軒家」のみで、基本的には「老夫婦の会話がずっと続く」内容だ。


 ただしその2人には、「世界戦争が起こり3日以内に核爆弾が落ちて来る」という知らせが届いている。お互いへのグチをこぼしつつも愛情が感じられる会話劇が恐ろしく思えてくるのは、差し迫った状況下でも「不確定なはずの情報に頼り切っている」「深刻に捉えずに(あるいは一種の諦観のまま)日常を過ごしている」からだろう。


 中でも目立つのは、おじいさんが作ろうとする「政府推薦の屋内シェルター」で、これが「3枚のドアを並べて立てかけただけのもの」なのだ。しかもおじいさんは「ドアの角度は60度にするのが理想」という指定に従うために分度器を買おうとし、あろうことかその分度器が街では売り切れたりするのである。


 この簡易的にもほどがあるシェルター作りは、劇中でもおばあさんから「新しい冗談ですか?」とツッコまれ、おじいさん自身も「考えてみれば角度が何度でも変わらないな」「こんなのは一時凌ぎだ」と冷静な言及を見せていた。しかし「結局はそうすること」がまた怖い。


 一連のシーンがあまりにバカげていると思う方もいるだろうが、劇中でおじいさんがシェルター作りの参考にした、政府発行の冊子「PROTECT AND SURVIVE(守り抜く)」は実際にイギリス政府が1974年から展開していたキャンペーンで、1980年にはリーフレットとして配布していたものだ。


●知識も経験も役に立たない怖さ


 また、老夫婦は2度の世界大戦をくぐり抜けているのだが、その知識と経験が役に立たないどころか、視野狭窄につながっている側面も描かれる。特におじいさんは過去の戦争での「畑の上を飛ぶ戦闘機」といった出来事を「懐かしい日々」とポジティブに振り返るばかりか、「あの頃は口ひげのスターリンなどがわかりやすくて良かったな、今は誰がいるのかさっぱりわからん」と、「今の戦争への無知」をはっきり露呈するのだから。


 この他にも、おじいさんは一見すると知識をいろいろと披露する「博識」タイプのようで、実際は広島に落とされた原爆のことを表面的にしか知らず肝心な知識が欠落していたり、さらに「政府に従うのはわれわれの義務なんだ」と不確かな情報を妄信するなど、危うさでいっぱいなのだ。


 おばあさんもおばあさんで、おじいさんの言動に文句を言ったりはするが、それよりも「家事優先」で危機感があまりにもない。


 こうした事柄はどれも、現代でも人ごとではない。今まさに「外部」で起きている恐ろしい出来事の現実味を感じられず、なんとなくの知識で「まあ、大丈夫だろう」と思い日常を続けていくことは、「あり得る」からだ。本作で受け取る恐怖は、これまでの戦争の歴史に加え、今まさに世界で起こっている出来事を「知る」意義を再認識させてくれるものだ。


●真の恐怖は「その後」にある


 そして、真の恐怖は「その後」にある。核爆弾が落とされ、すさまじい熱と風が吹き、全てががれきと化す中でも老夫婦は生き延びるのだが……2人は「放射性物質」についても楽観的で危機感がない。おばあさんは「放射能なんて見えないし感じない」と言い、おじいさんはとある「症状」が出ても「中年にはよくあること」と言ったりするのだ。


 それでも、2人は日々を過ごし、ただ救助を待ち続ける。おじいさんは水道が止まったことにも「汚染された水から住人を守ろうという国からの心遣いだ」とポジティブでい続ける。一方でおばあさんはどんどん憔悴していく。最悪な状況に進んでいることを観客は客観的に認識できるが、劇中の2人はそうではない。なまじ「希望を持っている」ことが悲しく思える。


 そして、2人がもしも正しい情報を得て、危機感を持って対応できていたら……(核爆弾が落とされる前だったら逃げる選択肢が取れたかもしれない)」と思う反面、「もう何をしても無駄かもしれない」という絶望も付きまとう。そして、終盤の2人に訪れるさらなる変化と、それでもなおも残るお互いの愛情を知り、涙する方も多いはずだ。


●「オッペンハイマー」とあわせて見てほしい理由


 同じく原爆を扱った映画で、2024年の米アカデミー賞作品賞をはじめ数々の受賞を果たした「オッペンハイマー」も、8月2日から全国でアンコール上映されている。同作の監督であるクリストファー・ノーランも、子ども時代に「風が吹くとき」を見ていたそうだ。


 ノーラン監督は「私が育った1980年代のイギリスは核兵器や核の拡散に対する恐怖感に包まれていた」とも語っており、それこそが実在の人物であるオッペンハイマーを描いた理由のひとつだったと明かしている。そしてそれは、「風が吹くとき」の原作が描かれた時期とも一致している。


 また、アニメ映画版の「風が吹くとき」を監督したジミー・T・ムラカミは、自らも長崎に住む親戚を原爆で亡くした日系アメリカ人であったそうだ。作り手の当時の核兵器への恐怖や憤りも、確実に作品に反映されているのだろう。


 「オッペンハイマー」は「原爆の父」と呼ばれた者が、「世界を核兵器が存在する状態へと変えた」事実と罪を真正面から捉えた内容だった。あわせて、この「風が吹くとき」を見れば、「ささやかな老夫婦の日常が、突然、あるいは緩やかに破壊していく」という、別の角度からの核兵器の恐ろしさを知ることができる。


 「オッペンハイマー」の公開後かつ、ロシアによるウクライナへの侵攻とイスラエルによるガザ地区への空爆が続いている2024年のいま、「風が吹くとき」があらためて公開される意義は大きい。


●「窓ぎわのトットちゃん」の視点


 戦中を舞台に、「自分の世界以外のことを知らない」視点が貫かれたアニメ映画は他にもある。それは2023年末に劇場公開され絶賛の嵐となった、黒柳徹子の自伝的小説を原作とする「窓ぎわのトットちゃん」だ。


 「窓ぎわのトットちゃん」は自由な校風の学校に転校してきた女の子の日常を描く、子どもでも楽しく見られる内容である一方、戦争がじわじわと「侵食」してくる様がとてつもなく恐ろしい作品だ。仲の良かった駅の改札員がある日突然男性から女性になっていたり(男性はどんどん徴兵されていったため)、それまで「パパ」「ママ」と呼んでいた両親を外来語で呼ぶのを禁じられたり、さらには自由な校風の学校にも「全体主義」が忍び寄っていく。


 「風が吹くとき」も「窓ぎわのトットちゃん」も、どちらも非常にミニマムな視点で、「外部」のことがほとんど描かれないからこそ、戦争を「当事者」の気持ちで体感できる意義深さがある。「窓ぎわのトットちゃん」は、現在U-NEXTでレンタル可能となっているので、ぜひあわせてご覧になってほしい。


●原作漫画の、映画とは違った衝撃


 「風が吹くとき」の原作漫画を読んでみると、アニメ映画版は基本的に原作に忠実な内容であることが分かる。しかし、おばあさんが綿毛のたんぽぽを飛ばす幻想的な場面は原作にはなく、「ロシア兵が家にやってくる」と想像する場面など、アニメ独自の表現が加わっており、より怖さが際立つ細部のアレンジがなされている。また、アニメ作品ながら実写やストップモーションを使った表現が「現実と地続き」であると感じさせる良いアクセントになっていることにも気付く。


 加えて原作漫画では、ページをめくったときに見開きで示される恐ろしさが映画とは異なる衝撃を与えてくれる。映画版を鑑賞した後には、ぜひ原作漫画にも触れて、それぞれの表現が持つ深い意味を感じ取ってほしい。


(ヒナタカ)


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