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長く子どもたちの成長を支えてきた学校給食。献立は時代とともに変化し、今は使われていない食材やメニューもある。令和の若者が昭和の給食を食べるとどう感じるのか。大学生が献立の再現にチャレンジした。
【写真】昭和25年の献立…脱脂粉乳入りのみそ汁 真っ白な見た目は違う飲み物のようです
京都女子大家政学部食物栄養学科の井戸由美子教授、廣瀬潤子教授と3年生の大野真琴さん(21)、中瀬和奏さん(同)、枚田麻央さん(同)に参加してもらい、京都市東山区の同大栄養クリニックで調理した。メニューは、京都市教育委員会や市学校歴史博物館が保管する献立表から、異なる三つの年代の代表的なものを選んだ。
まずは戦後色濃い1950(昭和25)年の献立。同年は米国寄贈の小麦粉によるパンと副食、脱脂粉乳の完全給食が始まり、京都市でも9割の小学校で実施されていた。元生祥小(中京区)の献立表から「みそ汁(ミルク入り)」を作った。
材料は脱脂粉乳と大根、みそのみ。脱脂粉乳を湯で溶かし、少量のみそを入れる。真っ白な見た目は、もはやみそ汁ではない。
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大野さんが一口飲み、「鼻にツーンとくる風味がある…好みではない」。ほかの学生2人にも不評だったが、給食で脱脂粉乳を飲んでいた世代の井戸教授は、「昔はもっと粉っぽくておいしくなかった」と余裕の表情だ。「食材が改良されているので、昔の味をそっくり再現するのは無理でしょうね」
当時の献立表を見ると海外からの配給品を多く使っており、みそ汁の具にも「ランチヤンミート」「チリンコンカン」の記載がある。廣瀬教授は「あるものを食べる、という時代だったのでしょう」と話す。
66(昭和41)年には、京都市で脱脂粉乳に代わる牛乳が登場した。ほかも食パン3枚にマーガリン、おかず2品と献立が充実。当時の代表的な食材・クジラのカツとポテトのフレークを使ったポテトサラダの調理に挑戦した。
学生3人は鯨肉やポテトのフレークを見るのは初めてという。鯨肉は入念な下処理後、教授たちのアドバイスで肉をたたいて薄く伸ばした。
さて味はどうか。「ポテトサラダはおいしい。クジラもおいしいけど、固くてかみ切りにくい」と枚田さん。また、食パン3枚という量に「私が小学生ならこんなに食べられない」と学生たちは驚いていた。
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最後は、昭和も終わりに近づく83(昭和58)年の献立。給食の主食は戦後からの流れで長くパンだったが、京都市では80(昭和55)年から週に1回、米飯が導入された。ご飯とセットの人気メニュー、カレーと生野菜サラダを再現した。
生野菜は現在、給食では提供されない。96(平成8)年に腸管出血性大腸菌O157による食中毒が発生し、全て加熱調理することとなった。
カレーは今とは違い市販のルウを使用しているが、バーベキューソースやチーズなどを加えてコクや甘みを出している。
食べてみると、中瀬さんは「小学校で食べていた味に似ている」と笑顔に。おかわりする学生もいて、楽しい給食の時間さながらとなった。
時代や社会情勢を反映してきた学校給食。どんなメニューを食べていたか、地域や年代の異なる人と語り合ってみると、さまざまな給食の思い出がよみがえるかもしれない。
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(まいどなニュース/京都新聞)