オウム真理教の施設があった場所を整備して造られた富士ケ嶺公園。手前は慰霊碑=13日午後、山梨県富士河口湖町 オウム真理教による地下鉄サリン事件から間もなく30年となるのを前に、元教団幹部の男性(59)が取材に応じた。かつて「聖者」と信じた元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚=執行時(63)=について「おかしいと思ったのに、ついていってしまった。自分の感性を信じるべきだった」と振り返り、教団にいたことは「間違っていた」と語った。
男性は1995年2月に起きた目黒公証役場事務長拉致事件や、地下鉄サリン前日の宗教学者元自宅爆発事件などに関与したとして、オウム初の裁判員裁判で実刑判決を受けた。服役し、2022年に出所した。
地下鉄サリン事件について、男性は「麻原には破滅願望があったのではないか」と指摘。「ハルマゲドン(人類最終戦争)」は不可避と説いた教祖自らが、「終末」を引き起こそうとしたとの見解を示した。
教団は生物兵器のボツリヌス菌や炭疽(たんそ)菌、化学兵器のサリンやVXの製造と散布を繰り返した。当時は毒ガスの製造を全く知らされていなかったという男性は「なぜ麻原が毒ガスを作り始めたのか分からないが、自衛のためという側面もあったのでは」と語った。
「この世は幻影」。生きていることがむなしく思えた男性は21歳だった87年、全財産を教団に寄付して出家した。「社会のしがらみを断ち切った開放感があった」と振り返る。初めて会った教祖は「化け物」と感じ、言葉を交わすと「見透かされている」と思った。
「フリーメーソンから毒ガス攻撃を受けている」「私は日本の王になる」―。説法は次第に荒唐無稽になり、疑問を抱くようになったが「自分が指導した信者がいる」と脱会に踏み切れなかった。外部から批判を受けると、逆に信仰心が強まったという。
モノを持ちたがらない現代の若い世代に、バブル時代にモノに束縛されない生き方を選択をした自分たちが重なる。一方、単独でテロを起こす「ローンオフェンダー」には「自分たちは麻原というカリスマがいたから動いたのに」と驚きを感じる。
出所後、男性は仕事を始め、拉致事件の遺族と約束した賠償支払いを今年2月に終えた。だが、「償いに終わりはない」と思う。教団にいた時、おかしいことをおかしいと言えなかった自分を後悔している。かつての過ちを繰り返さないよう、今後の人生を生きていくと決めた。