
「世界一貧しい大統領」として知られた南米ウルグアイのムヒカ元大統領が亡くなりました。89歳でした。
【写真で見る】質素な生活にこだわった元大統領 ムヒカ氏の自宅の様子
自ら運転し通勤 郊外の小さな家に住み続けた「世界一貧しい大統領」「貧乏な人とは、物を持っていない人ではなく物がいくらあっても満足しない人だ」。2012年の国連環境サミットでのムヒカ元大統領の演説の一節です。
環境問題を引き起こす根本的な原因として、人間の物欲があることを指摘し、「世界一貧しい大統領」というニックネームが広く知られるようになりました。
大統領在任中も大統領公邸ではなく、郊外の畑の隅にあるトタン屋根の小さな家に住み続けていました。
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スペイン国王と会談した際の写真が撮られたのは、ムヒカ氏が「応接室」と呼んでいた庭のベンチでした。
普段、通勤の際などにも、大統領専用車ではなく、友人からもらった1987年製の「ビートル」を自ら運転していました。
大統領になっても、こうした生活を変えなかったのは「国を治める者の生活レベルは、その国の平均でなければならない」という信念があったからで、200万円近い月給も9割を貧困層に寄付するという徹底ぶりでした。
波瀾万丈な経験…独房の中で自らの尿を飲んで命を繋ぐ穏やかな表情が印象的なムヒカ氏ですが、若いころは武闘派の活動家で、波瀾万丈な経験によって、類まれな人格や思想が形成されたといいます。
幼い頃に父を亡くし、貧しい家庭で育ったムヒカ氏。
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さらに、20代のころは、ウルグアイで経済不況が深刻化し、貧困や格差の問題に矛盾を感じていました。
同じ時期にキューバ革命を成功させたフィデル・カストロやチェ・ゲバラたちの思想に共鳴し、1960年代に左翼ゲリラ組織を設立します。
「富裕層が持つ金を貧困層に分け与えるため」として銀行も襲撃。当時の軍事独裁政権の打倒を目指して武装闘争を続けますが、その間、6回も銃弾を浴びて、一時はひん死の状態になったこともありました。
また、4回逮捕されて拷問にさらされ、水も与えられない独房の中で自らの尿を飲んで命を繋ぐという過酷な体験もしたということで、後に「獄中で過ごした十数年が、人生観を形成するのに役立った。あれが無かったら浅はかで卑しい人間になっていただろう」と語っています。
釈放され大統領へ ウルグアイ経済平均5.4%の成長を実現1985年、ウルグアイに民主主義が戻るとともに釈放されたムヒカ氏は、政治の道へと進んで国会議員となり、2010年に大統領に就任したのです。
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最低賃金の大幅な引き上げや低所得者の支援策などに力を入れ、在任中、ウルグアイ経済は平均5.4%の成長を記録し、貧困率は低下。失業率も低水準に保たれました。
また、再生可能エネルギーの普及も進め、ウルグアイでは現在、風力や太陽光などの再生可能エネルギーで電力需要のほとんどを賄うことができる、世界でも数少ない国の1つとなりました。
大統領退任 広島で残した言葉そして2015年、80歳を目前にして大統領を退任。
翌年、広島を訪れた際には、こんな言葉を残しています。
「地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」
「私たちは過去の過ちから学んだだろうか」