
国立大学病院でさえ過去最大の赤字を記録する中、全国の中小病院は相次いで倒産・廃院に追い込まれている。1990年に1万96施設あった病院は、2023年には8122施設まで減少。このまま病院の淘汰が進めば、私たちの生活にも影響が必至という―。
2023年には8122にまで病院が減少
「近年、国立病院や大学病院が赤字に陥っていると報道されていますが、中小規模の民間病院はそれ以上の苦境に立たされ、次々に破綻しています」
そう話すのは、京浜病院院長の熊谷頼佳先生だ。祖父の代から約90年にわたり経営してきた中規模病院が経営難に陥り、M&Aによって立て直した経験を持つ熊谷先生の言葉は、切実に感じる。
実際、全国にある国立大学病院の昨年度決算は、過去最大285億円の赤字を計上。そして1990年に1万96施設あった全国の病院は、2023年には8122にまで減少している。
日本の病院は8割が民間運営で、戦後の混乱期から現在に至るまで地域医療の根幹を支えてきた。この減少問題が与える影響は深刻だ。
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「京浜病院がある東京都大田区だけでも、2000年から現在までの間に、30以上あった病院のうち私が知るだけでも5院が倒産や廃院し、7院はM&Aなどにより経営主体が変わりました。大学付属の病院なら文部科学省からも補助金が入りますし、大規模病院なら救急手当などが国や市町村から得られますが、中小規模は対象になりません。しかも民間病院は公的援助も受けられず、数々の病院が淘汰されています」
帝国データバンクによると、倒産した医療機関は今年上半期で全国35件。過去最多ペースとなりこの傾向は加速しているようだ。
高齢社会が進み医療需要は伸びているはずだが、なぜ病院は経営難なのか。それは思いも寄らぬことが原因だった。
「最近よく聞くのは、老朽化した建物の耐震化を進めるのが困難だということ。防火や耐震の基準を満たさないと行政から指導が入りますが、その対応ができないと。また建て替え工事の費用が、物価や人件費の上昇に伴い当初の見積もりから2倍以上に膨れ上がり、返済のめどが立たなくなるケースも多いです。
建物や医療機器が古くなれば、他病院に見劣りするため患者さんが離れ、収入減少に直結します。すると医師や看護師も働くことを敬遠するのでジリ貧になってしまう」
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さらに電子カルテなどのIT化も負担になっている。
「電子カルテの導入費用は病床数に比例しますが、大きな病院では数千万円から億単位の投資が必要です。しかしインフラの導入も自前で行わなければならず、費用を捻出するのが難しい。なおかつ導入すれば済む話ではなく、維持費もかかります。ハッキングなどの攻撃に脆弱では困りますが、エンジニアを常駐させるなんて民間病院では難しいですし、防御システムをつくるのも大変です」
そんな状況で借入金の返済が滞れば、体力のない中小規模の病院は倒産してしまうのだ。これらの問題の根本には、診療報酬制度があるといえる。
多くの人が苦しむ時代に逆戻り
「日本の医療機関は、全国一律の診療報酬により収入を得ています。しかしそれは、増え続ける医療費を抑えるため、病院が儲からない金額に設定されています。しかも保険料の多くを負担する15〜64歳の生産年齢人口(社会を支える中心的な年齢層)は減り、介護や医療を必要とする高齢者は増えるため、この先も多額の報酬を得られる見込みはありません」
光熱費や人件費などの負担は年々上がるのに収入は頭打ちで、採算が取れない。
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「外来診療の報酬では賄いきれず、病院は常に満床になるよう入院患者を受け入れなければ赤字になるのが現状。さらにこの制度は2年に1度改定されるたび新たな条件がつき、対応できないと経営はますます悪化します」
では病院が経営難に陥ったり倒産すると、私たちにはどのような影響があるのか。
「中小病院には地域の救急を担う急性期病院もあれば、自宅に戻れる状態ではない慢性期の患者を受け入れる病院もあります。それらがなくなると、ケガや脳卒中、心臓病などで急に倒れたとしても、簡単には手術や入院ができなくなるでしょう。そもそも119番に連絡しても受け入れ先が見つからず、たらい回しで手遅れになるケースも増えるはずです」
すでに深刻な医師や看護師不足も、今後さらに加速する。
「昨年、都内の腎臓内科が医師不足により透析の提供ができず、手術も断らざるを得ない事態に陥りました。川崎市の急性期病院では、医師の働き方改革で残業が難しくなり、十分なスタッフの確保が困難で閉院に至りました。
過去には麻酔科医不足で緊急手術ができない病院や、外科医不足で診療を取りやめた話も聞きます。2030年には生産年齢人口が総人口の6割以下になり、労働需要に対して644万人の人手が不足するという試算もあり、この問題は悪化します」
認知症や要介護の高齢者にも、厳しい現実が迫る。
「そのような高齢者は入院が長期化しがちなので、短期間で多くの入院患者を受け入れないと高い診療報酬を得られない病院側は、受け入れを拒否するようになります。また、家族は手術をして元気になってほしいと願っても“手術せず静かに見送ったらどうですか”と促されることもあるかもしれません。
医療体制に不備があるせいで、助かる見込みのある患者さんに回復するチャンスが訪れない。これでは戦前のように満足に医療を受けられず、多くの人が苦しむ時代に逆戻りです」
そのような未来に向けて、患者はどのような対策ができるのだろうか。
「“患者力”を高めることが重要です。これは自ら勉強して知識を深めることで、医療リテラシーを高めるということ。医療機関にかからなくても、市販の薬で治したり、逆に不用意に薬を飲みすぎないなどして、自己防衛することが重要です」
普段の生活から健康に気を配り、運動や代替療法を試みるのもひとつの手だ。
個人でも医療の知識を高めていくことが大切
「医師との知識格差を当たり前と思うのではなく、自分で調べて症状を判断し、本当に必要なときだけ救急車を呼ぶようにしましょう」
それを実現するためには、かかりつけ医の存在も重要になってくるという。
「近隣のクリニックなどの医師はどんな病気でも治すというよりは、患者に寄り添い、場合によっては大きな病院につないでいく。そして大病院の医師の説明を噛み砕いて説明するような、アドバイザー的な役割を担っていくべきです。つまり、田舎のよろず相談所として機能していた、昔の赤ひげ先生のような存在が必要なのです」
近年、厚生労働省はかかりつけ医の機能として、訪問診療や家庭医を推進している。
「今後は大きな病院で診てもらうのは、よほど症状が悪化してからでないと難しくなるでしょう。しかし残念ながら、今のかかりつけ医は内科や産婦人科、精神科まですべてを診られるイギリスの家庭医のような存在ではなく、近所のよく行く医者という位置づけです」
これからは日本でも総合診療医を育成し、資格がないと開業や訪問診療ができないなど制度を整えるべきだと話す。
「しかし今から教育を始めても、成果が出るのは20年近く先。現時点では、病院をつぶさないことが重要で、個人でも医療の知識を高めていくことが大切でしょう」
取材・文/植田沙羅
熊谷頼佳先生 1977年慶應義塾大学医学部卒業後、東京大学医学部脳神経外科学教室入局。東京大学の関連病院などで臨床研究に携わり、1992年より京浜病院院長。認知症や地域医療に関する著書多数