校長先生に「マジで行ってほしい」って言われて日本に留学した

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2024年05月16日 08:11  @IT

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ギターを抱える幼少期のダニーさん

 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はアクトビでフロントエンドエンジニアとして働くDaniel Parsons(ダニエル・パーソンズ)さんにお話を伺った。大好きだったけどミュージシャンになるほどではない。それでも音楽大学を選んだのはなぜか。


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 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。


●イギリスで遊ぶといったらサッカーか音楽


阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) ご出身はイギリスですね。


Daniel Parsons(ダニエル・パーソンズ 以下、ダニーさん) はい。1994年に、シュロップシャー州シュルーズベリーで生まれました。シュルーズベリーのチャールズタウンは進化論で有名なチャールズ・ダーウィンが生まれたところなんですよ。


阿部川 ダーウィンが先輩だなんてかっこいいですね。シュルーズベリーはどんなところですか。


ダニーさん 本当に何もない田舎ですよ(笑)。イギリスの田舎は、どこに行っても歴史的な古い建物が残っていて、ダーウィンが通っていた小学校も残っています(現在は、シュールズベリーの図書館として利用)。地理的にはウェールズに近くて、広くて、羊がたくさんいます。そこで19歳ぐらいまで過ごしました。


阿部川 子どものころはどんなふうに過ごしていたのですか。羊と戯れる、とか?


ダニーさん フットボール(サッカー)をしていました。イギリスではサッカーが人気で、みんなやっています。特に田舎は、本当にやることがないので、サッカーぐらいしかすることがない。でも僕は全然サッカーができなくて、その代わりギターを練習していました。イギリスでは、サッカーやるか音楽やるかの2択なので。バンドの友達と一緒に音楽を毎日作っていました。好きなバンドは『QUEEN』です。母がQUEENを好きだったので、小さいころからライブを見て「かっこいいなー」と思っていました。


阿部川 いいですね。では、QUEENの曲をバンドで一生懸命演奏していたのですね。


ダニーさん そうです。小学校、中学校のころはずっとそんな感じでした。スポーツができなかったのと、そのころから科学とかよりも音楽などの芸術に興味を持っていました。


阿部川 学校の勉強で、音楽やアート以外に力を入れたものはありますか。


ダニーさん 両親が僕に「医者になってほしい」と期待していたので、高校のころは化学や数学も頑張っていましたね。成績はそこまで悪くもなかったのですけれど、特に好きというわけでもなく……。勉強は頑張りましたけど結局、医者にはなりませんでした。


阿部川 ダニーさん自身も、医者になりたいとは思っていたのですよね。


ダニーさん そうですね、試験も受けましたし。ただ試験に落ちて、そのタイミングで「本当に医者をやりたいとは思ってないな」と気付きました。本当にやりたかったら、1年頑張って勉強してもう一度受験もできましたが、実はそこまで興味ないんじゃないか? と思いました。そのことを両親に話したら、「好きにしていいよ」と言ってくれたので別の道を考えました。


阿部川 難しいですよね。ご両親としてはダニーさんにお医者さまになってほしいけれども、ダニーさんがやりたくないことまでやらせようとは思わないはずです。


ダニーさん 数学と科学が割とできたので期待もあったのでしょう。今思うと試験に落ちたのも運命だったのかな、と考えることもあります。もし落ちてなかったら自分の気持ちを振り返ることもなかったので。


●高校卒業まで「自分がやりたいこと」を考えたことがなかった


阿部川 その後は何をしていたのですか。


ダニーさん イギリスも日本と同じように18歳で大学に進学するのが一般的です。僕もその流れに沿って大学に進むのか、やっぱり試験を受け直すのか、それとも違うことをするかなどと悩みながらアルバイトをして1年ほど過ごしました。最初はスーパーのレジ打ちをしていましたがあまり楽しくなかったので、友達が働いているコーヒーショップを紹介してもらってそこで働きました。僕、コーヒー中毒というかカフェイン中毒なのです(笑)。


阿部川 コーヒーが大好きで、コーヒーの仕事をしながら、どうしようか考えていたのですね。そういう時間があってよかったですよね。


ダニーさん 本当にそうです。日本も似たような感じだと思いますが、小学校、中学校、高校と進むべき道は全部決まっていて自分の時間はあんまりないじゃないですか。僕は高校を卒業して「自分がやりたいことをしっかり考えたことがなかった」と初めて気付きました。


 今は違いますが、僕の中学校は11歳から16歳まででした。14、15歳ぐらいの時に高校に入るための試験があります。そして高校によって入れる大学が限られます。だから、簡単に言うと、14歳の時から、将来何をしたいかを決めないといけません。


阿部川 14歳で将来のことなんて分かるわけがないですよね。


ダニーさん 分かるわけがないんです。「このシステム、ちょっとおかしい」と思っていました。でも、みんなは当たり前にその道筋通り進む。そして自分が18歳になって「これは改めて考えるべきだ」と思い直しました。


本当にそうですよね。インターネットなどで調べれば、仕事には無数の選択肢があることが分かるわけで、その中から一つを選ぶのは大変なことだと思います。14歳で思い出しましたが、結構前に『13歳のハローワーク』という書籍が話題になりましたね。「プラントハンター」など普通は思い付かない職業が載っていて楽しく見ていました。そう思うと14歳でも早くはないのか……?


阿部川 なるほど。確かに「14歳で分かるわけがない」という意見もありますが、「分からないなら、何でもやってみたらいい」っていう意見もありますね。


ダニーさん はい。そして「やるなら自分で決めた方がいい」。もし失敗しても、自分がやりたいことだったらその失敗がどうにかいいことに、力になるのではないかなって思うのです。


阿部川 おっしゃる通りです。人から言われて失敗したら、お前がそう言ったからだよってエクスキューズ(言い訳)しちゃいますよね。若い時の失敗なんか、はっきり言ってあんまり失敗でも何でもないと思います。上手に失敗するべきですよね。


ダニーさん 日本もそうだと思うのですけど、教育システムって「失敗したら駄目」と思ってしまう仕組みなので、失敗を恐れてしまいますよね。


阿部川 それで「俺、何がやりたいのかな」と考えたら、ウェールズ音楽大学だったという感じですか。


ダニーさん そんな感じでしょうか。


●「やるなら好きなことをしたい」とウェールズ音楽大学に入学


ダニーさん イギリスは高校で音楽を勉強していないと音楽の大学には入れないのです。だから音楽の道は諦めていたのですが、ちゃんと調べてみたら、高校で音楽を勉強していなくてもポートフォリオがあれば入れる音大もあることが分かりました。その中の一つが、ウェールズ音楽大学でした。


 そのころもバンドは続けていて「せっかくだから録音しよう」と思ったとき、どうせなら「ここはちょっとバイオリンほしい」とか「トランペットやってほしい」とかいろいろアイデアが出てきて、それを楽譜に書いていました。その楽譜をポートフォリオとして学校に送りました。


 決め手は面接ですね。面接というと普通は緊張してしまうと思うのですが、好きなことだったら何でも答えられるじゃないですか。それで面接がとっても楽しくて。ウェールズ音楽大学への入学を決めました。


阿部川 大学では、何を勉強したのですか?


ダニーさん 作曲と電子音楽です。録音などのエンジニアリングも含めた、英語でいう「プロダクション」(Production)です。「Python」でコードを書いて、ライブでギターの音をマイクで拾って、PCで加工して……といったこともやっていました。作曲はクラシックや現代音楽をやっていました。そちらに集中するため、バンド活動はやめました。


阿部川 将来はミュージシャンになろう、などと思っていたのですか。


ダニーさん それは全然考えていませんでした。大学で4年間勉強するなら好きなことをしないと駄目だと考えていたので、好きな音楽の勉強しようと。その先のことは正直、考えていませんでした。


阿部川 なるほど、音楽大学でも卒業論文や卒業作品は作成するのですか?


ダニーさん はい。論文も書きましたし、作品も作りました。卒業する前に、作曲した作品をオーケストラに演奏してもらいました。指揮をするチャンスがあったのですけど、「いやいや、無理です」と言って、他の人にやってもらいました。


阿部川 やればよかったのに(笑)。


ダニーさん ちょっと今でも後悔しています(笑)。


阿部川 大学時代に来日されていますね。これは留学になるのでしょうか。


ダニーさん そうですね。2017年――大学4年生の1学期、9月から12月までの3カ月間、大阪音楽大学に留学しました。


 留学することになったいきさつは、ちょっと変わっていて。ウェールズ音楽大学の校長先生にある日「ダニーさん、日本に行きませんか」と声を掛けられたのです。ウェールズ音楽大学と大阪音楽大学は姉妹校で、交換留学の制度がありました。日本からヨーロッパに行きたい学生は結構多いのですが、イギリスから日本に行って勉強する人はあまりいなかったみたいで、「10年間に1回誰か行かないと姉妹校の関係がなくなるので、マジで行ってほしい」って頼まれたのです。


 交換留学は通常、寮費などが必要なりますが、そうした事情があるので飛行機代だけ払えば他は全部払わなくていいと言われたのです。だったら、まあ、行くよと思いまして(笑)。


阿部川 素晴らしい。先生から「ダニーさんなら適任だ」と思われていたということですよね。


ダニーさん どうなんでしょうか、すごく軽い感じでしたよ(笑)。日本にはないと思うのですけど、大学の中にバーがあって、そこで飲んでいるときに先生もやってきて、「ダニーさん、日本行かない?」みたいな感じだったので、いいタイミングでバーにいたなと思いました。


確かに条件は良かったかもしれないですが、こうした機会にぱっと飛び付けるのがダニーさんの長所なのでしょうね。私なら「異国の地で何かあったらどうしよう」と駄目だったときのことばかり考えそうです。


阿部川 それはナイスタイミングでしたね。大阪音楽大学ではどんな勉強をしたのですか。


ダニーさん せっかく日本にいるので日本の伝統音楽を勉強しました。お琴や三味線も勉強したんですよ。発表会にも参加しました。正座が難しくて、発表会では20分間正座しないといけないので、発表会の1カ月前から毎日正座を練習しました。


阿部川 なかなかの経験でしたね(笑)。


●「取りあえず」で再び日本へ


阿部川 3カ月の留学が終わり、イギリスに戻ります。


ダニーさん はい。大学4年生だったので、将来のことを考えていました。当時は何をしたいのかはっきりしていなくて。ただ、したいことは分からなかったけど、日本は楽しかったことははっきりしていました。それで「取りあえず1年でいいから日本に住もう」と思い、英語の先生の仕事を見つけて来日しました。


阿部川 そのときにもう、日本語を話せたのですか?


ダニーさん 会話はなんとかですが、読み書きがまだまだでしたね。ですから、勉強して「日本語能力試験」のN1認定を取りました。2020年1月ぐらいのことです。


阿部川 2020年といったら、コロナ禍が始まりかけている時期ですね。


ダニーさん そうですね、2020年は夏の試験が中止になったので、いいタイミングで取れたなと思います。


阿部川 本当にそうですよね。それで、N1を取って、英語の先生をやっていたら、だんだんコロナ禍が深刻になっていったわけですね。授業はオンラインですか?


ダニーさん オフラインもオンラインもやりました。最初は英会話学校で働いていて、その後小学校で働くことになりました。でもコロナ禍になって学校も休みになりました。最初はオンラインで授業ができなかったので、完全に休みでした。そのとき、将来の仕事として何をすればいいのか考えて。自由時間がたくさんあるので何か勉強したいと思い、そこからプログラミングに興味を持ちました。


阿部川 他にも選択肢はたくさんあると思いますが、プログラミングを選んだのはなぜでしょうか。


ダニーさん 最初からプログラミングにこだわったわけではありません。休みが結構長かったので、いろいろなことを試したいと思っていました。


 仕事につながらなくてもいいから何か勉強しようと考えてスペイン語を勉強し出したら、Webサイトやアプリケーションなどの教材がたくさんあることを知り、「自分でそういう教材(Webサイト)を作れたらいいのに」と思いました。


 そんなことを考えていた時、友達に誘われてプログラマー向けのイベントに行きました。そこでいろいろな人に「全然できますよ」「やってみればいいじゃないですか」と励まされたのです。


阿部川 それはいいイベントに行きましたね。周りの人も素晴らしい。「絶対無理だよ」とか言わないで、「やってみれば」という感じだったんですね。いいですね。それでプログラミングの勉強を始めるのですが、ほとんど独学ですよね。


エンジニアがメインのイベントに行くと、活気というか前向きなエネルギーをもらえる気がします。できるかどうか分からないけどやってみたいと思う。そんなとき背中を押してくれる仲間は頼もしいですね。


ダニーさん そうですね。そこから「1年でプログラマーになって仕事を見つける」という目標を立てて勉強を始めました。絶対にできないとは思いましたが、まずはやってみようと。2021年は毎日必死で勉強しましたね。


阿部川 すごいですね。その間も先生の仕事はしていたのですよね。


ダニーさん はい、もちろん。仕事は毎日8時半から16時15分までなのですが、不思議なことに、それを超えると叱られちゃうんです。恐らく契約内容に関する理由なのだと思いますが「絶対に残業しないでください」と言われていました。「だったら早く帰って勉強しよう」と思い、毎日16時15分ぴったりに仕事を終わって、急いで帰り16時半から勉強みたいな感じでした。16時半から20時半まで勉強したら4時間じゃないですか。それを5日間やれば週に20時間勉強できるわけです。


阿部川 社会人になって何が大変って、そういうまとまった時間が取れないんですよね。集中して勉強できる貴重な時間でしたね。


 医者を目指し、挫折したことはネガティブなことかもしれない。しかし、ダニーさんの場合、それがきっかけで「どうせやるなら楽しく」という思いが生まれ、それがさまざまな縁を結び、日本で仕事をすることにつながった。後編はダニーさんの仕事に対する思いについて伺った。


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