井上尚弥に憧れ鳴り物入りのプロデビュー「モンスター2世」坂井優太の少年時代

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2024年08月23日 10:10  webスポルティーバ

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プロボクサー・坂井優太インタビュー前編

 周囲の期待どおり、バンタム級6回戦で圧巻の2回TKOでプロデビューを飾った坂井優太。世界4団体スーパーバンタム級統一王者の井上尚弥が所属する大橋ボクシングジムの大型新人である。アマ戦績は52戦50勝(7RSC)2敗。高校6冠、世界ユース選手権優勝の実績を引っ提げ、鳴り物入りでプロ入り。『モンスター2世』と呼ばれる19歳の才能は、いかにして育まれたのか――。

【「パンチをもらわないところを見てもらいたい」】

 試合前からメディアには『モンスター2世』の見出しが並んでいた。そして、韓国スーパーバンタム級3位キム・ジヨンを迎えた6月25日の後楽園ホール。1回から前評判どおりの鋭い左ストレートを打ち込み、鮮やかな右フックのカウンターでもダウンを奪取する。鮮烈なデビュー劇を伝える記事は、井上尚弥の異名とともにすぐさまネット上を駆け巡った。予想以上に周囲の反響は大きかったが、坂井本人に浮かれた様子はまったくない。

「僕自身は、何も変わらないです。(モンスター2世と書いてもらうのは)うれしい反面、重圧もあります。それに見合った試合をしないといけないので」

 初舞台から約1カ月。あらためてプロ第1戦を振り返ると、力みがあったのは否めないという。アマチュア時代のインターハイや世界ユース選手権でも平常心を保って戦えたが、プロのリングは違った。それは不安からくる緊張ではない。

「大きな期待に応えたいという思いが強かったんです。3回、4回に倒すつもりが、1回からいってしまって。ただ、映像を見返すと、軽いパンチでもタイミングよく当たれば倒れるんだな、と思いました。もちろん、逆もしかりですけどね」

 プロでの1試合の重みは、ひしひしと感じている。キャリアの浅い段階でひとつでも黒星がつけば、将来のプランも軌道修正を強いられる。とはいえ、勝負に徹してリスクを回避した戦い方を選ぶつもりはない。リングでインパクトを残さなければ、評価が上がらないことも理解している。プロボクサーになったことを実感しながら自らに言い聞かせる。

「やっぱり、プロは魅せないと。"塩試合(つまらない試合)"のような展開になるのはよくないですよね。アマとは違いますから。ただ勝てばいいわけではないので。お客さんも面白さを求めて足を運んでくれていると思います」

 憧れのボクサーは、デビュー当初から大きなプレッシャーに負けず、期待に応え続けている井上尚弥。普段から吸収できるものは取り入れている。最もお手本にするのは、ボクシングに向き合う姿勢だ。考えて一つひとつの練習を打ち込む姿を見ていると、刺激を受けることも多い。隣にいるだけでピリッと引き締まる空気を肌で感じる。

「周囲に期待され、あれだけの重圧に毎回、打ち克てるのは、集中して1日1日の練習をしているからなんだなって」

 坂井はモンスター2世と呼ばれるが、KO率88.8%のハードパンチャーとしてファンを魅了する井上のスタイルとは違うという。兵庫県尼崎市育ちのサウスポーは、幼少期からトレーナーでもある父親の伸克さんとともにオリジナルの形を追求してきた。地元のスターである元世界3階級制覇王者の長谷川穂積、元WBC世界バンタム級王者の山中慎介らのボクシングを参考にすることもあった。

「僕には僕のボクシングがあります。最大の持ち味はフットワーク。パンチをもらわないところを見てもらいたいです。相手を翻弄し、どんどん空振りを取っていきたい。デビュー戦でも本当は、その路線でいくつもりだったんですけどね(苦笑)」

【父親との二人三脚で地道に成長】

 スタイルの原点は、ランドセルを背負っていた少年時代にある。「もともと自分は臆病。人一倍、ビビりなんですよ。パンチをもらいたくなかったんです」と冗談まじりに笑う。アマチュアエリートの肩書を持つ男に「臆病」という言葉は似合わないが、本人は首を大きく横に振りながら「幼い時はボクシングなんてする性格じゃなかったので」としみじみ話す。

 小学1年生の頃は学校でいじめられ、嫌な思いを抱えたまま帰宅することもあった。何でも許してしまうお人好しの性格が影響したのかもしれない。ある日、父親にいじめられっ子がボクシングで強くなっていくアニメの『はじめの一歩』を勧められると、幼いながらに心を打たれた。すぐにグローブを懇願し、一緒にミットを購入した父親にパンチを受けてもらうようになった。

「人間的に強くなりたかったんです。ボクシングを始めて、すごく変わりましたよ。いじめられることもなくなりましたしね。でも、次はボクシングで『あいつは弱い』と言われるようになって......。勝ち負けの世界なので誰が強くて、弱いかがはっきりしますから」

 コーチ役の父親と二人三脚で始めたボクシング。小中学生の頃は思うように結果を残せず、悔しさを味わうことのほうが多かった。ミットを持つ父は社会人野球の経験はあっても、格闘技はまったくの未経験。息子とともにイチから勉強して学んでいったようだ。

「最初はお互いに素人。見よう見まねでやっていました。もちろん、父は大人なので考える力もあり、成長速度も速かったです。学んだことを僕にいろいろと教えてくれ、それを僕が実践していく感じでしたね」

 父親はエステ関連の経営と整体師の仕事をしながら、時間を惜しまずに練習に付き合ってくれた。朝6時からロードワークをこなし、仕事終えたあとも夜の22時から近所の公園でトレーニングに励んだ。雨が降れば、整体院のなかでパンチを打っていた。目に見える成果が出るまでに時間はかかったものの、中学2年生の冬にずっと勝てなかった相手を負かし、やっと自信が芽生えた。

「打たせずに打つ」というスタイルが確立されてきたのは中学3年生の頃。しかし、手応えをつかみつつあった15歳の名前が、全国に轟くことはなかった。2020年当時はコロナウイルスが世界で猛威をふるい、日本のボクシング界にも暗い影を落としていた。国内の大会はことごとく中止。坂井はコロナ禍の自粛期間中のことを、いまでもよく覚えている。

「父とふたりでマス(寸止め)ボクシングをしていたのは印象に残っています。父はうまくて、中学生までは僕もやられていました。スイッチ(左右のスタンスを替える動き)もできて、相手の得意なパンチを研究し、『こういう攻め方をしてくるから』と教えてくれることもありましたね」

 コロナ禍のなかでも練習は積み重ねていたが、目立った実績を残していない中学3年生に名門高校から特待生の誘いはなかった。進学先に選んだのは私立の強豪ではなく、兵庫県内でボクシング部を持っている公立の西宮香風高校。前身は市立西宮西高校。ボクシング部には歴史があり、ノンフィクション作家の後藤正治さんが書いた作品『リターンマッチ』の舞台になったことでも知られている。坂井家にとっては経済的な事情に加え、小中学校から練習に参加させてもらった縁もあったという。

何より父親を安心させたのは、勝負よりも『選手を無傷で親御さんに返す』というボクシング部の方針だった。高校入学後、『打たせず打つ』のスタイルにさらに磨きがかけることになる。まだこの時、坂井がアマチュアのエリート街道を突き進んで行くことを想像できた人はほとんどいなかった。

後編「坂井優太が覚悟 父と二人三脚で世界王者を目指す」につづく>>

【Profile】坂井優太(さかい・ゆうた)/2005年5月27日生まれ、兵庫県出身。身長173cm。幼少期から父・伸克さんの手ほどきを受けながら独学でボクシングを始め、西宮香風高に入学すると1年目から2年連続インターハイ制覇など高校6冠、2年時には世界ユース選手権優勝を果し、トップアマとしての地位を築く。大橋ジムからの誘いをきっかけに、プロ入りを決断。2024年6月25日に2回TKOでプロデビューを果たした。
次戦は10月17日(木)、後楽園ホールにて「Lemino BOXING PHOENIX BATLLE 123」8回戦vs.対戦相手未定。

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