誰もが憧れたフォームの持ち主・平松政次は「ああいうふうに投げてみたいな」と江川卓のを真似た

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2024年08月23日 18:51  webスポルティーバ

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連載 怪物・江川卓伝〜平松政次がうらやんだ唯一無二の能力(後編)
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前編:大洋のエース・平松政次が語る江川卓はこちら>>

 野茂英雄の"トルネード投法"や村田兆治の"マサカリ投法"、特殊なところでは小川健太郎の"背面投げ"など、個性的なフォームでプロ野球界を席巻した投手がいる。フォームひとつとってみても超人的な投げ方でファンを沸かせる。これもプロ野球の醍醐味のひとつである。

【理に適った江川卓の投球フォーム】

 そんななかで平松政次のフォームは、カッコいいフォームとしてプロの投手からも垂涎の的だった。典型的な本格派スタイルでダイナミックかつしなやかで、誰よりも美しかった。

 振りかぶって、右の軸足を曲げてから体重移動する際にテイクバックをこれでもかというくらい大きく広げると、グラブを持つ左手は天に向かって伸びる。真似しようにも、体全体のバネが必要なため、相当な筋力が必要になる。

 平松は自身のフォームについてこう語る。

「フォームに関して、聞いたり、教わったりというのはないです。プロに入った時に、金田正一さん、小山正明さん、村山実さん、稲尾和久さんを参考にしたっていうか、オープン戦や公式戦でしっかり目に焼きつけて、宿舎に帰ってからシャドーピッチングをしていましたよ。そうやって、自然とできあがったのかなと思います。

 でも、私のフォームなんかよりも、江川のフォームのほうがすごいんです。江川のフォームは、やっぱり理に適った理想の投げ方なんです。だから現役時代、江川のフォームを真似したことありますよ」

 プロの投手からも憧れるほどのダイナミックで華麗なフォームの平松が、江川のフォームを真似た──まさかの発言が飛び出し、思わず耳を疑った。柔和な顔立ちだが、目の輝きだけは鋭いものがある。リップサービスで言っているのではないことは、すぐにわかった。はたして、その真意とは?

「カッコいいのと、ボールが走るとはまた違いますからね。江川の小さめのテイクバックからトップの位置にくるっていうのが、なんとも理に適っている。

 私の子どもの頃は、テイクバックはものすごく大きくするというのが当たり前だった。金田さんも『テイクバックは大きく』って言っていました。私なんて、テイクバックを大きくしすぎて、トップの位置に持ってくるまでけっこう遠回りしていましたよ。それを江川の場合は、軽くスパッという感じで投げるんですよね。それがうらやましくてね。それで真似て練習したことあります。誰にも見せずに、内緒でやっていました」

 平松のフォームを見る限り、足、腰の力をフルに使って、ダイナミックに投げるゆえ、一球に要するエネルギー量が必要以上に消費しているように思える。当時はエースといえども、先発、抑えとフル回転していたため、かなり体を酷使していたに違いない。

「『ああいうふうに投げてみたいな』という感情が湧き立って、真似しました。とにかく江川のフォームは、ほんとにすばらしい。

 1980年の開幕戦で江川と投げ合って4対3で勝ちましたけど、あの頃のスピードガンで、お互い最速は149キロ。でも、私は3、4回を過ぎると141、142キロぐらいになるんだけど、江川は最後までスピードが落ちない。この試合はリリーフしてもらって、9回裏にスキップ・ジェームズが江川から同点ホームランを打って、延長で勝ったんですよね。それは覚えています」

 平松は1984年に引退するまで、江川とは9試合先発で投げ合っているが、この1980年の開幕戦のみ覚えているという。やはり投手にとって開幕戦に先発する意味は大きく、そのシーズンのチームの顔として投げるため、鮮明な記憶として残っているのだろう。

 先発で投げ合った9試合のうち5試合が、引退する1984年に集中していた。

「たまたまの巡り合わせだと思うけど、江川にかなりサービスしちゃったかな」

 平松は目尻を下げ、朗らかな笑顔を見せた。

【打席から見た江川卓のボールは?】

 平松は、プロ18年間でホームランを25本打っている。投手の歴代通算本塁打数でも金田正一38本、別所毅彦35本、米田哲也33本に次いで4位である。バッター平松から見て、江川のボールはどうだったのだろうか。

「当然、打席には立っているでしょうけど、覚えてないね。打つことは好きだし、記憶に残っていないとおかしいと思うんだけど、バッターボックス内では速いとかすごいとか、そんなことは感じてないんだよね。ホームランを打ちたいとか、ヒット打ちたいとかはあったでしょうけど......」

 そして平松は、心底惜しむようにこう語った。

「江川の能力だけをみたら、300勝してもおかしくない。それほど素材的にすばらしく、持って生まれた天性はピカイチ。我々なんかも、親からピッチャーになるような体をもらったという話はしますけど、江川は歴代のプロの投手を見ても、素材は一番だったんじゃないかな。

 金田さんは400勝していますけど、素材的には江川のほうがすごいんじゃないかなと思うよ。300勝している小山正明さん、米田哲也さん、鈴木啓示、稲尾和久さんは278勝ですけど、そのクラスに江川の名前が入っていないというのは不思議でしょうがない。天から授かった余りある才能を存分に発揮できないまま、成績も平凡なものに終わってしまった。それが本当に残念ですよね。あんなにすごい投手だったのに......」

 カミソリシュートで一世を風靡した平松が、江川の能力を本気でうらやましく思い、「すごい」を連発し、プロ野球史上ナンバーワンの素材だったと公言する。だからこそ平松は、江川の才能が100%発揮できなかったことを、今でも悔しく思うのだった。

(文中敬称略)


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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