イオンが手掛けた“謎の百貨店”「ボンベルタ」 密かに姿を消した理由とは?

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2024年09月20日 07:51  ITmedia ビジネスオンライン

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31年の歴史に幕をおろしたボンベルタ成田(撮影:淡川雄太)

 日本各地で地域のシンボル的存在だった百貨店の閉店倒産廃業が相次いでいる。


【写真】新装開業当日の「そよら成田ニュータウン」。バス停には「ボンベルタ」の文字が残る(撮影:淡川雄太)


 2024年1月には島根県唯一の百貨店「一畑百貨店」が廃業、5月には鹿児島県唯一の百貨店「山形屋」が事業再生ADRによる私的整理を開始、7月には岐阜県唯一の百貨店「岐阜高島屋」が閉店した。百貨店の支援や跡地活用に向けた取り組みは、これらの地域にとって喫緊の課題となっている。


 そのような状況下、千葉県成田市の百貨店「ボンベルタ」がひっそりと姿を消した。


 日本を代表する流通大手、イオングループが手掛けるものの、全国的知名度は皆無。千葉県民でも知る人ぞ知る存在だった百貨店は、イオンの今後の戦略に新たな道を示していくこととなる。前編、後編の2回にわたって紹介する。


●“謎の百貨店”ボンベルタ、なぜ生まれた?


 イオンの前身「ジャスコ」を始めとする総合スーパーは、高度経済成長や大量生産・大量消費社会を追い風に業界内での影響力を向上。1972年にダイエーが三越を抜き小売業界首位となるなど、百貨店に代わり「小売の王様」としての地位を確立しつつあった。


 一方、総合スーパー各社は競合他社との同質化、地方展開に課題を抱えており「何でもあるが欲しいものはない」と評する客も当時からみられていた。


 小売業界首位となったダイエーは外資系百貨店「プランタン」を設立。大手百貨店「高島屋」や経営基盤の脆弱な地場百貨店各社への出資を通し接近することで、消費者ニーズの多様化・高度化といった課題の解決を試みるが、ジャスコも同様の取り組みを打ち出していた。


 ジャスコは1969年2月に西日本地場大手スーパー3社の共同仕入機構として設立した経緯もあり、1976年8月の千葉地場老舗百貨店「扇屋」との経営統合、1977年8月の茨城地場老舗百貨店「伊勢甚」との経営統合まで首都圏での影響力は乏しかった。


 扇屋・伊勢甚はともに、三越や松坂屋といった大手百貨店各社と仕入調達や販促面で業務提携を結びつつ、総合スーパーや飲食サービス、金融業など関連領域に業容拡大を図るなど、地域の代表企業として存在感を示しており、ジャスコの首都圏での店舗展開の足掛かりとしての役割を担った。


 一方、ジャスコの業界内での規模は同業大手と比べ依然として下位にあり、再開発ビルの商業核といった「一流の地」でなく、「二流の地」しか店を構えることができない要因となった。


(関連記事:「二流の地」から「流通の覇者」へ イオンが成功した出店戦略とは)


 そこでジャスコは、1978年度に都市計画が決定した「上尾駅東口第一種市街地再開発事業」の商業核として、伊勢甚や扇屋のノウハウを生かした新たな百貨店業態を立ち上げる方針を表明。1983年1月に同社初となる百貨店1号店「ボンベルタ上尾」を埼玉県上尾市に開業したのだった。


 フランス語「ボン(Bon)」とイタリア語「ベルタ(Belta)」を組み合わせた外資系百貨店風の屋号と業態は、都市のブランドイメージ向上に結び付く百貨店業態を要請する地元政財界や再開発組合の声に応えたものであり、ジャスコにとっても同業との差別化や専門店の誘致交渉にメリットがあった。ボンベルタの屋号は、1988年5月の橘百貨店(橘ジャスコ)建替新装開業、1989年2月の伊勢甚社名変更にあわせ、グループの百貨店共通ブランドとして発展することとなる。


 その過程で1992年3月にジャスコは従来型百貨店と一線を画す新店舗を立ち上げることとなる。それが「ボンベルタ成田」だ。


●「タヌキやキツネの出るところ」


 ボンベルタ成田は1992年3月に千葉県都市公社(現千葉県まちづくり公社)の商業核として開業。開業当初は4フロア、店舗面積は1万8500平方メートルであったが、郊外型百貨店としては日本最大級の規模を誇っていた。


 ボンベルタ成田では、首都圏郊外の新興住宅地「成田ニュータウン」という立地特性を生かし、イオンが当時合弁事業として展開していた外資系「ローラアシュレイ」「ボディショップ」といった日本では新進気鋭のブランドに加え、老舗呉服系百貨店との力関係を背景に総合スーパー系への入居に消極的だった、いわゆる百貨店アパレル「三陽商会」「オンワード」「レナウン」のブランド、ダイエー系食品スーパー「マルエツ」を始めとする日常利用を想定した専門店を多数導入するなど、百貨店とモールの融合を志向した。


 開業当初の商圏は成田市と近隣町村であったが、本館5階駐車場フロアへの増床や複合アミューズメント施設「ジャスコスペースレーン(現ラクゾー)」の導入、成田空港最寄りという立地特性を生かしたドル紙幣の受け入れを行うなど、ユニークな試みを打ち出すことで集客力向上を図った。


 さらに、1999年10月にはイオン系外資系大型家具インテリア雑貨店「Rooms To Go」と家電量販店「石丸電気」を核とする別館2棟を新設。店舗面積の制約から実現困難だった家具家電を導入することで、衣食住のフルライン化を果たした。


 宇治知英・イオンリテール執行役員南関東カンパニー支社長によると、ボンベルタ成田は最盛期「北側は川を渡って茨城県南部、東側は佐原あるいは(50km以上離れた)銚子」という超広域な商圏設定を掲げていたが、商圏設定の根拠に「百貨店という業態」があったという。


 ボンベルタ成田をめぐる一連の試みは、イオンの前身となる呉服店「岡田屋」の社訓「大黒柱に車をつけよ」「タヌキやキツネの出るところ」に通ずるものがあり、同時期に開業したアミューズメント複合商業施設「ジャスコノア店(現イオンノア店)」とともに郊外シフトを体現する施設として、グループの旗艦店としての立ち位置を示した。


●郊外型百貨店の挫折


 イオンは、ジャスコノア店などで培った郊外型ショッピングセンター、ボンベルタ成田で培った郊外型百貨店を発展させるかたちで、自社総合スーパーと百貨店による2核1モール型商業施設の確立をめざすこととなる。


 1994年5月に東北地場大手百貨店「中三」と資本業務提携を締結、1995年にセゾングループ中核企業であった「西武百貨店」と合弁会社を設立するなど、百貨店各社との提携を拡大。1996年4月には宮崎県延岡市の旭化成と地場百貨店連合「YAAC」による百貨店計画を引き継ぐかたちで「ジャスコ」「ボンベルタ橘」を核とする2核1モール型商業施設「延岡ニューシティ」を開業するなど、全国各地に広がりをみせた。


 これらの試みのうち、秋田中三やボンベルタ橘延岡ニューシティは地元との調整や狭小な売り場面積を背景に、高級衣料装飾品といった非食品分野に特化した店舗づくりを余儀なくされたこと、西武百貨店との提携も同社経営再建による新店への投資抑制やイオンと競合関係にあるセブン&アイHDとの接近で愛知県岡崎市の1店舗にとどまるなど、いずれも不発に終わった。


 その後もイオン系不動産ディベロッパー「ダイヤモンドシティ(現イオンモール)」が、三越との業務提携や新日鉄・阪急系再開発計画を引き継ぐかたちで、2核1モール型商業施設の多店舗化を試みるが、百貨店運営会社の再編や都心旗艦店への経営資源集中、売り場の魅力不足、リーマン・ショック――といった経営環境の変化が災いとなり、短期間で姿を消した。また、ボンベルタ各店舗に関しても店舗老朽化や自社系施設間競合により、成田1店舗を残すのみとなった。


 一見失敗のようにみえるイオンによる百貨店への挑戦であるが、イオン系商業施設は着々と百貨店に代わる「ハレの日」に相応しい存在として進化を続けていた。


 イオンは2003年11月に同業流通大手のなかでも高級路線を採っていた「マイカル」を完全子会社化。経営破綻が相次ぐ地方百貨店の受け皿として、イオン系商業施設でもオンワードの「23区」「組曲」といった百貨店アパレルがみられるようになった。


 また、2006年3月の「オリジン東秀」買収にあわせて、同社のノウハウを生かした総菜新業態を立ち上げ、新店舗では銘菓総菜ともにデパ地下を意識した配置に移行。同年4月のイオン高知を皮切りに提案型衣料品フロア「イオンスタイルストア」を展開するなど、地方百貨店と遜色ないグレードの高いフロアを実現しつつあった。


 ダイヤモンドシティは2005年11月の三越との業務提携発表当時、「今まで以上に市場性を加味したSC(ショッピングセンター)の性格付けやモール専門店の構成など、MD(マーチャンダイジング、商品政策)面でのさらなる向上」を挙げており、一連の試みはイオンの高質化に大きく貢献したといえる。


●「脱百貨店」路線が鮮明に


 イオン自体が高質化する一方、デパートメントストア事業に属していた「ボンベルタ成田」のセグメントは、2007年11月に橘百貨店(ボンベルタ橘)がイオングループから離脱したことで「専門店事業」扱い、2010年2月期には「総合スーパー事業」扱いとなるなど曖昧となってゆく。


 2012年春の全館リニューアルでは、自社独自の会員カード「BonBeltaWAON」の発行による顧客のロイヤルカスタマー化を狙った一方、総合スーパー業態と同等の売り場を大幅に拡大。2018年9月には新たなコンセプトとして「新発見×再発見」を掲げ、1階に「イオンドラッグ」「ホームコーディ」といったイオン直営店、3階に「マックハウス」「ABC-MART」「Seria」といった大型専門店を段階的に導入するなど、脱百貨店路線が鮮明となる。


 開業当初からの特徴であった正面玄関前の化粧品フロアや高級衣料フロアは2階に集約するかたちで存続となったが、コロナ禍でオンワードHDが約1400店舗を閉鎖、レナウンが経営破綻した影響を受け、「23区」「自由区」「ダーバン」「シンプルライフ」「イーストボーイ」といった集客力の高い百貨店アパレルを喪失することとなった。


 ボンベルタ成田も北総地域で唯一の百貨店として高齢層を中心に支持を得ていたというが、純利益3億円程度の赤字が続くなど経営状況が芳しくなく、イオンリテールへの吸収合併と新業態「そよら」旗艦店への転換のため、2024年2月28日をもって歴史に幕をおろした。


 イオンにとってボンベルタ業態の位置付けが曖昧となっていたこと、日本百貨店協会加盟店のみ百貨店と認識されている状況もあり、同店の閉店は他百貨店ほど報道されることはなかった。


 後編では、ボンベルタに代わる新業態「そよら」の行方を追う。


(著者:淡川雄太/都市商業研究所)



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