欧州サッカースタジアムガイド2024-2025
第16回 ユヴェントス・スタジアム (Juventus Stadium)
ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第16回目はアリアンツ・スタジアム(Allianz Stadium)ことユヴェントス・スタジアム(イタリア)。
イタリアで2番目に古い歴史を持ち、セリエA最多の優勝を誇るクラブがユヴェントスだ。FWアレッサンドロ・デルピエロやGKジャンルイジ・ブッフォンら、最も多くのイタリア代表選手を輩出し、MFミシェル・プラティニに始まり、MFジネディーヌ・ジダン、FWクリスティアーノ・ロナウドら多くの世界的スター選手がプレーしてきた。
本拠地トリノは北イタリア、フランスに近い工業都市で、ピエモンテ州の州都で人口約90万人のイタリア第4の都市だ。その歴史は古く、古代ローマ時代以前にはトリノの語源ともなった、牛の人々を意味するタウリーニ人 (Taurini) が住んでおり、紀元前1世紀にはローマ帝国によって都市が造られたという。
白黒のユニフォームから、イタリア語で「白黒」を表す「ビアンコ・ネロ(bianconero)」や、「老貴婦人」という意味の「ラ・ヴェッキア・シニョーラ」(La Vecchia Signora)という愛称で呼ばれている。1897年、高校の生徒により「Sport Club Juventus」として設立。Juventus(ユヴェントス)とは、ラテン語で「若者、青春」を意味する言葉だ。
1923年、自動車会社FIAT(Fabbrica Italiana Automobili Torino)社オーナーのエドゥアルド・アニェッリがクラブを買い取り、名誉会長に就任。これが現在まで続くアニェッリ家のクラブと関係の始まりで、チームは強豪としての地位を築いた。現在アニェッリ家の人間がクラブの会長職にこそ就いていないが、それでもオーナーとしてクラブと深く結びついている。
ユヴェントスのホームスタジアムは、トリノの中心地から北西に7キロほど、電車やバス、そして徒歩も入れて1時間ほどのところにある「ユヴェントス・スタジアム(アリアンツ・スタジアム)」である。
かつて同じ場所にあったホームスタジアムは、1990年にもともとトリノ市の所有でオリンピックなどを想定して創設された「スタディオ・デッレ・アルピ」で、陸上トラックなどもあり「試合が見にくい」と、とにかく評判が悪かった。だが、2002年にユヴェントスが権利を市から買い取り、イタリア初となるクラブが所有するスタジアムとして全面改装。改装中は2006年のトリノオリンピックのメイン会場だったスタディオ・オリンピコを間借りしていた。
「イタリアの恋人」とも称されるユヴェントスは、旧スタジアムを取り壊して新スタジアムの建設を計画していた。しかし2006年に八百長事件のため、クラブ史上初めてセリエBに落ちる憂き目にあった。その影響もあり、新スタジアムの建設にも遅れが生じてしまったが、ユヴェントスは1シーズンでセリエAに復帰した。
2011年、「このスタジアムはサッカーを変える」をモットーに、新スタジアム「ユヴェントス・スタジアム」をオープンさせた。鉄塔による吊り屋根は、以前のスタジアムを模したという。
ポストモダン様式で、環境にも配慮した国内初のバリアフリースタジアムとなり、スタジアムのある緑の丘の輪郭に沿った広いスロープのある4つのコーナーエントランスを通り、スタジアムを囲むリングへと続いていく。客席とピッチの間隔もグッと縮まり、収容人数は41,000人で、今ではほとんどの試合が満員となっている。
スタジアム周辺には「ユヴェントスミュージアム」というクラブの歴史がわかる優勝トロフィーが展示されたミュージアム、イタリア最大規模を誇るオフィシャルショップ、ショッピングモールなども併設される複合施設となった。この複合施設はトヨタカローラやBMW、アルファロメオなどの多くの自動車やオートバイ、カメラをデザインしたイタリアの著名な工業デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロによってデザインされた。
1985年のチャンピオンズカップ決勝のユヴェントス対リヴァプール時に起きた「ヘイゼルの悲劇」に捧げる部屋もある。またスタジアムの2階の通路の地面には「スターの道」というユヴェントスの歴史の中で最も代表的な選手たちが称えられている、いわゆる「ウォーク・オブ・フェイム」が建設された。このエリアは、床が50のセクターに分けられ、それぞれに金色の星が飾られている。星は1.85mの白黒五角形の中にあり、それぞれにクラブの歴史を作った選手の名前が刻まれている。また、銀色のプレートには、獲得したタイトルなど、チームで活躍した期間に関連する情報が刻印されている。
また、この道には1985年にブリュッセルで起きた「ヘイゼルの悲劇」の犠牲者の名前が刻まれた39個の銀の星も含まれている。これらは、その年のキャプテンであったガエターノ・シレアに捧げられた金の星の隣に設置されている。
その後、「Accendi una stella(星に火を灯そう)」という取り組みにより、ユヴェントスファンが、自分の応援する選手の星の周囲の床を少しずつ「購入」し、自分の名前を刻むことが可能になった。このプロジェクトは、ユヴェントスファンでもある俳優のピエトロ・セルモンティが演じる、ユヴェントスに所属する変わり者のジュリオ・チェーザレというキャラクターのコマーシャルによって大きく宣伝された。
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ちなみに2011年9月8日、新スタジアムのこけら落としとして、ユヴェントスの白黒のユニフォームの元になったとされるイングランドのノッツ・カウンティを迎えて対戦し1−1で引き分けた。
フランスに本部を持つスポーツマーケティング会社のSPORTFIVE社が2023年まで12年間の命名権を7500万ユーロで獲得したものの、スタジアム名は「ユヴェントス・スタジアム」のまま使用していた。だが2017年からは保険会社がネーミングライツを獲得し、「アリアンツ・スタジアム」となり、2030年までの契約を結んでいる。なおアリアンツを冠するスタジアムは世界で8つあり、2022年からオーストラリアにある「シドニー・フットボールスタジアム」も命名権で「アリアンツ・スタジアム」となり、イングランドのラグビーの聖地である「トゥイッケナム・スタジアム」も今年から「アリアンツ・スタジアム」とり、ユヴェントスのホームと同じ名前となった。
新しいスタジアムを使用し始めた2011−12シーズンからはセリエAで9連覇を達成し、優勝回数を34へと伸ばした(クラブは八百長事件で剥奪された2回の優勝の正当性を訴えており、優勝回数は36としている)。
だが、2020年代に入ってから、ユヴェントスはやや低迷しており、セリアAのタイトルを獲得することができていない。昨季も3位に終わり、今季から元イタリア代表で、昨季までボローニャを率いていたチアゴ・モッタが監督に就任した。「アリアンツ・スタジアム」で白星を重ね、5シーズンぶりにセリエAを制したい。