【前編】「初代うたのおねえさん」イメージ守るために受けた“私生活の徹底管理”から続く
今年、放送65周年を迎えたNHKの幼児向け番組『おかあさんといっしょ』。番組の中で歌のコーナーに登場するのが、おなじみ「うたのおねえさん」。その初代は、童謡歌手の眞理ヨシコさん(85)だ。眞理さんは60年以上にわたり、歌を通じて子どもたちに笑顔と元気をもたらしてきた。
東京藝術大学音楽学部声楽科在学中だった’61年4月、初代うたのおねえさんに就任した眞理さん。
「最初にこのお話をいただいたときは、私も若くて、子どもの歌を歌うことをそれほど深くは考えていなかったと思うんです。でも、毎日、歌い続けていくなかで、わずか10分間の番組でしたが、その子の人生の先々までつながっていく大切なものを今、歌を通して手渡していると、そんな思いを持つようになっていました」
童謡界のカリスマであり、いまなおステージに立ち続けている眞理さんだが、ずっと歌い続けてきた、だれもが知る童謡の練習をいまも欠かさないのだという。
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「とっても難しかったのが、『ぞうさん』。簡単そうに聞こえていると思います。でも、いつも一生懸命に練習して歌っています。テクニックの話ではなくて、自分なりにどう解釈するかを、私は大切にしたいのです」
誰もが口ずさめる国民的童謡を、超がつくベテランの眞理さんが、今でも模索しながら歌っているという事実に驚かされる。
「お鼻が長いという表現が歌詞に出てきます。みんなと違うわけですね。昨今の子どもを取り巻く状況を考えると、他者と違うことで、いじめなどの悩みもあるかもしれないということまで想像します。でも、お母さんを見ると、僕と一緒だと思って安心できて、お母さんを好きな気持ちをたしかめる。いろんなことを考えながら歌うと、ただのお鼻が長いだけじゃなくなるんです」
子ども番組に14年近く出演したあとは、女優やラジオDJにも活躍の場を広げた。’79年からのNHKの人形劇『プリンプリン物語』では、うたのおねえさんのイメージを一転、いわゆる悪役も熱演。しかし、新たなジャンルへの挑戦を続けるなかでも、童謡を歌うことはけっしてやめなかった。自ら主催し童謡コンサートを開くなどして、’83年には、その功績が認められ日本童謡賞を受賞。
「日本中が豊かになって、子どもたちの周囲の音楽もアニメやCMソングばかりに。同時に、彼らを取り巻く社会環境も激変。お受験などもあって、時間に追われる子どもも増えたように見えました。ずっと子どもたちを見守ってきた私には、彼らにとって大切なものが置き去りにされているような思いが日増しに強くなってきたんです。
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幼いころから何度も教え聞かせていく歌は、大人になっても色あせることのない、人としての大切な価値となって、それぞれの心に息づくものと信じてますから」
今こそ童謡を歌い続けていくことが大切だと再確認していたとき、福島県の広野町から連絡が。広野町は、『とんぼのめがね』や『汽車』など、今も歌い継がれる名曲にゆかりのある「童謡のまち」として知られる。
「子どもの歌の音楽会のプランでした。『町を挙げて新しい童謡も作りたい』とおっしゃって、私は二つ返事で、『いっしょにやってまいりましょう』と承諾しました」
それが現在まで30年にわたって続く、ひろの童謡まつりだ。
「途中には東日本大震災での中断もありましたが、町の人たちが復興に向けて、童謡も町づくりの一つの核として奮闘する姿に、私たち歌い手もパワーをもらいました」
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現在では、広野町童謡大使に加えて、福島県教育復興大使の役も担っている。
今年のひろの童謡まつりの本番ステージ。『赤とんぼ』や『青い地球は誰のもの』など名曲に続き、最後は会場の全員で『故郷』を歌ったあと、眞理さんからこんなメッセージが。
「みなさんと歌っていると、いつまでも歌っていたい気持ちになります。また来年も、この場所でお会いしましょう」
11月5日には、東京都品川区のきゅりあん小ホールにて、眞理さんら7人の歌手が出演する第6回「じゃんけんぽんコンサート」が開催された。
今年の日本童謡賞特別賞を受賞した集まり「令和じゃんけんぽん」を、眞理さんが発起人となって歌手仲間ら20人ほどと結成したのが5年前。
「大切な子どもの歌を途絶えさせてはいけないと思って、まわりの歌い手に声をかけたら、世代は違っても誰もが同じことを考えていたんです。『ねえ、自分たちの歌いたい歌を歌うっていうのもよくない?』と、(3代目うたのおにいさんの)たいらいさおさんたちに話したら、『いいですね』と。
コンサートでは、かつて『おかあさんといっしょ』を楽しんでいた子どもがママやパパになっていて、『ぼよよん行進曲』では、その元ちびっ子のパパが、わが子を持ち上げている。今では4世代にわたるファンもいらっしゃいます」
子どもの歌を残していかねばとの眞理さんの思いは、確実に次世代に受け継がれている。師弟の関係でもある西山琴恵さんは言う。
「もう30年近い付き合いです。常にいわれるのは、『歌の背景まで知るために、繰り返し詞を読み、作った人のことまで学びなさい』ということ。眞理さん自身、数々の名曲が生まれたとき、リアルタイムでそれを作った先生と食事したり、手紙をやりとりしたりして聞き出していて、今、その歌の心まで私たちに伝えてくれます。
素顔は、歌も生き方も正直な方。ですから、ステージで気を抜けば『歌に心がこもっていない』と、愛あるダメ出しもしてくれます」
最近は、こんなうれしいことがあったと眞理さんは振り返る。もう40年も通い続けている、埼玉県の幼稚園でのエピソードだ。
「園児の子たちと、私たちオリジナルの『じゃんけんぽんのうた』を歌っていると、園長先生が申し訳なさそうに、『まだ1番しか覚えてません』と言う。それで私だけで2番を歌い始めたら、最後は子どもたちも歌詞をすぐに覚えて、みんなの大合唱になってたの。
ああ、子どもって、歌でも何でも、どんどん吸収する無限の可能性があるんだなと思ったら、私のほうが感激して、歌いながら泣いていました」
そんな子どもたちの可能性を前に、声の続く限り歌い続けたい、と言う。そして、
「もうじき12月4日には自分のバースデーも来ますが、この年になって、いつか日本中の幼稚園などで『じゃんけんぽんのうた』の歌唱コンクールをやりたいという、新しい夢もできました」
「いっしょに歌おうよ」――。
初代うたのおねえさんは、今日もやさしく子どもたちにほほ笑みかける。
(取材・文:堀ノ内雅一)
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