「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に

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2025年02月07日 09:01  日刊SPA!

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(Photo by Adobe Stock)
 学校の先生は子どもたちに、「みんなで、よく話し合って決めなさい」とか「話し合いでは積極的に自分の意見を発表しなさい」と指導している。その先生たちは、よく話し合い、積極的に意見を述べているのだろうか。どうも、そうではないらしい。その典型例が、職員会議だ。
 学校の教職員全員が出席する場が職員会議で、「最高意思決定機関と位置づけされていた時代もありました」と30代後半の公立小学校の教員は言った。職員会議で決まったことに校長も逆らえないし、校長の方針も職員会議であっさり否定されることも珍しくなかったらしい。職員会議は強かったのだ。

 ただし、いまは変わってしまった。先生が積極的に意見を述べる場ではなくなっているし、校長への異論を唱えるなど、もってのほかの場と化している。

◆職員会議は「校長の職務の円滑な執行を助けるもの」に

 理由は、法律で位置付けられてしまったからだ。2000年に学校教育法施行規則の一部改正が行われ、それまで明確な位置づけがなかった職員会議が「校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる」とされた。

 これだけではわかりにくいけれども、この法律改正に関連して各教育委員会などに向けてだされた文科省の「通知」を読めば、その狙いがはっきりとわかる。そこには、「職員会議についての法令上の根拠が明確でないことなどから、(中略)職員会議があたかも意志決定権を有するような運営がなされ、校長がその職責を果たせない場合などの問題点が指摘されている」とある。校長の意志を無視して職員会議で決めてしまうなどトンデモナイ、という前提になっている。そして職員会議を、校長の職務の円滑な執行を助けるものと位置付けたのだ。

 つまり、校長に逆らって学校の方針を決めるような場ではなく、校長の「補助機関」でしかないとしている。最高意思決定機関から校長を助ける機関へと、位置づけがガラリと変えられてしまったことになる。

◆ただ決まったことが伝達されるだけ…

「補助機関」となった職員会議では、何が行われているのだろうか。先ほどの小学校教員は、「ただ決まったことが伝達されるだけの場です。校長と議論したり、教員同士が意見を戦わせることもありません」と説明する。「職員会議は伝達する場です」と言い切る校長も珍しくないそうだ。もはや「会議」ではなく、「伝達会」でしかない。

 では、職員会議で伝達される「決まったこと」は、どうやって決められているのだろうか。それについて、「校長や教頭、一部の役職教員で構成する会で決められます」と説明してくれた。その会は企画会とか企画調整会、運営委員会など学校によって呼び方は違うらしいが、校長をはじめとする、いわゆる「幹部」だけで構成されている。「ヒラの教員のあいだでは『偉い人会議』と呼んでいます」と、小学校教員は笑った。

◆「校長のイエスマン」ばかりが集まることに

 学校運営の方針など重要なこともすべて、この「偉い人会議」で決められる。そうして決まったことが職員会議で伝達され、多くの教員は「承りました」となるのだそうだ。それが、現在の職員会議の実態である。

 せめて「偉い人会議」で真剣な議論が闘わされて決められるのなら、少しは救いがあるのかもしれない。しかし実際は、「偉い人会議」で議論が闘わされることは、めったにないという。

 というのも、メンバーが教務主任などの「役職者」ばかりだからだ。学校内で役職者になるには、校長に気に入られる必要がある。校長に逆らってばかりいるようでは、まず「偉い人」にはなれない。ということで、「偉い人会議」には「校長のイエスマン」ばかりが集まることになり、議論にならないのだ。そうした「偉い人会議」で決まったことが職員会議で伝えられ、先生たち黙っては従わなければならないのだから、結果的に校長の権限ばかりが強くなる。いまの学校は、そういうことになっている。

「大事な学校の運営方針くらいは教職員全員の意見を聞き、議論して決めるべきだと私は思います」とも、先の小学校教員は言った。そうなっていないのなら、先生たちが「発言させろ」と校長に迫ってもよさそうなものである。それを質問してみると、次の答えが戻ってきた。

◆言われたことを黙ってやればいい

「特に若い先生の多くは、職員会議は自分たちが発言するところではないと考えているようです。時間をとられたくないから、意見を述べたくもないし、学校運営なんかにかかわりあいたくない、と思っている先生も多い。言われたことを黙ってやればいい、と考えている」

 これでは、職員会議が議論する場に戻るはずがない。そして職員会議で発言したくない先生も、子どもたちには「よく話し合って決めなさい」と指導する。そこに矛盾を感じていないのだろうか。

「矛盾を感じている先生は少ない気がします。『話し合いなさい』と生徒を指導することも、職員会議で自分たちが発言できないことも、『そういうものだ』と受け取っているのかもしれません」と言って、小学校教員は笑った。

 職員会議を伝達会議として納得してしまっている先生の「意見を言いなさい。話し合いなさい」という言葉を、子どもたちはどう受け取られているのだろうか。

<取材・文/前屋毅>

【前屋毅】
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。ジャーナリストの故・立花隆氏、田原総一朗氏のスタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーランスに。流通、金融、自動車などの企業取材がメインだったが、最近は教育関連の記事を書くことが多い。日本経済が立ち直るためにも、教育改革が不可欠と考えている。著書に『教師をやめる』(学事出版)、『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)などがある。

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