
3月11日、いしだあゆみさんが甲状腺機能低下症のため都内の病院で息を引き取った。76歳だった。
「大阪で育ったいしださんは、スカウトされて中学生で芸能界入り。1968年の20歳のときにリリースした『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒットして一躍スターになりました。30歳ごろからは俳優業に専念するようになり1983年にはTBS系ドラマ『金曜日の妻たちへ』などの作品に出演。その高い演技力が評価され、数々の賞も受賞しています」(スポーツ紙記者、以下同)
訃報を受けて、和田アキ子や小林幸子などの芸能人が続々と追悼コメントを発表。いしださんが出演した『北の国から』の脚本家である倉本聰氏も、
《どんなタイプの役も演じられる本当の女優さん》
と、その死を惜しんだ。
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誰もが認める国民的女優だったが、その私生活はベールに包まれていた。
“甥”に聞いた生前のいしださん
「1980年にショーケンこと萩原健一さんと結婚を発表も約4年で破局するなど世間を騒がせたこともありましたが、還暦を迎えてからは、ものを極力持たないシンプルライフを実践していたようです」
孤高の女優でもあったいしださん。2020年に亡くなった作詞家のなかにし礼さんの息子で、いしださんの甥である音楽プロデューサーの中西康夫氏に、生前の印象を聞いてみると、
「伯母は夜7時ごろには寝て、深夜から早朝に起きるという生活で、身の回りのことは一人でやっていました。一時期、同じマンションに住んでいたのですが、そんな生活リズムですから、一緒に食事することもなく。たまにエントランスですれ違って挨拶するぐらいでした」
身内にも一線を引いていたようだが、関心がないわけではなかった。
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「私は雑誌でエッセイを連載していたのですが、伯母から“康夫は文才あるわ”と電話で激励してもらったことがあります。私の仕事を気にかけてくれていたのだと思います」(中西氏、以下同)
復帰への意欲を語っていた
最後にいしださんと会ったのは、亡くなる1週間前だったという。
「伯母の妹にあたる、私の母と一緒にお見舞いに行きました。ベッドに伏せながらも“来週には退院したい”と、復帰の意欲を語っていたのですが……」
中西氏は、いしださんの生き方を“すべてを女優業に捧げた人生"だったと語る。
「『北の国から』での撮影で、伯母は長距離の雪道を歩いてきたという設定の役を演じるとき、それがワンシーンであっても、実際に長時間を寒空の中で待つような人。普段の生活すべてが役作りだったんだと思います」
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演じることを愛し続けたいしださん。その思いは彼女が出演した数々の作品の中で生き続ける─。