「母の異変を見て見ぬふり」認知症の母親を8年介護した脳科学者の“後悔”と気づいた“患者の思い”

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2025年05月11日 16:00  週刊女性PRIME

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脳科学者の恩蔵絢子さん

 ピアノ教室の先生を務め、家事いっさいをまかなってきた母が、65歳でアルツハイマー型認知症を発症。「専門知識はあったものの、身内のことになると、その現実にうろたえてしまって」と恩蔵さんは振り返る。記憶を失っていく母との暮らしで気づいた「認知症の真実」とは―。

底なしの怖さがありました」

もっとずっと早く病院に連れていけばよかった。認知症だとわかったとしても、『いいじゃん、別に』って言えたら、その後の母との暮らしはずいぶん違っていたと思います

 できていたことができなくなり、とまどう母に、脳科学者の恩蔵絢子さんは何度もいら立ってしまった。認知症という病名がつく前のあのころ、何かがこれまでと違うと感じつつも、とにかくその異変を認めたくなかった。

『こんなこと、年をとれば誰でも起こるよ』って打ち消していたんです。認知症だったら母は母でなくなってしまうのだろうか、そんな底なしの怖さがありました

 母の異変に気づいたのは2015年、65歳の時。普段は几帳面で段取り上手な母が、みそを買いに出かけたのに手ぶらで帰ってきたり、約束をすっぽかしたり。日常のささいな失敗が目立ち始めた。

 そんな状態が1年弱続き、ようやく医師の診断を受けたのは翌年。アルツハイマー型認知症というはっきりとした病名を告げられた。母は一瞬青ざめたが、脳科学者である恩蔵さん自身は、むしろ覚悟が決まったという。

脳の中で記憶をつかさどる海馬という部分が、通常より萎縮していることがMRI検査でわかりました。でも『なんだ、海馬にちょっと傷があるだけか』と思ったんです。脳の他の領域は大丈夫だし、できることはまだいっぱいある、と

 まず恩蔵さんが実行に移したのが、母との二人三脚のみそ汁作り。海馬に支障が出ると、今さっき考えたことがすぐに思い出せなくなる。例えば、みそ汁を作ろうと思って野菜を切り始めても、野菜を切りながら「自分は何をしたかったんだっけ?」と混乱してしまう。

でも、母は包丁の使い方や野菜の切り方など、身体で覚えた技術はしっかり残っていました。これは海馬ではなく、脳の別の領域がつかさどっているからなんです。だから私が横にいて、『おみそ汁よ』とその都度教えてあげれば、母は作業を続けられるんです

 脳のトレーニングを兼ねた、恩蔵さんと母のみそ汁作りは3年間続いた。当初心配していたほど症状は急速には進行せず、ちょっとした手助けがあれば、母は長く料理を楽しむことができた。

認知症になっても感情は残る

 しかし6年後の2021年、ついに「重度」の診断がくだる。言葉でのコミュニケーションが徐々に難しくなり、かつて得意だった料理もほとんどできなくなってきた。それでも恩蔵さんが台所に立つと、母もあとをついてきた。

「母は私が料理が苦手なことを知っているんです。だから『何か娘の手助けをしなくては』と思ったのでしょう。ある時は居間に畳んであった自分の洋服をわざわざ崩して、畳み直し始めました。

 行動だけを見ると無駄に思えますが、もともと母は人のためにいつも動き回っている人だったので、無意識に手作業をしていたのだと。そう考えると、かつての記憶をなくす中でも、“その人らしさ”は失われないのだと思いました。悩みながらも、お母さんはお母さんなんだなと思い続けた8年間でした

 恩蔵さんは人間の感情のメカニズムを研究している脳科学者。そんな恩蔵さんの目に、認知症の母はどう映ったのだろう。

ある日、母の友人が音楽好きな母を音楽会に誘ってくれました。帰宅した母に『どうだった?』と聞くと、『全然良くなかったわ』と言ったんです。でも、夕食の時にもう一度尋ねると、今度は『すごく良かったわよ!』って。矛盾して聞こえますが、この時、両方とも本当の気持ちなのだろうと思ったんです

 認知症でない人でも、何かの感想を聞かれたとき、たとえ「すごく良かった!」と答えたとしても、実際にはその中に良い瞬間も悪い瞬間もあって、感情は細かく動いているはずだ。

母も、友人と会えて楽しかったのだろうし、うまく会話できず、もどかしかったのかもしれない。電車が不安だったのかもしれないし、音楽は良かったのかもしれない。『良くなかった』も『すごく良かった』も、どちらも本当なんです。矛盾していないんですよ

 言葉でのコミュニケーションが難しくなっても、恩蔵さんは母の感情はずっと生き生きと働いていると感じていた。

認知症になると、論理性や会話能力など、できることが減っていきます。でも、感情は残るんです

 しかも、海馬のすぐ隣には感情をつかさどる中枢があり、強い感情が動くと、まだ残っている海馬が刺激されて、新たな記憶として刻まれることがあるという。

お母さんから社会性を奪ってはいけない」

「興味深いのは、海馬を介さずに記憶がつくられるケースもあるということです。例えば、ちょっと極端な例ですが、私が母に『ばか』と言ったとします。母は当然、傷つきますよね。つまり、感情が大きく動く。

 そのうえで、1時間後に『私、さっき何て言った?』と尋ねても、母は言葉ではうまく答えられないかもしれません。でも、嫌な気持ちそのものは心に残っているんです。だからこそ、たとえ記憶が不確かでも、認知症の方に対して何をしてもいいというわけではないんですね

 認知症であっても、感情があることで新しいことを少しずつ学んでいく例はある。

例えば、最初は介護施設に通うのを嫌がっていた方が、何度か通ううちに慣れてきて、やがてはお迎えのバスに笑顔で乗るようになる。職員の名前までは覚えられなくても、『この人は好き』という感情がちゃんと残っているんです

 恩蔵さんの母も施設で新しい友達ができ、うれしそうな表情をすることもあったそう。

 認知症の症状が進んだ母を、恩蔵さんと父親だけで支えるのは次第に難しくなった。そこで介護保険でデイケアサービスを利用し始めた。

最初は母を外に出すと、誰かに変な目で見られてしまうかもしれない、そういう目から守ってあげなくてはと思っていました。でも脳科学者の先輩から『お母さんから社会性を奪ってはいけないよ』と言われたんです

 母を家に閉じ込めるのは、社会的な刺激を奪うこと。

認知症でなくても、日々『変なことを言ってしまったかな』『変なふうに思われたかな』と考えることはありますよね。認知症があっても私たちと同じ環境にどんどん出て、成功も失敗もすべて体験にしてもらいたい、と思うようになりました

 感情はずっと働いている。相手に優しくされたらうれしいし、嫌なことを言われれば悲しい。そうやって感情も人生も積み重ねられていく。

 恩蔵さんの母は2023年5月、72歳で亡くなった。亡くなる前日まで大好きな歌を口ずさんでいたという。

亡くなる前日、母は私を見つめ続けました。最期の時まで『あなたに関心がある』という気持ちを示してくれていたのです。認知症でいろいろな記憶は失われても、子への愛情は最期まで残っていました。母と私を結ぶ大切な感情が、最期まで、残っていたんです

おんぞう・あやこ 脳科学者。専門は自意識と感情。金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学の非常勤講師を務める。母親が認知症になったことをきっかけに、診断から2年半の生活を記録・分析した著書『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。近著に『認知症介護のリアル』(ビジネス社)などがある。

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