新型コロナパンデミックの「その先」にあるもの〜ハノーファー(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2025年05月22日 07:10  週プレNEWS

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オヤいわく、「ドイツでいちばん有名な庭園」という「ヘレンホイザー・ゲルテン」。今回の研究集会の会場はこの敷地内にあった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第110話

感染症のパンデミックは、なぜ教訓が残されないのか? 筆者のテーマであり、疑問を、あるイギリス人研究者にぶつけると意外な答えが返ってきた。

* * *

■教養のかたまり「オクスフォードの詩人」

研究集会初日の講演、その発表の最後に、自作の詩を読み上げた演者がいた。インペリアルカレッジロンドン、ケンブリッジ大学を点々とし、現在はオクスフォード大学に所属するという、まさに教養の塊のような男である。

その詩人は講演の中で、こんなことを言った。

「1918年のスペインインフルエンザのパンデミックもそうだ。感染症の記憶は、数世代を経ると忘れ去られてしまう」

このオクスフォードの詩人は、昨夜のラヴィたちの酒盛りにも途中まで参加していて、酔った頭でいろいろな話を聞いた。こんな教養の塊のような男に会う機会はなかなかない。私は日本で一般向けのコラムを連載していることを話し(『プレイボーイ』であることは伏せた)、翌日のランチのときに、「『パンデミックの記憶』についての意見を聞かせてほしい」という約束をとりつけた。

翌日、ヴィーガンのランチをとりながら、詩人にいろいろ質問をぶつけてみた。しかしどうにも、あまり反応がない。「パンデミックは自然災害。地震や津波などの自然災害の場合には、後世に教訓が残されるのに、パンデミックではなぜそれがなされないのか?」

――と、そこでハッと気がついた。そう、イギリスには、地震や津波という自然災害がそもそもないのである。そういう比較対照がない彼の立場からすると、「ちゃんと教訓は残されているじゃないか」と言うのである。

少なくはなっているが、イギリスにも、感染が拡がり始めるとちゃんとマスクをするような人たちはいる。つまり、「パンデミックの記憶・教訓は、残る人にはちゃんと残っている」、と言うのだ。

彼は続ける。「新型コロナパンデミックを機に、オクスフォード大学は新たに、『パンデミック科学研究所(Pandemic Sciences Institute)』を設立した。それにそもそも、この研究集会がまさにそうであるように、研究レベルでも確実に記憶と教訓は残っているじゃないか」

■「パンデミックの記憶」についての新たな視点

期待していたような意見が聞けなかったので正直拍子抜けではあったのだが、それはそれで、ある視点・意見としては、なるほど、と思うものではあった。

たしかに考えてみれば、地震や津波だって、日本人全員が常に教訓を胸に抱いているか、と言われれば、そうともかぎらないのかもしれない。特に津波は、原則として沿岸部でしか起こり得ない。つまり、「津波の教訓」を胸に抱いているのは沿岸部に住んでいる人たちだけであり、海のない内陸の人たちが抱く必要のない教訓であるともいえる。

日本だって、感染症の流行が拡がり始めると、ちゃんとマスクをつける人たちはもちろんたくさんいる。そう考えると、やはりオクスフォードの詩人が言うように、パンデミックの記憶や教訓はちゃんと残っていて、それほど悲観するような事態ではないのか?

■再考:パンデミックと他の自然災害の違い

せっかくの機会でもあるので、パンデミックとほかの自然災害の違いについて、改めて考えを巡らせてみた。

オクスフォードの詩人とのやりとりに加えて、もうひとつ思い出されたのが「緊急事態宣言」のことだ。この研究集会が始まるちょうど4年前、日本では、史上初めての緊急事態宣言が発出された。

当時(36話)を思い返すと、大震災の直後さながらに、大手既成メディアはずっと新型コロナパンデミックについての情報を発信し続け、社会全体に緊張感が満ちていた。

――と、当時のことを思い出していて、あることに気づいた。

震災や津波の場合、社会に緊張が走るのは、それが起きた「直後」である。

それに対し、新型コロナパンデミックについての社会の緊張感が最大値だったのは、緊急事態宣言が発出された頃だったと記憶している。つまりその瞬間には、結果論ではあるが、「感染症としての災害そのもの」は、まだ社会には(少なくとも日本社会には)はほとんど到達していなかったのである。

厳密に言えば、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者は発生していたので、パンデミックという「波」の切っ先は、日本社会を侵し始めていたといえる。

しかし、今から振り返ってみると、その後のデルタ株やオミクロン株の波の大きさに比べたら、それはさざ波にも満たないようなものだった。

つまり、地震や津波の場合には、発生の瞬間こそが危機であり災害なのだが、パンデミックの場合にはそうとはかぎらない、ということになる。新型コロナパンデミックを振り返ると、災害としての被害の最大値と、社会の危機感の最大値には、大きなタイムラグがあったといえる。

そう考えると、「パンデミック」という災害の「実態」は、いったいどこにあるのだろうか? オクスフォードの詩人とのやりとりは、私の中にそのような新しい問いを残した。

■実験的な研究集会

前編でもすこし触れたが、こういうスタイルの研究集会は、通常では成立しない。研究集会とは基本的に、明確なテーマありきで開催されるものだからだ。

通常の研究集会は、エイズウイルスやインフルエンザウイルス、新型コロナウイルスのように、ウイルスの「種類」ごとに開催されることが多い。

あるいは、分子ウイルス学や臨床ウイルス学、公衆衛生学や疫学などのように、研究手法や研究対象のスケール(集団レベルなのか、個体レベルなのか、細胞レベルなのか、など)ごとに分類されて、開催されることもある。

今回の研究集会は、オーガナイザーのひとりであるメラニーが「実験的な集会だった」と明言したように、集会としての明確な定義がなく、ウイルスの種類も、研究スケールも広範な研究集会だった。良く言えば「多岐に渡る」、悪く言えば「散漫で、意図がよくわからない」、そんな感じの集会だった。

それでも、会議の最後には、参加者全員で、「それでは、この研究集会はこれからどうあるべきか?」ということを議論した。その中で、「この研究集会はこれからも継続するべきか?」という決が採られたが、私を含めた大多数が「Yes」に票を入れた。参加者たちの過半数がそれだけ、なにかしらの手応えを感じることができた研究集会だったのだと思う。

――これからの感染症研究はどうあるべきか?

つまり言い換えると、「次のパンデミック」に、どのようにして備えるべきか? いろいろなウイルスの、いろいろなスケールの専門家が集まって、侃侃諤諤に話をする。まさに私が、ランチをとりながら、オクスフォードの詩人と意見を交わしたように。

閉会の後、講堂から食堂へと場所を移し、メラニーやオリヴィエたちと、やはりヴィーガンの夕食をとりながら、あるいはビールや白ワインを飲みながら、これからのことについて話をした。

「次のパンデミックに備える」、というのは、つまるところ、こういうところから始まるのかもしれない。

文・写真/佐藤 佳

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