Colin Temple - stock.adobe.com ◆マクドナルド「ちいかわハッピーセット」わずか3日で販売終了
マクドナルドの「ちいかわハッピーセット」がわずか3日で販売終了となりました。予想を上回る売れ行きの原因とされているのが、おまけのおもちゃを狙った転売ヤーによるフリマサイトへの出品行為です。
法律の専門家によると、そうした行為は違法ではないとのことですが、ネット上では組織的な大量の買い占めに“最低じゃん”と、憤る声も多くあがっています。
「ちいかわ」大好きな子どもたちの思いが、またしても踏みにじられた格好です。
このように、転売ヤーによる騒動が起きると、法律の専門家が“違法ではない”とのコメントを出しては世間がモヤモヤするという光景が繰り返されています。一般市民の感覚としては、法律的には問題なかったとしてもやっぱり納得いかない、というのが正直な感想なのだと思います。
法律のおとがめがなければ何をしてもいいのだろうか? この消化不良への明確な解答がないところに、転売ヤー問題の難しさがあるのでしょう。
◆転売ヤーは“違法ではない”から良いのか?
というわけで、ここでは法律の技術論から離れて、古典的な思想からこの問題を考えるヒントを得ようと思います。
まず、転売ヤーへの反感の根っこにあるのが、抜け道を見つけて荒稼ぎするライフハック的な発想への疑問なのではないでしょうか。法的には問題がないという事実が商行為の正当性を認めてしまうところに法律万能主義の欠陥があらわれていることに、社会が気づきつつあるわけですね。
では、法に頼りすぎる社会は何が問題なのでしょうか? それを古代中国の思想家、孔子はこう語っています。
<子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。>
法律や刑罰だけの社会では、人は法律さえ守っていれば何をしてもいいと、恥じらいを忘れる落とし穴にハマっていくと警鐘を鳴らしています。
つまり、法律や刑罰という制度上のルールの他に、自分自身の見識や美的感覚にもとづいた振る舞いがなければ社会は成り立たないと言っているのです。
◆“違法ではないから転売してもOK”という考えがあらわすもの
目先の利益に血眼になり、「ちいかわハッピーセット」を買い占める行為は、自身の美的感覚に照らし合わせてどう映るでしょうか? 実際にこのようなことが、大人たちによって行われていることを、もしもあなたが親だったら子どもにどう説明するでしょうか?
“きれいごとを言うな”と思う人もいるかもしれません。しかし、理想がないところで正確に現実を映し出すことはできません。理想論を捨てたときに、現実は崩壊します。
雪崩を打つ転売行為は、ひとつの象徴と言えるのかもしれません。
フランスの哲学者、モンテーニュは法律そのものをよりシニカルに見ています。
<ところで法律が信用を維持しているのは、それが正しいからではなく、ひたすら法律であることによる。それこそ法律という権威の不思議な根拠なのであって、ほかにはなんの根拠もない。そのことが法律にも有利に働く。法律というものは、しばしば愚者の手で作られる。たいていは、平等を憎み、公正を欠くような人々によって作られる。とにかく、からっぽで、無節操な人間によって作られるのだ。>(『エセー抄』 宮下志朗 編訳)
大量の買い占めで転売行為をすることが問題ないとされるのも、「ひたすら法律であることによる」との裏返しの理由でしかないのです。そこには意義も道義的な正当性もなく、「からっぽで、無節操」という点において、皮肉にも転売と法律が符合を見せているとも言えます。
孔子とモンテーニュ。両者の言葉から、“違法ではないから買い占めをして転売してもかまわない”と考えることは、現代の空虚さをよくあらわしているのです。
◆一方で「ムキになってルール違反を訴えるほどのものか?」という見方も
その一方で、こうしためざとい人たちはいつの時代にもいたのであり、さして珍しくもないという考え方もできます。「ちいかわ」のおもちゃなど、冷静に考えればそこまで価値を持つものではないはずです。にもかかわらず、人々の欲望を上手にくすぐれば、値を吊り上げることなど簡単である。
そんな身も蓋もなさを冷徹に言ったのが、フランスの哲学者、ヴォルテール。転売ヤーにも通じる商いの本質を、次のように書いています。
<こんなたわいない品物に値を付けるのは、人間の気まぐれだからです。そうした人間の気まぐれというやつのおかげで、わたしが雇っている百人の職人も暮らして行けますし、わたしにしたって立派な家と便利な馬車と数頭の馬をもっているというわけですよ。要するに、人間の気まぐれこそ、産業を刺激し、繊細な趣味、資本の流通、豊饒を保ってくれるのです。わたしはくだらない品物を、あなたに売ったよりもっと高値で近隣の国々に売りつけ、そんなふうにして帝国のお役に立っています。>(『この世は成り行き任せ』 植田勇次 訳)
確かに転売ヤーの行為は卑怯かもしれないが、では、ムキになってルール違反を訴えるほどのものなのか。純粋な子どもの気持ちを踏みにじる行為だという意見も理解できますが、たかがおまけのおもちゃだろうと諭す度量も、大人の側にあってもいいのではないでしょうか。
ヴォルテールの商売論は、決して転売ヤーを擁護しているのではありません。“その程度のことである”というわきまえを持つことで心の余裕が生まれることを言っているのです。
それにしても、いろんなことが商売になってしまう世の中なのだなと、すっとぼけた感想を抱く出来事でした。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4