アートを産むまなざし 【コラム カニササレアヤコのNEWS箸休め】

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2025年05月24日 10:10  OVO [オーヴォ]

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アートを産むまなざし 【コラム カニササレアヤコのNEWS箸休め】

 アートとは何か?

 私の通う東京藝術大学で、しばしば投げかけられる問いである。

 昨年、藝大美術学部の生徒たちと東京奥地の山あいで1泊したことがあった。「あきがわアートストリーム2024」という渓谷沿いに開かれた芸術祭で、私は演奏をし、美術チームは自分たちの作品を販売し、夜は一緒に暖炉を囲んでマシュマロを炙(あぶ)って食べた。

 彼らと過ごすと、日常の中で周りを観察する視点、その解像度の高さに惹(ひ)きつけられる。

 みんなで散歩をしていた時、道の脇に1本の柿の木が立っていた。秋の頃だったから葉は紅葉し、その多くは地面に落ちている。1人の女の子が葉を拾い上げた。真っ赤な中に黒や黄の斑(ふ)が飛んで鮮やかだ。その子はしばらくの間葉っぱを見つめ、そして柿の木の根に立てかけるようにして置いて、何も言わずにまた歩き出した。何も言わなかったけれど、私はそれを「展示したんだ」と思った。鮮やかに染まった落ち葉を見初め、そこに美しさを見出(みいだ)して、大事そうに、慈しむように置き直す。そこを通る人がその美しさに気付けるようにと願ってなのか、それとも柿の葉自身の美しさを讃(たた)えてなのか、いずれにせよその動作には愛情と名残惜しさが滲(にじ)み出ていて、この子は目に映る一瞬一瞬をこんなに大切にして生きているのか、と静かに感動したのだった。

 藝大の裏の道には白い椿の木が生えている。3月には花が満開を過ぎて、白く美しいままぽとりと落ちるので道が椿で埋め尽くされる。その花を大学の塀の上にいくつか並べた友人がいた。何日か経(た)ってまたそこを通ると、何十個もの花が行列になっていたという。椿が並んでいるのに気付いた誰かが花を足していったのだ。顔も見知らぬ匿名の人たちが、花を拾い並べるという行為でひっそりと繋(つな)がっている。

 「アート」とは元々、ラテン語の「ars」に由来し、「人の手によるもの」という意味合いを包含する言葉だ。道端に咲く花を、それ自体の美しさをもって「アート」と形容できるかというと難しい。その美しさを見出す人がいてはじめてそれはアートとなるのかもしれない。だとすれば、花や葉を拾い上げ、それを置き直すという行為は紛れもなくアートだと思う。 小さなアートが生まれる瞬間に、わたしたちは日々立ち会っている。その尊い一瞬に気付けるように、目を、耳を、五感を開いていたい。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 19からの転載】


かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。

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