画像:林原めぐみ オフィシャルブログより『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ役などで知られる声優、林原めぐみさんが6月8日に更新したブログが波紋を広げています。
◆波紋を呼んだブログの内容とは?
6月8日に更新した自身のブログで、訪日外国人について言及。
<日本ザリガニがあっという間に外来種に喰われちゃったみたいになってしまう>や、<人任せじゃなく ちゃんと選挙に行かなくちゃいけない『どうせ』とか『変わらない』は使ってる場合じゃないとこに来てしまっていると思う>と懸念を示しました。
日本から日本らしさが失われないようにするためにも、外国人に対して何らかの規制を設けるべきだと訴えた一連の発言が、「排外主義的なのではないか」として物議を醸し、結果として林原さんは後に一部の表現を削除しました。
<既に傷ついてしまった人に手は伸ばせないけれどこれ以上傷つく人が増えないように。こんな狭い文章では伝わらないと思うけれど、声を上げる事すら冷ややかに 日本が日本に[無関心]な事がとにかく悲しいと伝えたかった>と真意を説明しています。
ブログの内容だけでなく、彼女がこうした発言をするに至った経緯を含めて、各方面に波紋を広げています。
◆ザリガニの例えがもたらす「排外主義」の希釈効果
さて、このような論争が起きると、決まって「右翼」だとか「左翼」だとかと罵り合いが始まり、結局、お互いの接点を見出そうとすらしないまま、不毛な対立で終わってしまうことが少なくありません。どうやら、今回もそのケースのようです。
そこで、改めてこの一件の問題点を整理したいと思います。
まず、林原さんの発言について。彼女が日本の未来を案じ、マナーの悪い外国人から愛する祖国を守りたいと思うこと自体は、特に批判されるべきではありません。彼女の思いは個人の自由です。
ただし、問題なのは、彼女がその“愛国心”の正当性を示す根拠として、ザリガニの例を持ち出したことです。これには、大いに引っかかる部分があります。
なぜなら、動物の例を持ち出すことで、人間社会における民族主義や排外主義的な思想を薄める効果があるからです。
つまり、「人間も自然界の生物のひとつである以上、生命の法則に基づけば外国人が日本人を脅かす状況も不自然ではない」といった主張を、科学的なロジックにすり替えることが可能になってしまうのです。これが巧妙な論法の危うい点です。
林原さんが、そうした一種のアクロバティックな論法を、無知で純朴なふりをしながら巧みに展開しているように見えるため、正々堂々と問題を訴えているとは思いにくいのです。
◆曖昧な表現が招いた不必要な炎上
これは、日本の危機について率直に政治的・思想的な言葉で語ればハレーション(反発)が生じることを、彼女自身が理解しているからこそ、あえて“バカなふり”をしてザリガニの例を持ち出したのだと考えられます。つまり、意図的な“ゆるフワ”愛国ムーブであるということです。
ここで強調しておきたいのは、林原さんが日本の未来を憂えること自体が問題だと言っているのではありません。そうした思いは尊重されるべきです。
しかし、率直に正面から語らず、曖昧で回りくどい形で話を展開したことが、結果としてこのような不必要な炎上騒動を招いたのではないか、という点を指摘したいのです。
◆リベラル層の「傲慢さ」が招く多様性の欠如
一方、林原さんのような考え方を頭ごなしに否定する人たち、わかりやすく言うとリベラルの側にも問題があります。
林原さんのような発言に対する彼らの反応は、常に「また特定の思想に偏った主張がなされている」といったタイプのものです。そして、「仕方がないので、賢い私たちが教えてあげよう」と。
しかし、それが大きな驕りであることは、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが指摘しています。高学歴で、比較的裕福なリベラル層は広い世界を正しく理解していると考えがちだが、実は自分たちに似た人たちとしか付き合わない狭い世界しか知らないのではないか、と言っているのです。
その上で、“多様性”をこう定義し直しています。
<しかし、私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。>(『東洋経済オンライン』2021年3月4日)
つまり、今回のケースで言えば、林原さんを間違っている、修正しなければ、と批判するのではなく、そのような考えのもとで、それが正解だと思って、日々を懸命に生きている人たちの人生も肯定することこそ、真の多様性だと言っているのです。
ですが、またしてもリベラルな人たちは「多様性」という言葉を自分たちの都合の良いようにしか解釈しようとしませんでした。不都合なものをも受け入れる度量を全く欠いていることが明らかになっただけでした。
ここまで林原さんの発言における欺瞞と、その彼女を批判する人たちの傲慢さについて見てきました。そこから浮かび上がるのは、言葉は飛び交うが噛み合わない、不思議な議論の構図です。
そこに、にぎやかなのに窒息しそうな、現代の日本が映し出されていると感じました。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4