ニッポン放送ショウアップナイターで実況を担当する松本秀夫アナウンサー◆ いつでもみんなのプロ野球!実況アナルームのテーマは“初実況”
「あれを持っておかないと第一歩だから、書いてあるとおり宝物だと思うのでね」。
ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める松本秀夫アナウンサーは、宝物と書かれた“初実況”の音声を社内のロッカーに大切に保管している。
松本アナは87年7月1日にスポーツ部に配属され、同年7月24日に後楽園球場で開催されたジュニアオールスターゲーム(現フレッシュオールスターゲーム)で実況デビューを果たした。
「3週間の間に7、8回くらい深澤さんが川崎球場とかで横についてくれて、指導してくれたんだよね。投げたという時と、ボールが離れた瞬間を合わせろというのをまず最初に口を酸っぱくして言われて、そこがズレると遅いとか速いとか言われましたね。そこをすごく気をつけて、実況の原点でそこに遅れたら、説明になってしまう。投げてもいないのに投げたといったら嘘だと。手からボールを離れた瞬間なんだから、そこを合わせることによって全てが始まると言われてさ。それがもう本当体で覚えたというかね、今でも絶対にそこはズレないようにしているし原点として教わって、そこはすごい気をつけた記憶がある」。
“ミスターショウアップナイター”こと深澤弘アナウンサーからみっちりと指導を受けた。5月3日に配信した馬野雅行アナウンサーの回では、馬野アナが「40半ばくらいに管理職になったくらいに深澤さんから、松本秀夫さんを育てた時のテキストがあるから送ります」と話していた。具体的に、松本アナは深澤さんからどんな指導を受けていたのだろうかーー。
「確かに(テキストは)もらったんだけど、コピーでね、3、4枚のものだったと思うんだよね。手書きではなかったと思うんだけど、もちろんイロハのイ、実況が遅れてはダメだ、それから正確な表現を使えとかね。セットポジションを省略しないように言うとかね。ごく基本的なことが書いてあったんだけど、それはテキストを見るというか、そこに書かれていることを直に毎日耳で聞いて、体で覚えていましたね」。
「深澤さんは当時川崎に住んでいて、実況がない日は、ショウアップナイタープレイボールが終わると、家に帰る途中に川崎球場に寄ってくるわけですよ。俺がフニャフニャ喋っていると、ちゃんとやっているかとか言って、そこで背筋が伸びる感じになるわけです。なんの予告もなくくるから、ずっと指導されて、ジュニアに関しては稽古不足というか、まだ3週間しか経っていなかったから、いきなりやらされるのという感じだったよね」。
そうして、迎えた本番。「各局のホープと呼ばれるアナウンサーが短いイニングを喋るというパターンで、その日はABCのアナウンサー、東海ラジオのアナウンサー、RCCのアナウンサー、4人で2イニングずつ喋って1イニング余る。それを深澤さんが初々しいアナウンサーが30年経つとこうなりますということで9回を喋って、司会進行兼9回の1イニングを深澤さんが喋って、解説が関根潤三さん。東京中日スポーツが取材してくれて、後楽園の真ん中でガッツポーズした写真をしばらく記念にとっていましたね」。
華々しくデビューを飾ったが、プロのアナウンサーとしての厳しさを知ったのもジュニアオールスター。
「近鉄の選手がヒットを打った時に、関根さんいい当たりでしたねと偉そうに言ったんだよ。関根さんがいい当たりだったんですけど、ちょっと詰まってましたねと言っているわけ。俺が恥をかかないようにオブラートに包んで、詰まっていましたね、優しいお爺さんだなと思ったんだけど、優しさはその時だけ。そこから関根さんと組まされるといい当たりですね、関根さんというと、詰まってましたとか言って、バッサリ言われてさ。ジュニアオールスターの時だけお客さん扱いで、すごい優しくしてくれたんだなと」。
初実況を経て、今に繋がっていること、大切にしていることはあるのだろうかーー。
「実際にできていない人の方が多いんだけど、投げたと言った時に、合わせる。それからその時のことの教訓じゃないんだけど、解説者に満足して帰ってもらう、解説者に不愉快な思いをさせて帰らせてはいけない、お前が言いたいことがあったら、解説の人に質問を持っていくのがお前の仕事であって、答えを言っちゃいけない。答えを持っていて、その答えが出るような質問を引き出せ、自分で何でもかんでもアナウンサーはしゃべりたくなるんだけど、そうではなくてそこをどうやって喋ってもらうか。聞き上手であれということは、言われていたね。そうしないと怒られていたね」。
松本アナは新人時代の教えを守り、その伝統を後輩たちに伝え、ショウアップナイターの歴史を繋いでいる。
(ニッポン放送ショウアップナイター)