連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第118話
現地の動物健康研究所やアディスアベバ大学の教授と、共同研究に向けた約束を取り付けることができた。しかし一方で、アフリカでゼロベースから共同研究を立ち上げる難しさも痛感する。
※(1)はこちらから
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■動物健康研究所(AHI)にて
AHIがあるセベタは、アディスアベバの郊外にある小さな町で、渋滞する道を車で1時間ほど進んだところにある。
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東南アジアでもそうだったが、信号がほとんどなく、車道もお構いなしに歩行者ががんがんに歩いている。加えて、サウジアラビアでもそうだったが、運転がめちゃくちゃに荒い。かなりレトロなトヨタ車での移動はなかなかにスリリングだった。
AHIでは、ラゴスに加えて、AHIの所長を交えて打ち合わせをした。幸いにして所長は、私たちの研究に好意的で、これからの共同研究の支援と協力を約束してくれた。
その後、施設を見学させてもらい、改めてラゴスと打ち合わせをする。その席で、私のラボのJとUが見つけていた、エチオピアに生息するコウモリを対象にした調査の論文をラゴスに見せる。
すると偶然にも、その著者のひとりであるアディスアベバ大学の教授が、ラゴスの指導教官だというではないか。
それではぜひ、その教授と会わせてほしい、とラゴスに頼む。しかし、「よし、そうだな、そうしよう」と言うだけで、特にアクションはない。
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いやいやラゴス、俺たちにはあと数日しかいないんだ、いま連絡して、アポイントメントを取りつけてくれ、とお願いをする。すると、「よし、そうだな、そうしよう」と、電話をかけてくれる。
実はAHI所長とのアポイントメントも、私たちの訪問の直前になって取りつけることができたのだった。概してマイペースな人が多いのか、そもそもそういう文化なのか、はたまたラゴスがたまたまそういう性格なのかはわからないが、概してかなり強めにお願いをしないと話が前に進まない。
106話でも言及したことがあるが、往々にして私は、事前にかなり綿密にスケジュールを立てて物事を進めるタイプ。このような形での共同研究の模索は初めてのことだったので、これは正直、なかなかストレスフルだった。
しかし幸いにして、翌朝、私たちが滞在するアディスアベバのホテルで打ち合わせするアポイントメントにこぎつけることができた。
■アディスアベバのホテルにて
その翌日。ラゴスと、アディスアベバ大学教授との打ち合わせをした。急なお願いにもかかわらず、教授もかなり好意的だった。アメリカとの共同研究として進めていたが、コロナ禍などもあって研究費の支給が止まってしまい、調査が頓挫していたらしい。今回の私たちの打診が、まさに渡りに船だったという。
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その後、できることならアディスアベバ大学の研究室も見学したかったのだが、都合がつかず、残念ながらそれは叶わなかった。いずれにせよ、これからの共同研究の詳細については、メールやウェブ会議で詰めていこう、ということで話は落ち着いた。
「アムセグナロフ(アムハラ語で『ありがとう』。私がこの出張で唯一覚えることができた現地の言葉だった)!」とお礼を伝え、握手を交わし、打ち合わせを閉じた。
■メルカト市場
大学見学の予定がなくなり、時間が空いたので、ホテルでタクシーを呼び、「メルカト市場」というところに出かけてみることにした。運の良いことに、ホテルで頼んだタクシーの運転手が、市場までガイドでついてきてくれた。
適当に中を散策したが、土産物などを売っているわけではなく、服やカバンなどの生活用品を扱う店がひたすら並んでいた。かなり大きな市場なので、もしかしたらたまたまそういうエリアを歩いていただけかもしれない。ほとんどが地元の人たちで、観光客とおぼしき人の姿は見かけなかった。
お世辞にも治安の良いところとは言えないが、身の危険を感じるような場面はなく、みなとてもフレンドリーに話しかけてきたり、目配せをしてきたりしてきた。
エチオピアの人たちは、総じてみんな人懐っこい。親切だし、言葉がちゃんと通じていなくても、ちゃんと「交流」できている感じがする。そして、「アムセグナロフ」とお礼を言うと、ほとんどの人がはにかんだような表情を見せる。
――と、これは余談なのだけど、メルカト市場では、やたらと体重計を目にした。体重を測らせてお金をとろう、という目論見なのだと思うけど、そういえばこれ、3週間前に、オーストリアのウィーン(97話)でも同じようのを見たなあ、ということを思い出したりした。これは世界共通?
■長旅を終えて
最後の夜、これまでのことを総括する形で、ビールを飲みながら3人でいろいろな話をした。毎日ラボで顔を合わせていても、こうやって旅すがらに話をするのはまた違う趣がある。こういう経験が、なにかしらの形で、将来の彼らの糧になってくれれば良いのだけど。
つい1週間前のドイツのハンブルク(112話)が、はるか昔のことのように感じられる。「アフリカ効果」である。
これは少し弱音になるが、それにしても、まったくのゼロベースで、アフリカとの共同研究をイチから立ち上げるというのは、正直かなりハードルが高い。難しいことはもちろんわかってはいたものの、それでも想像していたよりもはるかに難しそう、というのが、今回実際にやってみての正直な感想だった。
物理的な距離のハードルや、言語や文化の問題だけではない。たとえば、相手の言葉尻から感じるやる気と、それを実行するための予算が噛み合わない。話の方向性が、その時々でコロコロ変わる、などなど。
さらに、電力供給の不安定さなどもあり、せっかく収集に成功した貴重な検体を、きちんと保存しておける環境が整っているとは言いがたい現実も目の当たりにした。
これらのハードルをこれからどうやって解決していくことができるのか? というか、そもそもそれらを解決して計画を実現することができるのか? 月並みな表現だが、「一筋縄ではいかなそう」というずっしりと重く固い現実を目の当たりにすることとなった。
ボレ国際空港でJとUと別れ、やはりエチオピア航空の飛行機で帰途に着く。約12時間かけて韓国のインチョンにたどり着き、そこで給油して成田に向かう、という変速コースである(ちなみにインチョンでは、一旦降機させられ、手荷物検査を受けた後、通常の乗り継ぎのような形で、給油が終わった同じ機体に乗り込む)。
ラクダを、つまりMERSウイルスをめぐって、サウジアラビアのリヤドへ(71話)、UAEのアブダビへ(101話)、そして、エチオピアのアディスアベバへ。ラクダをめぐる冒険はまだ始まったばかりであるが、やはりなかなかに前途多難である。
文・写真/佐藤 佳