
元・大相撲の⼤関で、歌手の増位⼭太志郎さんが、肝不全のため死去したことが、所属事務所から公表されました。76歳でした。
【写真を見る】元⼤関・増位⼭太志郎さん 死去 76歳 肝不全のため 歌手として『そんな⼣⼦にほれました』『そんな⼥のひとりごと』『男の背中』 他数々のヒット曲
事務所からの広報文では「弊社所属アーティスト増位⼭太志郎(享年 76 歳)が、かねてより病気療養中のところ肝不全のため、さる令和7年6⽉ 15 ⽇ 14 時 38 分永眠致しました。ここに⽣前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。」と、報告。
続けて「葬儀はご家族、近親者のみで家族葬にて執り⾏います事を併せてご報告いたします。尚、ご遺族の意向によりご弔問、ご⾹典、ご供花などの弔意はお気持ちだけ頂戴し伏してご辞退申し上げます。」と、綴りました。
そして「1967 年初⼟俵、1970 年幕内となりのちに⼤関に昇進。史上初の「親⼦⼤関」として相撲界の歴史の1ページに名を残しました。1981 年引退、10 代⽬三保ヶ関を継承し後進の指導に努める。歌⼿活動としては⼒⼠現役中の 1972 年歌⼿デビュー、代表曲の『そんな⼣⼦にほれました』『そんな⼥のひとりごと』『男の背中』他数々のヒット曲に恵まれました。2013 年に⽇本相撲協会を定年退職後は本格的に歌⼿活動を始動。2022 年 12 ⽉、体調不調を訴え医師より敗⾎症と診断を受け復帰に向けて療養とリハビリを⾏なう為活動を休⽌しておりました。」と、記しました。
広報文では「増位⼭太志郎は最期まで活動復帰できることを強く望んでおりました。相撲を愛し、歌を愛し、たくさんの⽅々に愛していただいた⼈⽣でした。これまで増位⼭太志郎を応援していただいたファンの皆様、全ての関係者の皆様に⼼より感謝と御礼申し上げます。」と、記しています。
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【 増位⼭太志郎さん プロフィール ※公式サイトより引用※ 】
1948年 名大関・増位山太志郎の長男として東京都中央区に生まれる。
高校時代は水泳の選手だったが、卒業前に力士を志願。
父親の猛反対を押し切って相撲界入り。1967年初土俵、1970年幕内となり、のち大関に昇進。史上初の「親子大関」と騒がれた。
大関在位は7場所と短かったが、手を伸ばして相手の出足を止める独特の立ち会いで攻撃をそらし柔軟な足腰を存分に生かした上手投げ、左右の内掛け外掛けなど天下一品の多才な技を駆使し多いに土俵を盛り上げ人気があった。
1981年引退、小野川を経て、1984年に10代目三保ヶ関を継承した。また、趣味は絵画や歌と多芸多才で知られ、歌では1972年『いろは恋唄』で歌手デビュー。その後発売した『そんな夕子にほれました』が大ヒットし、1977年8月に発売した『そんな女のひとりごと』は130万枚の売上を記録。1978年 第11回日本有線大賞では同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を受賞。
また『男の背中』など数々のヒットをとばしている。
2012年には松居直美とのデュエット曲『秘そやかに華やかに』を発売し、第45回 日本作詩大賞入賞。
2014年に菊地まどかとのデュエット曲『屋形船』を発売した。
2013年11月15日 日本相撲協会を定年退職し、本格的に歌手活動を開始。
2013年11月20日発売『夕子のお店』、
2014年9月17日発売『冬子のブルース』が、第56回 日本レコード大賞『企画賞』を受賞。
また、同作品の『冬子のブルース』は第47回日本作詩大賞で入賞作品となった。
【担当:芸能情報ステーション】