
篠塚和典 追悼・長嶋茂雄 後編
(前編:「ミスター、どうして僕をドラフトで指名してくれたんですか?」篠塚和典が長嶋茂雄に聞いておきたかったこと>>)
巨人ОB篠塚和典氏が語る長嶋茂雄氏への思い。後編では、印象に残っているエピソードや、これから取り組んでいきたいことを語ってくれた。
【印象に残っているミスターとのエピソード】
――巨人が楽天を2−0で下した6月7日の東京ドームでの試合中、長嶋さんの棺を乗せた車はドームの周囲を1周し、斎場へと向かいました。その直後に増田陸選手、丸佳浩選手の2者連続本塁打が飛び出して勝利。阿部慎之助監督は試合後、「ゾクッときました。長嶋さんが打たせてくれたというのもあると思います」というコメントを残しています。
篠塚和典(以下:篠塚) やっぱり何かありますよ。ミスターは"野球界の神"のような方ですからね。おそらく阿部監督や選手たちも、何時くらいに車がここを通るということは聞いていたと思うんです。あくまで僕の予想ですが、ミスターが通る時間になったら、個々で黙とうをしていたかもしれませんね。
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――長嶋さんと篠塚さんとのエピソードは枚挙にいとまがないと思いますが、特に印象に残っていることはありますか?
篠塚 そうですね......いろいろあるのですが、(2000年2月12日の)宮崎キャンプのノックの際に、ミスターが26年ぶりに背番号「3」をお披露目した瞬間は忘れられません。ちょうど自分がコーチをしていてミスターの隣にいたのですが、ジャンパーを脱いだ瞬間にスタンドから大歓声が起こったんです。
連日、キャンプには多くのファンが詰めかけていましたが、ミスターは特に人が集まる週末に披露しようと考えていたようです。自分もすぐそばで特別な瞬間に立ち会えたのがうれしかったですし、常にファンのことを考えるミスターの姿勢をあらためて学んだ瞬間でもありました。
――それ以外にはありますか?
篠塚 選手時代、一軍に上げてもらって最初のオープン戦で言われたこともよく覚えています。前もって先発で起用することを伝えられていて、「(後楽園)球場に家族を呼びなさい」とミスターに言われたんです。それで試合に家族を招待したのですが、僕が1打席目にミスターが嫌う見逃しの三振をしてしまい、交代させられてしまったんです。家族が見に来ているのだから普通は1打席で代えないと思うのですが、すでにその時には、僕が両親を呼んでいるということはミスターの頭の中から消えていたのかもしれません(笑)。
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それで試合中にもかかわらず、ミスターに、「穴ぐら(バッティングマシーンが設置されていた後楽園のライト下の通称)に入って、試合が終わるまで打っとけ」と怒られました。言われた通りに試合が終わるまでティーバッティングをしながら自分なりに考えて、それからはバッティングに対する考え方が変わりましたね。際どいコースは絶対に見逃さないようにしましたし、少々ストライクゾーンから外れたボール球でも打っていこうとなりました。それが自分のバッティングの原点になりましたし、今思えば、逆にいいミス(見逃し三振)だったのかもしれません。
【長嶋茂雄が多くのファンに愛された理由】
――長嶋さんの出身地・千葉県佐倉市で開催されている「長嶋茂雄少年野球教室」に篠塚さんは参加されているとのことですが、今後も継続されるのでしょうか?
篠塚 自分たちがミスターの意志を受け継いでいくことはもちろん、何よりも長嶋茂雄という偉大なる野球選手がいたということを、これから伝えていかなければいけないと思っています。40代以上であればミスターのことを知っている方が多いと思いますが、それより下の世代になると、知らない方が増えてくると思います。
なので、野球教室に来る子供たちやその親御さんにも、ミスターのことをできる限り伝えていきたい。長嶋茂雄という名前を永遠に残していきたいですし、世代を越えて多くの人たちに語り継いでもらえるように努力していきたいですね。特に、若い世代の方々の会話のなかに、長嶋さんの名前が出てくるようになればいいなと思っています。僕らにできることは、それくらいだと思うので。
――野球界にスター選手は昔も今もたくさんいますが、とりわけ長嶋さんが多くの方に愛された理由は、どこにあると思われますか?
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篠塚 やっぱり「ファンに魅せる」という部分じゃないですかね。ミスターが若い頃のインタビューのなかで話していたと思うのですが、意識していたのは"記録より記憶"。そういうプレーヤーであり続ける、という気持ちが強かったと思うんです。
ピッチャーゴロをサードから捕りにいっちゃうとか、ショートがさばく範囲の打球でもさばいてしまうとか、それも魅せることを意識していた部分があるでしょう。逆に、フライなどはあまり追っかけなかったんですよね(笑)。ショートの黒江透修さんに任せる時もあったり。
スイングしたときにヘルメットを飛ばすこともそうです。どのくらい飛ばすかを考えてやっていた、というくらいですから。そういったひとつひとつのプレーが、見ていた方々の記憶に刻まれたんじゃないですか。
――5度のMVP、6度の首位打者、2度の本塁打王のタイトル、通算成績も2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305と素晴らしいですね。
篠塚 記憶だけではなく記録もすごいですよね。やっぱり、とてつもない本塁打の記録を作った王貞治さんの存在が大きかったと思います。"ON"は、キャラクターは違ったけど、切磋琢磨する関係だったと思います。
王さんはスマートで、はしゃいだりするタイプではない。ご本人も「(長嶋さんは明るく陽気な感じだけど)自分はこういうキャラクターでいくんだ」と意識していたと思うんです。王さんとのコンビは野球人気の定着に大きく貢献したと思います。
あらためて、ミスターは不世出のスーパースター。永久に憧れの人です。
【プロフィール】
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年〜2003年、2006年〜2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。