ラグビーのリーグワンは6月1日に今季が幕を下ろし、各チームから退団者が発表されている。
リーグ創設から4季連続でプレーオフに進んだ東京サントリーサンゴリアス(東京SG)も、6日に16人の退団を発表。そこにSH木村貴大(31)の名があった。
それから1週間後の6月13日。
木村は大勢の人が行き交う金曜日の新宿に姿を見せた。
現役続行の意思を固めており、新天地での貢献をイメージしながらオファーを待つ日々。カフェの一角に腰かけると、アイスコーヒーを手にしながら言った。
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「サントリーでの4年間で、もまれて、日本一のスクラムハーフの真横でやってきた。自信しかありません。チャンスさえあれば、チームにいい影響を及ぼすことができる。今まで培った経験を、次のチームのために生かしたい思いです」
在籍4シーズンで出場は2試合。計13分にとどまった。
それでも目標をぶらさずに過ごしたからこそ、伝えたいことがあった。
「高校生や大学生も、人数が多いチームは試合に出られない選手が8割程度いたりもします。試合に出られていないことで、自分を否定してほしくない」
前身のトップリーグが幕を下ろした2021年春。
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当時所属していたコカ・コーラレッドスパークスが廃部に見舞われた。
自身はプロ選手。新たなチームを探す過程で、サントリーからオファーが舞い込んだ。
ポジションは攻撃の起点となるSH。強化担当者との面談で、求めている部分をはっきりと伝えられた。
「日本代表の2人と競争をしてほしい」
当時の東京SGには、日本をけん引するSHが2人いた。
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2019年W杯日本大会で8強に貢献した流大。
のちに2023年W杯フランス大会の主力となる斎藤直人。
木村にとって流は1学年先輩、斎藤は4学年後輩にあたる。
先発、控えで試合に出られるSHは通常2人。それがともに日本代表となれば、別チームで出場機会を求める考えもある。
それでも二つ返事で入団を決めた木村は、心が燃え盛っていた。
「その時点で2人を倒すためにサントリーに行くと決めました。心の底からワクワクしていました。僕のサントリーでの4年間は、それだけの4年間でした」
入団1季目の2021−22年シーズンは出場5分。第5節NTTドコモレッドハリケーンズ大阪戦の後半35分から途中出場した。
「1年目はハーフの基本であるボールをさばく技術に圧倒的な差を感じました。サントリーのラグビーは体感で、他のチームの2・5倍速。まずはそこを、遜色のないレベルに持っていくことが必要でした」
1〜2季目で左肩甲骨骨折、左膝前十字靱帯(じんたい)断裂と故障に見舞われた。それでも慣れは“2・5倍速”のラグビーになじむ助けになってくれた。
何より流、斎藤の2人を超える意志がぶれなかった。
そうして飛躍の時が来た。
3季目の2023−24年シーズン。開幕前にW杯フランス大会が行われており、流、斎藤が不在の状況下で、他のSH陣と定位置を争った。
東福岡高時代は1年生から試合に出場し、全国高校大会(花園)で3連覇。高校公式戦80戦無敗を誇った。同期で元日本代表の藤田慶和らと黄金時代を築き、3年時は主将。ポジションがフランカーだった過去がある。
「僕の色はディフェンス。サントリーのハーフの中で、ディフェンスは一番強い自信がありました」
少年時代から四六時中ラグビーのことを考えてきた。東京SGでも休日返上でクラブハウスに通い、トレーニングを欠かさなかった。出番は第3節、クリスマスイブの三重ホンダヒート戦。後半32分からピッチに立った。
「絶好調でした。三重との試合に少し出してもらって『俺はもっとできる』と思っていました」
だが、試合3日後の12月27日。全体練習を終え、ユニット練習に励んでいた時だった。
6割のスピードで後ろに下がり、ボールをもらおうと前に出た瞬間だった。
「コーチ、なんで後ろから僕の足を蹴るんですか」
本気でそう思ったが、後ろには誰もいなかった。
パーンッという音とともに、左足のアキレス腱(けん)が切れた。
「ユニット練習も最後の最後、あと3分ぐらいの時でした。案外その時は冷静で、うれしいこともありました」
先輩たちが周囲に寄ってきてくれた。1学年上で日本屈指のFB松島幸太朗(32)から「おまえ、めっちゃ調子良かったのに残念やな」と声をかけられた。
「松島幸太朗さんに流大さん、中村亮土さん…。心から尊敬している人たちに認められていたことが、うれしかったです。パフォーマンスが出せなければ、認めてもらえないチーム。だからこそ『すぐに治したい』と思うことができました」
その日のうちに手術をした。復帰時期を調べると、最短で6月。シーズン中の復帰は絶望的だが、次の開幕に向けてプレシーズンから準備が可能と計算できた。
「ポジション柄もあって、プレシーズンに遅れるのが一番痛い。僕たちのような3番手争いをしている選手は、プレシーズンからいいパフォーマンスを出して、1〜2番手の調子が悪い時に、パッと入れる状態を維持する必要があります」
だが、リハビリは想定通りに進まなかった。復帰過程で痛みを抱え、目の前のトレーニングに半信半疑になった。全体練習復帰は2024年12月まで遅れた。
シーズン開幕直前の時期だった。SHは斎藤がフランス1部リーグへ挑戦した一方、2023年W杯日本代表の福田健太(28)が加入していた。
今季の公式戦で、木村の出番は1度も訪れなかった。
4年間で流や斎藤の壁を越えることはできなかった。
一方、本気で超えようとしたからこそ、自らに欠けていた部分も知った。
流は相手防御裏へのキックにたける。間近で見ていて、分かることがある。
「自分だけの判断で蹴らないんです。WTBと一瞬のコミュニケーションで、互いが一致した時にしか蹴らない」
ピッチを離れれば基本は聞き役。その中で時に自らの意思をはっきりと伝えていた。
「僕は(前所属の)コカ・コーラの時に厳しく言いすぎて、周りとギャップができてしまいました。サントリーの1年目で聞き役に徹したら、今度は発言力が落ちました。それはSHとして良くない。サントリー2〜3年目になって、相手の意見も聞きつつ『その態度は違う』と思った時は、怒るようになりました。傾聴と主張のバランスが、ようやく、この歳になって分かってきました」
個人での成長と、組織の一員としての成長。
自信が芽生えたからこそ、ここでラグビー人生を終えられない。
愛称は「キムタカ」。
東京SG入団前からピッチ外での取り組みを積極的に行い、その影響もあってファンとの距離が近い。
試合に出ることができないラグビー少年と接したことも数多くある。
4年間で出場時間は13分。そんな男が力を込めた。
「試合に出られていないと自分を否定してしまうものです。でも、その時間には絶対に意味がある。今、自分が何をしたら目標にたどり着くか。そこに集中した方がいいことを伝えたいです。『ライバルに勝ちたい』という気持ちは勝手に出てくる。でも、それに支配されると、心がやられてしまいます」
入団当初は流、斎藤に勝つことだけを考えた。
途中からはメンバーに入るために必要な部分だけに集中し、その先に「2人に勝つ」という目標を置いた。矢印を自らに向けたことが、3季目の故障前の手応えにつながっていた。
だからこそ、集大成を次の場所で見せたい。
「4年間の経験を、絶対に爆発させたいです」
31歳に、立ち止まる選択肢はない。【松本航】
◆木村貴大(きむら・たかひろ)1993年(平5)12月9日、福岡・北九州市生まれ。小学1年生でラグビーを始める。中学時代は主将で全国ジュニア大会優勝。東福岡高では全国高校大会3連覇。筑波大2年時にフランカーからSHへ転向。卒業後は豊田自動織機に入社。19年に退団し、ニュージーランドへ渡る。同年に自らの直談判をきっかけに、世界最高峰スーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」入り。20−21年シーズンはコカ・コーラに在籍し、廃部を経て、21年からサントリー(現東京SG)。173センチ、83キロ。
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