キム・ゴウン&ノ・サンヒョン/photo:Jumpei Yamada国際ブッカー賞にもノミネートされたパク・サンヨンの連作小説「大都会の愛し方」の収録作を映画化した『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』が、6月13日に劇場公開を迎えた。
奔放な性格から周囲に誤解されることが多いジェヒと、ゲイであることを隠して生きる寡黙なフンスが意気投合し、ルームシェアを行う物語。爽やかな青春物語の側面だけでなく、アウティングやヘイト、有害な男性性や女性差別、パワーハラスメントといった諸問題にも言及した一作だ。ジェヒとフンスを演じるのは、映画『破墓/パミョ』やドラマ「トッケビ 〜君がくれた愛しい日々〜」のキム・ゴウンとドラマ「Pachinko パチンコ」のノ・サンヒョン。来日を果たしたふたりに、本作に感じた意義や映画の力について伺った。
「他人との違いを認めて理解する」
さらに一歩踏み込んだ作品
――当事者の方々の痛みに真摯に向き合い、相互理解を促してくれる作品だと感じました。おふたりが参加する意義を感じた部分等、教えていただけますか。
ノ・サンヒョン:本作は、本当に多くのテーマを示唆しています。自分らしさとは何か、個性や他者との違い、愛、友情――。そうした様々なテーマに関する人間の本質やありのままの正直な内容はとても意義深く、フンスという役を通して上手く表現したいと感じました。そして彼がもつゲイという特徴をきちんと理解し、表現できるように努力しました。彼が成長過程で抱いたであろう痛みや孤立、もどかしさをはじめとする様々な状況を念頭に置きながら、性的マイノリティの方々にお会いして話を伺いました。台本を読んでいる段階で直感的にフンスが自分のところに近づいてきてくれた感覚があり、人物像やその時々の心情をスッと納得できましたが、当事者の方々と話せて理解を深められたことが、演じるうえで助けになりました。
キム・ゴウン:本作には「他人との違いを認めて理解する」というメッセージ性が強く打ち出されていますよね。この一言だけだったらとても聞き心地が良いかと思いますが、「どうして相手はこうなんだろう、なぜ自分と違うんだろう」と考えてそこで終わるのではなく、さらに一歩踏み込んで「こうならざるを得ない、そうせざるを得ない環境があったのではないか」という“仕方なさ”についても注目すべきだと思います。いまの世の中において非常に大切なテーマについて、より深く向き合わせてくれる作品だと考えています。
そのうえで、私は台本に描かれているものを演技を通して表現したいと思っていましたが、ジェヒはいわゆる一般的ではない人物かと思います。彼女は劇中で「男を見る目がない」といわれますが、その根底には自己肯定感の低さがあるかと思います。自分に自信がないため、自分が好きな相手ではなく自分を好きな相手と付き合ってしまうのです。
ただ、あたかも「この人は一般的ではありません」という風にありきたりに見せたくはなかったため、外見――特に衣装に気を配っていました。ジェヒのファッションは自由奔放に見えますが、一方で自身が意図していないところで肌の露出が多かったり、そういったビジュアル面でキャラクターをうまく見せられるように気を配りました。
「信頼」「仲の良さ」が役に真実味を与える
――ジェヒとフンスの距離感や空気感が絶妙でしたが、どんな工夫をされたのでしょう。
ノ・サンヒョン:撮影の序盤で、ジェヒの家で焼酎を飲みながら一緒にプデチゲを食べるシーンを撮影しました。そのときに「キムさんとはぴったり合うだろうな、自然に息を合わせてうまくやれそうだ」と確信しました。
キム・ゴウン:私も同じ気持ちでした。とても気持ちよく撮り終えられたことを覚えています。本作には他にもジェヒの家でのシーンが多くありますが、二人の関係性がどのように発展していくかを見せていくうえでそのどれもがとても大切でした。プデチゲのシーンで信頼が生まれたからこそ、その後の様々なやり取りや喧嘩のシーンも上手くいったと思っています。
ノ・サンヒョン:もちろん、撮影に入る前にあいさつを交わして仲を深めようとお互い努めましたし、監督やスタッフさんを交えて梨泰院のクラブに遊びに行くこともありました。僕たち自身の仲が良いからこそ、ジェヒとフンスの親密な友人関係に真実味をもたらせられたのではないかと思います。
キム・ゴウン:私はこの年になってクラブに目覚めてしまい、「こんなに楽しいのに、どうして私は若いときにもっとここで遊ばなかったのだろう」と考えるほどハマってしまいました(笑)。ちなみにクラブのシーンの撮影時は、実際には音楽は流れていません。音楽を切った状態で「こんな感じかな」と想像しながら踊っていました。
作品への想いが予想外の化学反応に
――産婦人科医院を飛び出すシーンや病院の前で涙するシーンなど、ジェヒとフンスが感情を爆発させるシーンに涙しました。お互いの芝居を受けるなかで、ご自身の芝居が想像以上に引き出された瞬間もありましたか?
ノ・サンヒョン:ジェヒが産婦人科医院を飛び出すシーンはものすごくパワフルで、まさに想像以上で強く印象に残っています。あのシーンは朝に撮影したのですが、早い時間に感情を爆発させる演技をするのは難しいことなのにもかかわらず「いつもやっているよ」と言わんばかりに凄まじいエネルギーを発散するキムさんを観て圧倒されてしまいました。台本上ですと、フンスも産婦人科医院についていき、感情を爆発させるジェヒを言葉なく見守りながら最後に抱きしめるという流れだったのですが、キムさんの姿を見ていたら僕も自然に感情がこみ上げてきて、抱きしめるというリアクションが生まれていました。
キム・ゴウン:いわゆる“感情シーン”の多くは、撮影の後半に撮影しています。そのくらいに差し掛かるとフンスとジェヒの物語もだいぶ進んでいますし、蓄積があることでより息を合わせられるようになっていました。と同時に、各々の想いも膨らんでいますから台本に書かれていない予想外の状況が生まれたり、突発的に呼吸がズレることで新たな面白さが生じたりしていました。イ・オニ監督が私たちの化学変化を起こしやすい順序で撮影スケジュールを組んで下さったおかげで、そうした瞬間が自然に作れたと思います。
――ジェヒとフンスがステレオタイプや同調圧力による生きづらさと立ち向かう姿が見事に描かれていましたが、おふたりのもとにはどのような反響が寄せられましたか?
ノ・サンヒョン:本作を観てくれた周囲は「泣いた」と言ってくれる人も多く、「楽しかった」「面白かった」「何回も観た」との反響もありました。その中で特に印象的だったのは、フンスに似た境遇の方がくださった手紙です。「この作品を観てとても慰められ、力をもらえました」というメッセージをいただけました。
キム・ゴウン:私自身は、こんなに褒められたことがあっただろうかというくらい多くの知人から絶賛をいただけました。前作の『破墓/パミョ』では、商業的に韓国で成功を収めたことに対するお祝いの言葉でしたり、私が演じたキャラクターが強烈だったためそのキャラクターを褒めていただくことはあったのですが、『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』においては観た方の多くが個人的なメッセージをたくさん送ってくれました。「心の底から本作が好きです」と言って下さったり、私がこの役を演じたことを喜んでくださるメッセージがたくさん届いてとても新鮮でしたし、改めてやりがいを感じられました。
映画は「大きな力を持っている」
――劇中で『君の名前で僕を呼んで』が重要な役割を果たしていますが、「他者との違いを理解する」うえで文化芸術が果たす役割にも胸を打たれました。最後に改めて、おふたりが思う「映画の力」について教えて下さい。
キム・ゴウン:映画の力というのは、芸術の領域に属するものですよね。その中で非常に特別だと感じるのは、映画を観るためにはわざわざ時間を作らなければいけませんし、費用を出して映画館に行かなければならないということです。つまり芸術領域において大変さや苦労を伴うのが映画かと思いますが、それだけの力があると感じています。
例えば、「自分はこういう好みを持っているんだ」と気づかせてくれたり、時代性を反映した物語が展開するものでもありますよね。私が生まれる以前の映画を観たときに「この年はこんな考え方をしていたんだ」と推測できる学びがありますし、当時も今も人間同士が共に生きていることを改めて教えてくれる存在――これらは、映画という芸術が持っている力だと思います。
ノ・サンヒョン:僕も同感です。映画というものは五感で様々なことを感じさせてくれるメディアですから、それ自体が大きな力を持っているのではないでしょうか。実際に映画館で映画を観ると、自分でも驚くほど多くのことを感じ取ることができますよね。
キム・ゴウン:もう少し付け加えさせていただくと――映画は詩のようなもので、ドラマシリーズは小説のようなものではないかと私は思います。一篇の詩を完成させるためにたくさんの思想や思考、ストーリーや内容を盛り込みつつ、それらを圧縮する作業が必要になってきます。つまり、2時間という圧縮された中に濃密なエキスが詰まっていることもまた映画の魅力であり、力だと思います。
(text:SYO/photo:Jumpei Yamada)