(画像:TELASAページより)「激レアさんを連れてきた。」2025年3月24日放送 人力舎に所属するピン芸人である、きりさん。現在22歳の彼女は、静岡県生まれのロシア・モスクワ育ち。
チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院でピアノを学び、ロシアの音楽学校で講師ができる資格も有する、ただ者ではなさすぎる経歴の持ち主です。
『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)や『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)への出演でも注目を集めた彼女は、なぜお笑い芸人を目指したのか? 本当に音楽の道への未練はないのか? これまで歩んできた人生、さらに今後の芸人としての展望まで、じっくりと聞かせてもらいました。
◆「やめるきっかけがずっと欲しかった」ひとりで下した決断
――何歳から何歳まで、モスクワで暮らしていたのですか?
「親の仕事の関係で、生後6ヶ月から19年間住んでいました。ピアノを始めたのは5歳から。特に親がピアノを習わせたかったというわけではないんですよ。本来なら外国人だと幼稚園は有料だけど、音楽学校だと無料で通えたからという理由からです」
――ロシアにそんな制度があるとは初耳です。
「芸術に力を入れているので、そういう教育は安く受けられる国なんです。ただ、私はピアノが好きだと言ったことは一度もないんですよ。辞める理由がなかっただけ。
日本ではとても教われないようなすごい先生に指導してもらって結果が出ているし続けておくか……くらいの感覚でした」
――学生生活はどのようなものだったのでしょうか。
「高校時代は普通高校に通いながら、音楽学校でも勉強していました。自由時間は全くなかったですね。夏休みもコンクールやコンサートで休みはなかったし。モスクワ音楽院に入学してからは、一般の勉強がなくなった分だけ、ある程度は好きなことができるようになりましたけど」
――19歳で日本に帰国したと同時にピアノは辞めたそうですね。日本でも続けるつもりはなかったのですか?
「辞めるきっかけがずっと欲しかったんですよ。誰にも相談せず、辞めることは一人で心に決めていました」
――親から反対はされませんでしたか?
「そこは特に何も。でも、ハッキリとは言えてなかったですね。日本に戻って小説の専門学校に通い始めた時も『ピアニストとしての幅を広げるため』なんて言ってましたし。結局、今もうピアノは全く弾いてないんですよ。頼まれたら演奏するくらいです」
◆吉住やキンコメ今野ら先輩芸人との関係は
――今、芸人として活動している中で、最も楽しいことは何ですか?
「やっぱり自分のネタが受けた時は楽しいですね。ライブでユニットコントをやっている時も、ほかの芸人たちと仲良くできるのが嬉しいです。
私、本当はコンビを組みたかったんですよ。でも、私はネタを書くからには絶対的に主導権を握りたいタイプなんです。ただ、相方がいる以上はそういうわけにもいかないので、一人の方が楽かなと。はなはだ不本意ではありますが(笑)」
――人力舎にはピン芸人として、THE W 2020チャンピオンの吉住さんも所属していますよね。
「吉住さんにはお会いできました! 単独ライブのお手伝いに志願して、一流の芸人さんのカッコ良さを目の当たりにさせてもらいました。
あと、一度だけ元・キングオブコメディの今野浩喜さんにもお会いできて、すごく嬉しかったです。やっぱりカッコ良くて、憧れの存在だと感じました」
――他にも印象に残っている先輩芸人さんはいますか?
「養成所のゲスト講師だった、ラバーガールの飛永翼さん。にぼしいわしさんのトークライブで、いいなと思った生徒として私の名前を挙げてくれたんです。
『お笑いをそんなに見てなかったし、他の経験をたくさんしてきたからこそ、オレらでは作れないネタが作れる』って。私もそのライブを見に行ってたので、その場で泣きそうになるくらい嬉しかったですね。これは自慢していこう〜って思いました」
◆学校あるあるは一生わからない
――逆に「芸人って難しい」と感じることはありますか?
「正直に言えば、今のところ全部が難しい。まだ、できることの方が少ないです」
――きりさんは2024年デビューで、まだ2年目なんですよね。
「はい。賞レースにも挑戦はしていますが、今はまだ結果を出せていないです。周りの芸人さん、みんなが面白く感じてしまいます」
――お笑いにおいて、ロシアと日本でのカルチャーショックのようなものはありますか?
「最初の頃は“あるあるネタ”が全くわからなかったんですよね。今はわかることも増えてはいますが、根本的に理解ができない“あるあるネタ”もたくさんあります。特に学校あるあるなんて、私には一生わかりませんし」
――ロシアというだけでなく、音楽学校という環境も相まって。
「でも、これはしょうがないと割り切るしかないですね。それに、ロシア的なユーモア感覚からのギャップも感じています。ロシアの笑いって日本人には刺激が強すぎると思いますよ」
――ロシアのお笑い……。どういったものなのですか?
「主流はスタンダップコメディです。男女差別、障がい差別みたいなネタもかなり多いですが、誰も傷つくことはない。そこはロシアには“差別する”という風潮が社会にもともとないのだろうと、プラスに捉えています」
――それは確かに、今の日本では難しそうな笑いです。
「養成所時代はよく『男なんて〜』みたいなネタをして注意をされていました。ロシアでは普通でも、日本ではその言葉に傷つく人がいるって意識しておかないと、ポロっと出ちゃいそうなんですよね。同期の芸人には、『もし私がそういう発言をしたら指摘してね』って伝えています」
◆憧れのキンコメがいた事務所でよかった
――ピアノを辞めた後、お笑い芸人を目指したのはなぜですか?
「10歳くらいからずっとお笑いは好きだったんです。特に好きだったのは、キングオブコメディさん。ただ、当時は自分がやりたいという感覚ではありませんでした。
芸人を志したきっかけは、インパルスの板倉さんのピンネタです。板倉さんのネタ、面白すぎて衝撃でした。自分にしかできないものを、作り続ける人。私もこういう大人になりたいと思ったんです」
――しかし所属事務所は、板倉さんのいる吉本興業ではなく人力舎を選んでいますね。
「子どもの頃から憧れだった、キングオブコメディさんがいた事務所というのが大きかったですね。同時に、他の事務所では自分の経歴を使ってなにかやりなさいと言われそうだと思ったんですよ。人力舎だと別にピアノのネタをやらなくても怒られなさそうというか(笑)」
――良い意味でのゆるさが魅力だった、と(笑)。
「実際、人力舎で良かったです。他の事務所だと過去の経歴を生かして番組に出たり、さらに伸ばしてもらえたりしたかもしれない。でも、私はピアノに未練はまったくないし、辞めたからにはそれなりの覚悟を持つべきだという考え方なんです。芸人として表舞台にはどんどん出ていきたいですが、元・ピアニストとしてとなると、それはどうかなと思っています」
<文・取材/もちづき千代子>
【もちづき千代子】
フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama