「面白そうだったら俺、受けますよ」。渋川清彦のスタンスは、節目の50歳を迎えても変わらない。作品の大小は問わず、感じるものがあれば演じる。20日に封切られた7年ぶり主演映画「中山教頭の人生テスト」に出演を決めたのは、佐向大監督が紡ぎ出した「セリフが良い。正直」なこと。“監督が今、最も使いたい俳優”と請われ続け、多彩な役の掛け持ち&撮影の連続もこなし、起用する監督さえ驚かせる、その脳内を探った。【村上幸将】
★世界観好きだな
渋川が「中山教頭の人生テスト」で演じた中山晴彦は、山梨県の小学校で教員生活30年を迎えた教頭だ。妻に先立たれ、男手一つで中学2年の娘を育てつつ、膨大な校務をこなす日々の、時間のやりくりができるよう校長昇進を目指すも受験勉強は進まない。その中、生徒と教師の間でトラブルが発生した5年1組の臨時担任として久しぶりに教壇に立ち、生徒と向き合い、熱血教師だった自分を思い起こす。台本に目を通しセリフに心底、納得した。
「『先生や大人がこうしなさいって言うことは全部まちがっている』って子供たちに言っちゃう。『先生になれるかな?』って聞かれた時、普通の先生だったら『頑張れば、なれるよ』みたいなことを言うのに『う〜ん…どうだろう?』って言いますからね。すごく正直だし(自分も)そう思うから。セリフが、すごくいいんで。(佐向監督の22年の前作)『夜を走る』を見て、この人の世界観、何か好きだなと。台本を見て、軽く毒を入れている空気感が一緒でうれしかった」
★30代までヤクザ役多く
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こわもてで、ヤクザやとがった役どころが多かった。40代に入り、19年の連続ドラマ初主演作「柴公園」で柴犬を飼うおっさん、在京キー局の連続ドラマに初主演した22年テレビ東京系「ザ・タクシー飯店」では町中華を愛する運転手と普通のおじさんの役が増えた。一方で昨年の「箱男」(石井岳龍監督)では、永瀬正敏(58)が演じた「箱男」を目の敵にし投石器で攻撃する「ワッペン乞食」という、らしい役も演じた。
「そういうキャラクターが増えてきたということは(年齢を重ねていく)俺のことを見てくれているのかもしれない。意識はないんですよね。(ワッペン乞食は)ギャーギャー言っているだけ。(『箱男』はキャラが)みんな面白かった」
★小品掛け持ちも
「(作品が)でかい、小さいにこだわりなく、面白そうだからやる」というスタンスを貫いてきた。
「こういうのをやりたいって言って話が来ているわけじゃなく、来たものを受けているだけ。気に入らないものも結構やってますよ…金のために(笑い)」
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引く手あまただけに、撮影が数日しかない小さな作品を複数掛け持ちし、ルックス、性格ともにかけ離れた役を日によって演じ分けることも。演技力と切り替えの巧みさに「自ら頼んでおきながら理解できない」と驚く監督も少なくない。
「(1つの撮影が)終わったら終わっただし…あまり考えていない。演じ分けるということでもないんですけどね。『中山教頭−』のように毎日1つのキャラクターをやっていて、その中で違うキャラクターを、というのは無理じゃないけど結構、難しいでしょう。(話があれば)やるだけ。できなかったらできないで、しょうがない(笑い)」
★「台本がヒント」
その言葉は開き直りでも何でもない。どれだけ多くの撮影が連続しても「せりふを入れないで現場に行くことは絶対あり得ない」と向き合い続けてきた。
「台本がヒント、手掛かり。ただ、ひたすら読むしかないんです。やっぱり怖いですもんね、セリフを覚えていないのは。最近は、あまり見ないですけど現場でセリフを覚えていない夢、昔はよく見ましたから」
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「中山教頭−」の撮影現場で、そうした自身の考え方を根底からひっくり返された出会いがあった。8歳から子役で活躍し、教育委員会の岸本雄介教育長を演じた76歳の風間杜夫だ。
「結構、セリフの量があるんですけど覚えてこなかったんですよ。リハーサル中にやりとりしながら覚えて、本番になったら見事にできる。セリフの鮮度を保ったまま…抜群じゃないですか。俺なんか、何回も言っているから鮮度が悪いわけで…できれば良いんだろうけど、なかなかできることではない。度胸なのか自信なのか、キャリアなのか。マネジャーの方が『家には、仕事は持ち込まない』っておっしゃっていました。外に出た時に覚えているのか? すごいですよね」
★「濱ちゃん」と縁
台本が気に入れば大学生の作品にも出る。出演した08年の東京芸大大学院映像研究科第二期生修了作品の1つ「PASSION」を手がけたのは、21年に邦画初のカンヌ映画祭(フランス)脚本賞、22年には米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督(46)。渋川は21年のベルリン映画祭(ドイツ)審査員グランプリ受賞作「偶然と想像」でも、芥川賞を受賞した大学教授を演じた。
「彼は特別ですよね。学生の時から変なヤツというか…映画好きで。この映画って何が面白いの? って聞いたら、事細かに、ちゃんと理屈で教えてくれる」
「悪は存在しない」で23年のベネチア映画祭(イタリア)で審査員グランプリを受賞し、黒澤明監督以来の主要4映画賞完全制覇を2年半で達成。製作中の「急に具合が悪くなる」の動向を世界が注視する濱口監督を「濱ちゃん」と呼ぶ。
「『僕は天才じゃないんで、努力します』とも言っていましたね。彼は世界の階段を上っているけれど…周囲がいくら騒ごうとも、自分を引いて見ています」
「濱ちゃん」より若い監督と組みたいと考えている。自身、プロのバンドを目指して上京し19歳の時、荒木経惟氏と東京・銀座で写真展「Tokyo Love」を開いた米写真家ナン・ゴールディンが「拾ってくれて」モデルに、流れで俳優業に踏み込んだ。
「濱口監督より、もっと若い世代で面白い監督が結構いる。より生っぽい方法に取り組んでいる監督もいるんでね。すごい小さい世界で頑張っているんで、どう火が付くかも、ちょっと分かんないから…例えば『侍タイムスリッパー』のように一気に行くこともある。若い子が何かやっている、小さな映画にも希望を持っている。出たいですね」
★やりたい事ない
50代を迎え今後、やりたいことは? と聞くと、らしい答えが返ってきた。
「ないですね。やりたい役も特にない。よく分かんない。現場よりも、現場が終わって次の日、休みで飲みに行くのが一番、楽しい。でも最近は、次の日が早いとセーブする。そこは変わりましたね。昔は飲んだ勢いのままやっていたけど(酒は)大分、残るし、残りすぎると体も使えないし。それがダメというか、笑ってくれない時代です」
▼佐向大監督
渋川さんはいろいろな役をされていますけど、どっちかというと悪かったり訳の分からない役。そのイメージと真逆の教頭先生の役で絶対、人を裏切るようなことができると思い(初タッグで)出ていただけるのが一番、楽しみだった。教頭先生は、ものすごい仕事をやらなきゃいけなくて本当に大変なので…どちらかと言うと、怖い雰囲気の渋川さんが、ワタワタしているだけで面白いなぁと思います。
◆渋川清彦(しぶかわ・きよひこ、本名田中清彦=たなか・きよひこ)
1974年(昭49)7月2日、群馬県渋川市生まれ。98年「ポルノスター」(豊田利晃監督)で映画デビュー。KEEの名でモデルとして活動してきたが、06年に現在の芸名に改名。15年に「お盆の弟」(大崎章監督)、18年には小学校と高校も一緒の飯塚健監督が渋川市で撮影した「榎田貿易堂」と、群馬が舞台の映画に主演。22年から高崎映画祭の授賞式で司会。175センチ。
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