
横浜DeNAベイスターズ・竹田祐インタビュー(前編)
ドラフト1位投手、実力の証明──。
横浜DeNAベイスターズのルーキー右腕である竹田祐は、安堵した表情でレギュラーシーズンを振り返る。
【突然の一軍昇格→プロ初登板】
「春先はうまくいかないことが多かったのですが、コツコツと練習をしてきた成果が出始めて、夏場に一軍に上がれてからはいい感覚で投げられるようになりました」
期待されながらも出遅れた竹田だったが、一軍昇格後は優勝争いから後退して苦しい状況にあったチームに、一筋の希望の光をもたらした。
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8月中旬に一軍に合流すると、6試合に登板し4勝1敗、防御率1.69。加えて同リーグ全5チームからクオリティスタート(6イニング以上、自責点3以内)を達成する目覚ましいピッチングだった。
この活躍に、DeNAのベテランリリーバーである森原康平が語っていた言葉を思い出した。
「ファームでずっとキャッチボールをしていたんですけど、すごくいいボールを投げますし、真面目にしっかりとやるべきことに取り組んでいる。いい雰囲気を持っているし、一軍に上がってきたら、きっと活躍してくれると思いますよ」
森原と竹田は、ともに大卒社会人3年目にプロ入りしている。シンパシーを感じているのか森原は、春先に苦しんでいた竹田のことを気にかけていた。
チャンスは突然訪れた。8月16日の中日戦(バンテリンドーム)、先発予定だったアンソニー・ケイのコンディション不良により、竹田は急遽一軍に呼び出された。いきなり決まったデビュー戦、当時の様子を竹田は次のように教えてくれた。
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「前日の15日の夕方に一軍のマネージャーから連絡をもらったんです。僕は2日後に新潟(オイシックス戦)で登板予定だったのでトレーニングをしようと思っていたんですけど、『名古屋に来てくれ』と急に言われて、最初は何を言われているかわからなかったんです」
そう言うと竹田は笑った。「これがプロの世界か」と実感した瞬間だったという。急な出番、その朗報にテンションは上がったのだろうか。
「いや、もうすぐに準備して名古屋に向かうためにワーッといった状況でしたし、明日投げると言われたので、『もう何もできへんな』みたいな感じで、ふつうでしたよ」
【7回無失点の好投でプロ初登板初勝利】
ジェットコースターのような時間の流れ。ただ試合当日は、投球直前までは極度に緊張し、記憶はあやふやだったという。
「ブルペンでは緊張しすぎてずっと吐きそうでしたし、あんまり覚えてないんですよ」
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しかし、いざマウンドに立つとカチッとスイッチが入った。スッと冷静になり、周囲の景色が鮮明になった。このあたりは履正社高、明治大、三菱重工Westといった名門チームでエースを張り、大事な試合で投げてきた経験がある。注目を浴びるマウンドこそが自分の場所だ。
バッテリーを組む1歳上の山本祐大からは「自分の思った球を全力で投げてこい」と背中を押された。竹田が試合を振り返る。
「投げていくなかで、ファンの方々の歓声や相手の応援が耳に入ってきて、『めっちゃ楽しいな』と思いながら投げていたんです。祐大さんのリードに任せて思い切り腕を振れましたし、気づいたら終わっていた......そんな感じでした」
テンポのいい投球で7回を2安打、6奪三振、無失点で、プロ初登板、初先発、初勝利を飾った。これはチームのドラフト1位投手として山口俊以来、19年ぶりの記録となった。
以降も快投を見せ、シーズン終盤のローテーションの一角として存在感を示すことに成功した。ドラ1投手の面目躍如といったところだろうか。
それにしても気になるのは、春先の不調である。ストレートの出力がまったく出ない状況に陥り、ファームで一軍昇格までに14試合に登板し、2勝5敗、防御率は3点台だった。
竹田に原因を聞くと、声のトーンを低くし次のように答えた。
「特別なことがあったわけではなく、コンディションがよくない状況でした」
そう言うと竹田は口を閉じた。もしかしたらドラ1としての責任がプレッシャーになっていたのだろうか。そう問うと、しばらく考え竹田は口を開いた。
「たしかに、前がかりにやり過ぎていたと思います。プロで勝負するために速い球を投げたいとか、いらんことを考えることが多くて。いいところで力を発揮できなくなるというか、ちょっとしたズレが、大きなズレになってしまった感じでした」
【社会人とプロとの大きな差】
竹田が感じる社会人時代とプロとの大きな差は練習量にあるという。誤解を恐れずに言えば、量に関しては社会人のほうが多かったという。
「でもプロはひとりでトレーニングをする時間が多くて、その時間の使い方が全然違うと思いました。振り返れば、ひとりでトレーニングする時間と量が多く、ケアがあまりできていなかったように思います。気持ちばかりが先走ってしまって、オーバーワークになってしまった感じというのか、早く一軍に上がりたいなという思いばかりで......」
チームとしても個別のトレーニングに関して管理するのは限界がある。ましてや社会人を経験したドラ1ルーキーに対し、自主性を重んじた。ここは自分自身で乗り越えるしかない。焦る気持ちを抑え、やるべきことを変えることなく個人練習の量を調整し、ケアを増やした。そしてフォームを崩して持ち直した経験は社会人時代にあったので、肝となる右足の軸を大切に、股関節の柔軟性を注視しながら再構築を施した。
そして周りの人間からのアドバイスにより、竹田は徐々に本来の調子を取り戻していった。
「入来(祐作/ファーム投手)コーチからは試合を想定した組み立てや、漠然と投げるのではなく細かいことを考えなさいと指導されました。ずっとブルペンの後ろから見ていただいて、勉強になりました。あと森唯斗さんからは、試合中に『あそこに投げてみろ』などのアドバイスをいただき、また食事にも何度も誘ってもらいお話をさせてもらって本当に感謝しています」
そして竹田が「これでいけるかもしれない」と手応えを感じたのは、初の一軍登板の直近の試合になった8月9日、イースタンリーグのロッテ戦である。竹田は140キロ台後半のストレートを軸に、7回、93球、6安打、5三振、無失点の好投で勝ち投手になった。
「この試合で、真っすぐで空振りが取れるようになったんです。自分のなかで上がってきたなと感じました。ただこれじゃまだ打たれるんじゃないかって思いましたし、次のファーム戦でまた頑張ろうという感じでしたね」
この試合後、ほどなくして一軍から連絡が入るわけだが、竹田はメディアに「一軍登板はまだ先になると思っていました」と語っている。突如として巡ってきたチャンスで好投し、プレッシャーを払いのけ見事に初勝利を飾った。
つづく>>
竹田祐(たけだ・ゆう)/1999年7月5日生まれ。大阪府出身。履正社高では3年春の選抜で準優勝。高校卒業後は明治大に進み、東京六大学リーグ通算11勝をマーク。その後、三菱重工WESTに入社し、2024年のドラフトでDeNAから1位で指名され入団。25年8月16日の中日戦でプロ初登板、初先発、初勝利を挙げた