「家族って何だろう」と考え続けたきっかけ
「私が育った家庭は、両親がいつもいがみあっていました。大ゲンカをするというよりは冷たい空気が流れている感じ。そんな中で、私は自分が二人を和ませる役割をしなければいけないと思うようになって、勉強もスポーツも頑張っていた。運動会で活躍すると父が喜び、成績がいいと母が喜ぶ。そうすれば二人がいがみ合う理由が一つ減る。そんな感覚でした」
ナオさん(41歳)は、知らず知らずのうちに家族をケアする役目を果たしていたのだろう。だが無理をしていたため、中学生になるころには疲れ果てていたという。だが両親は彼女の苦労に気づかなかった。
「あのころの自分を思うと、けなげだったと思います。親のことばかり考えていた。でも親がいがみあうと私自身が傷つくからなんですよ。結局、私自身も自分のためにそうしていたんでしょう」
「子どもは、親の人質なのかもしれない」
もう親のことは考えない。両親は自分たちの問題を自分で片づけるべきだとナオさんが悟ったのは20歳になってからだ。短大を出て就職したのを機に独立した。家を出て初めて、世間は自分が思っていたより広いと痛感したそうだ。「私は真っ先に自分のことを考えて生きていいんだと思えてうれしかった。と同時に、私が生まれ育ったあの家にどれだけ縛られていたかも分かりました。子どもって、親の人質なのかもしれない。家はたやすく牢獄になるんだと感じていましたね」
だから自分自身が結婚することは、なかなか考えられなかった。せっかく牢獄から出て自由の身になったのに、「家族」をもてば今度は自分が牢獄を作る側に回るからだ。それは耐えられなかった。
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結婚はしたくないし、できないだろうが、それでもいいとナオさんは思っていた。
夫は「夫婦は他人」を理解してくれたはずなのに
30歳で知り合った同い年の彼は、非常に柔軟な人だった。「やっぱり夫婦は他人。その他人同士がつながって子どもを作り、家庭ができる。親子やきょうだいは家族だけど、夫婦はあくまで他人同士。だからこそ、夫婦は気を遣い合うべき」
そんな彼女の気持ちを、彼は理解してくれた。賛同さえしてくれたはずだった。だからナオさんは結婚を決意した。それなのに結婚したら彼は変わっていった。
「私は他人だという意識が強いから、相手をフォローするような言葉遣いや態度をとるわけです。でも彼はけっこう素っ気ない物言いをする。例えば私が作った料理を、彼は味もみずにいきなりしょう油をかける。それは失礼でしょ、まず食べてみてからにしてくれればいいのにと言ったら、『だってオレ、しょう油が好きなんだもん』と。
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彼が料理を作った時、ナオさんはまず「ありがとう」と彼にお礼を言う。そして味わう。もちろん、味が好みではないと時ある。そんな時は「私には少し薄いかなあ」と言ってみる。何を足したらよりいい味になるかと彼に聞く。
「家族なんだから」と言われて絶望する
「だけど彼は、別に食べなくてもいいよと言うわけです。そう言われたら、自分の味の好みも伝えられない。せいいっぱい気を遣いながら言っているのに素っ気なくぶった切られる。そして二言目には『いいじゃん、家族なんだから』と。どんなことにも家族なんだからいいと言われると、個人と個人の関係じゃないのかと言いたくなってしまう」
自分が“家族”というものに、複雑な感情を抱いていることを知っているはずの夫でさえ、結局は理解してくれないんだと、ナオさんはときどき絶望的な気持ちになるそうだ。
「なんですかね、家族って。個人同士が縁があって結婚して、半々の遺伝子をもつ子どもが産まれたということですよね。子どもだって一人の人間で、きちんと人権もある。親のものじゃない。だけど子どもは自分の家族だなとは思える。夫にはそう思えない。どこまでいっても他人だと思う」
やっぱりこんな私がおかしいんでしょうか。ナオさんは本当に困惑したような表情でそう問いかけてきた。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
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