「禁煙」の部屋で、隠れて客が喫煙する――。違反客の行為を写真付きでSNSに投稿し、公に抗議する旅館が増えている。騒動を機に“おもてなしへの持論”を赤裸々に発信、数年にわたり改革を強いられた女将にその軌跡を取材した。
SNSに怒りの投稿をした理由
「お客様は神様」
客商売にはずっとつきまとってきた価値観である。しかしここへきて、マナー違反の客にたまりかねて抗議し、SNS上でトラブルの詳細を俎上に載せる。そんな旅館側の態度が支持される出来事が相次いでいる。
今年の新年早々、規則に反して客室で喫煙した客に対し、栃木県の老舗旅館『塩原温泉 元湯 ゑびすや』がSNS上で「出禁」宣告したのだ。コメント欄には《その毅然とした姿勢に拍手》などの賛意が寄せられ、5万4000超の「いいね」を集めた。
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同じくルール破りの喫煙客をSNSで公表し、のちにその客の“逆ギレ”書き込みの対応に追われたのが、700年の歴史を持つ老舗旅館。山形県米沢市から車で30分ほどの山懐にある白布温泉『湯滝の宿 西屋』である。
トラブルが起きたのは2022年12月16日。「館内全面禁煙」の規則なのにタバコを吸った形跡があったのだ。
「お客様がお帰りになった直後に、忘れ物などがないか確認するのですが、部屋に入るとタバコの煙が立ち込めていて、これは出発直前まで吸っていたなって。畳にも灰がうっすらと落ちていて、かなり吸ったなという印象でした」
“許せない”と思った女将の遠藤央子さん(45)は雪が舞う中、宿泊していた50代の男性客を追いかけた。駐車場にいた男性に遠藤さんは「お待ちください」と声をかけ、怒りを極力抑えながら続けた。
「当館は禁煙の旅館なんですけれども、あなた、お部屋でタバコを吸いましたよね。寒い(から外で吸えない)のはわかりますけど、なぜ守ってくださらなかったんですか」
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男性客は素直に「すみません」と謝り、その場は収まったかに思えた。しかし部屋に戻ると、清掃スタッフ2人が窓を開け放ち、極寒の中で懸命に掃除する姿が目に飛び込んできた。
「土壁なのでニオイが染み込みやすいんです。今回のように何本も吸われた場合は3日間、扇風機を回して換気しなければなりません。畳やテーブル、部屋中の調度品も拭き、布団や座布団もすべて洗ってニオイを抜かなければならない。
真っ白な息を吐きながら、アカギレをつくった手で拭き掃除するその姿があまりにも痛ましく、いったんは収まりかけていた怒りが込み上げて、ツイッター(現・X)に書き込みました」(遠藤さん、以下同)
《あれほど「館内敷地内完全禁煙」とHPにも予約ページにも客室にも掲示しているというのに、部屋で散々タバコを吸って臭いだけ残して帰っていかれたお客様。宿を何だと思ってる?分からいでか。その部屋は消臭作業の為数日は使えない。凍える空気の中掃除してくれたスタッフに心の中で詫びなされ!!》
旅館は客商売。SNSへの投稿はややもすると炎上して旅館のイメージダウンとなる諸刃の剣だ。だが2日ほどで1000リツイート。共感と激励がほとんどだった。
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古い建物を火災から守るためにも完全禁煙に
《“契約違反”なのだから(中略)“逸失利益”を請求してもいい》《毅然とされた対応、尊敬致します》《ひどいですね…スタッフの方々お疲れ様です》《喫煙者のひとりとして大変申し訳ない。オトナの嗜みがない喫煙者はものすごくカッコワルイ》
一方、一部否定的な反応もあった。
《私も煙草は苦手だけど〜〜貴女もしつこい、、面と向かって注意したならもういいのでは?(´д`)》《女将の品格を疑う》《喫煙所をきちんと作ればいいのに、喫煙者だけ他所へ行けと爪弾きするなどサービス業にあるまじき傲慢さ》
その「喫煙所」、実は旅館にもともとあり、存廃が議論されてきた。しかし2000年3月25日にあった大火事が頭から離れなかった。西屋と同じ茅葺屋根の旅館が2軒隣接していたが、いずれも火事で全焼。西屋だけが奇跡的に延焼を免れたのだ。
「それをきっかけに火元の管理について、非常に神経質になりました。古い建物なので、喫煙所の煙が他の部屋にも流れてしまい、クレームを受けたこともありました。
そうこうするうちに2020年に厚生労働省が分煙を強化する通達を出したので、タバコのニオイが苦手な人も安心して泊まれる旅館にしよう、同時に古い建物を火災から守るためにも完全禁煙にしようと決めたのです」
宿泊の際に、禁煙の旨を口頭で伝えたり、「館内・敷地内禁煙」という注意書きを館内や客室など目立つ場所に表示していた。それでもごく少数の宿泊客がトイレの中や、室内でビールの空き缶を灰皿代わりに吸った形跡を残して帰ることがあった。
タバコのニオイのことでスタッフにこれ以上負担をかけるわけにはいかない――そう考えSNSに投稿したのだ。
コメントなどの反応に安堵し、勇気づけられたが、蒸し返す人がいた。当の喫煙宿泊者本人である。利用した宿泊予約サイトに“逆ギレ”評価を書き込んだのだ。騒動から2日後の12月18日のことだ。
総合評価2(5点満点中)。サービスは最低の1。コメント欄には《冬は雪が多く、個人で雪かきしないと車出れません。スキー場感覚で行かないと行けません》と記載されていた。
「喫煙を咎められたことには触れずに雪かきがどうのこうのと。もちろん私たちは車が出られるように除雪はするのに、ですよ。論点をズラした的外れなコメントで、これはもうまかりならんと」
遠藤さんは宿泊サイトの評価に返答する形でコメントした。事の経緯と全面禁煙に至った理由などを書き、
《本来であれば相応の弁償(クリーニング代)をご請求致したいところですが、恐らく応じて頂けることはないだろうと判断し、この返信を以て遺憾の意を改めてお伝えしたいと思います》
と付け加えた。
さらに、喫煙客が投稿した評価画面と、自分のコメントをスクリーンショットして画像とともにX(SNS)に再び投稿した。
日本には「サービス業が下に見られがちな風潮がある」
この騒動にメディアも注目し、遠藤さんに取材依頼が舞い込む。取材を受け記事が出ると、ヤフーニュースにも転載、拡散された。すると、同業者や飲食業、レンタカー会社などの人からも、
《私たちも喫煙で被害を受けたことがあります。よくぞ言ってくれた》
と溜飲を下げるコメントが複数届いた。
批判的な反応も覚悟して、遠藤さんが取材を受けたのは、ずっと抱えてきた違和感があったからだ。
「サービス業が下に見られがちな風潮が日本にはずっとあります。いまはネット社会で、お客様は自由に感想や意見を書いて公表できます。なかには参考になる意見もあるのですが、単なる感情的な感想や理不尽な意見もある。そうした意見に対しても、“お客様は神様”だから、旅館は唯々諾々と頭を下げるべきなのかと疑問に思ったんですね。そうじゃないだろうと」
以前、宿泊客から、本館の部屋に手洗い、洗面所がついていないから不便だと書かれたことがあった。しかし100年以上前に建てられた建物である。その不便さも旅情のひとつとして味わってほしいのだが、理解されなかった。
なかには、カスタマーハラスメントとも取れる要求を振りかざしてくる客もいた。
1年前の冬、チェックイン時刻よりかなり早く到着した予約客がいた。雪でどこにも出かけられないから、部屋に通してくれと言う。
しかし部屋の準備が整わず、部屋に早く通す場合には暖房代をいただくことになる旨を伝えたところ、そんなものを払いたくないからロビーで待つと怒り出してしまった。
その後もスタッフに当たり散らす様子がうかがえ、このままでは厄介ごとになると思った遠藤さんは、客に提案した。
「暖房代などはいただきませんから部屋にお通しします」
そう言うと、客は豹変。
「だったらなんで最初から部屋に通さないのか」
と怒り始めたのだ。その態度にカチンときた遠藤さんは言った。
「お客様だったら何を言ってもいいんですか」
“主客対等”なのだから、間違ったことをそのままにはできないと思ったのだ。
一方で、クレームにはサービスを改めるヒントが含まれていることもあった。
西屋は、旅館としての基本的な考えを意思表示できていれば衝突は避けられたかもしれないと、コンセプトや設備などについて、ホームページで紹介することにした。
また喫煙騒動を機に、弁護士と相談し、約款や利用規則の見直しを進めた。チェックインの際に利用規則を提示し、〈当館は全館禁煙〉であることを説明した上で、「同意する」場合にはチェックを入れるという手順にした。
そうした対応に変更してから、トラブルが激減したという。遠藤さんは一連の喫煙騒動を次のように振り返る。
「あれ以来、私はいつも怒っているという印象を一部で持たれがちなんですが、そんなことはありません(笑)。でも勇気を出して声をあげてよかったのは、マナーだけでなく、お客様や宿のあり方についての議論を社会に提供するきっかけになったことです」
喫煙騒動が一段落し、旅館は日常を取り戻したが、遠藤さんは先行きに対する不安を感じるようになっていた。
コロナ蔓延の前から国内旅行者は減り、交通の便がよくないこともあってインバウンド需要とはあまり縁がなかった。
クラファンは1週間で目標額を達成
地元の小学校が閉校し、複数の商店が閉店、同業者も次々と苦境に立たされ、地域が寂れるスピードは加速するばかりだった。西屋ははたして自助努力だけで維持できるのか。
「つてを辿ってある人に、西屋を立て直す手立てを相談していたんです。でも非常に厳しい状況だと言われまして、そこに追い打ちをかけるように、一昨年夏に、私が乳がんを患ったんです。そこで気持ちがぽっきり折れてしまって。私、もうダメかもって。秋から暮れにかけては、事業譲渡をするしかないのかという状況になっていました」
そんなとき遠藤さんは不思議な体験をする。ふと茅葺の母屋に目をやったとき、寒さに耐え、雪の重さを引き受け、灯火をたたえる母屋の優しげな姿に胸を締めつけられ、はっと目が覚めたのだ。
「もしもここで、全部諦めて西屋を手放したら、一生後悔するだろうなと。なくしたらもう二度と再建できない大切な建物を自分たちは守っているのだ。母屋も耐えているのに私が諦めたら終わりだと。この山奥に住んでいるのは何かの使命。この旅館は手放してはいけないと思いました」
西屋を立て直す切り札にしたのは、旅館のシンボルでもある茅葺屋根の改修である。ただ、多額の資金が必要になるがどうするか。考えあぐねた結果、浮かんだのがクラウドファンディングだった。
奈良の法隆寺を観光したとき、クラファンをしていたのを思い出したのだ。身近にいたクラファン経験者に相談し、一か八かトライしてみた。クラファンのホームページにはこう思いを綴った。
《日本人の心に普遍的な懐かしさを呼び起こす古き良き佇まいを、何とか未来に残していきたい。近代化が加速する中、茅葺建築の維持がどんどん難しくなりつつある現状を一人でも多くの方に知って頂きたい》
目標は400万円。正直、1か月で100%に届けば御の字と思っていた。ところがフタをあけたら、なんと1週間もたたない間に100%を達成! 最終的に750万円に達した。
支援は全国から届き、返礼に用意していた茅葺屋根の葺き替え体験には小学生や都内在住者からも参加申し込みがあった。
「こういう古い建物は、時代に取り残されて消えていく運命にあるんだと落ち込んでいましたが、いや、そんなことはないのだと、皆さんに気づかせていただいた。感謝の気持ちでいっぱいです」
遠藤さんによれば、木造の館内に立つ立派な木の柱は飴色に光り、それがなんとも優しい風情を醸し出すという。風呂も300年前につくられた石風呂をそのまま使っている。洗い場も狭く滑りやすいが、この建物からは長い年月の中で積み重ねられた味わい、ロマン、風情がにじみ出ている。
これはお金をいくら積んでも手にできないものだ。
「その価値を理解して、醍醐味として味わっていただけることが、クラファンを通じて実感できました。西屋は古いままでいいんだと。これまでマイナスだと思っていたことをプラスに考えられるようになって、私も立ち直るきっかけをいただきました」
かつてはなじみの喫煙客も多かった。喫煙所をなくし、〈全館禁煙〉にすれば、客数が減ることも容易に想像できた。それでも火災に弱い歴史的建造物を守るため、宿泊客に規則への理解を求めてきた。
老舗旅館の一女将が見せた違反客と闘う姿勢─その背景には、老舗旅館を守る者の覚悟と責任があった。
そして、騒動を経たいま、「応援する客」と「旅館」という、存続を願う同志のような新しい関係性が築かれつつある。
茅葺屋根の改修工事は今年6月末から始まる予定だ。命を吹き返した母屋によって紡がれる物語を、遠藤さんはこれからも発信していく。
取材・文/西所正道