LINEヤフーの出澤剛社長CEOは、インターネット業界の進化を創り出してきた一人だ。新卒では生命保険会社に就職し、営業担当を経て、2002年にホリエモンこと堀江貴文氏らが創業したオン・ザ・エッヂ(2004年、ライブドアに社名変更)に入社。インターネットの世界に舵を切り、特異なキャリアを築いてきた。
2007年4月には、ライブドアの社長に就任。経営再建に取り組み、1年半後に通期での黒字化を達成した。2015年にLINE社長CEO、2023年10月にLINEヤフー社長CEOに就任している。
出澤社長は「変化を楽しむ」という考えを大事にしてきたという。その理由やインターネットに感じた可能性、ライブドアでの堀江氏とのやりとりなど、キャリアを築く中で得た仕事観を聞いた。
●上司が堀江貴文氏 どんな存在だった?
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――出澤社長は「変化を楽しむ」という考えを大事にしていると聞きました。LINE以前はライブドアの社長などを歴任していますが、なぜこの考え方を大切にしているのですか。
2つあります。1つは市場的な話で、やはり変化に強い会社が結果的に生き残っている事実があります。日本の大企業を見ても、戦後の高度成長期に大きく成長し、しかしその後、次第にイノベーションが停滞し、厳しくなっていくバイオリズムがありました。
私は、今あるものを賭けて、再度生まれ変わるような変化をし続けるような会社がサステナブルだと考えています。米国ではM&Aもあって、10年続く企業が非常に少ないのが現状です。今の大企業を見ても、自社の屋台骨ごと変えるような変化をしている企業が非常に強くなっているし、伸びています。
現状の維持は、長期的にみれば「衰退」を意味します。極論かもしれませんが、現状維持は最終的に死を意味するので、やはりリスクを取って変わり続けることが逆説的に、継続的な成長につながると思っています。
もう1つは個人的な経験なのですが、ライブドア事件に立ち会い、その結果LINEの誕生にも立ち会ったためです。今も経営統合の真っ只中にいます。望むと望まざるに関わらず、人生においていろいろな変化に巡り合ってきました。
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その結果を振り返ると、こうした変化自体が自分にとってネガティブだったかというと、むしろ学びの方が多く、それが自分の糧になっています。自分にとってできることが増えたり、仲間が増えたり、物事が少し別の角度から見えるようになったりしました。自分を変化させてきたことは、振り返ると非常に良かったことです。これは多くの方にとっても同じではないかと思います。
コンフォータブル(居心地の良い)な安全地帯にいるよりは、一歩を踏み出してチャレンジしてみて、変化してみることが自分の経験として大切だったと思います。あそこがあったから今があり、あそこがあったからポジティブな成果があったと後から振り返ることができます。
世の中の企業や、私の個人的な経験を見渡しても、やはり変わり続けることが大事です。どうせ変わるのだったらいやいや変わるのではなく、ちょっとメタ的に自分を認知して、困難な状況でも面白いと思えるようになると、次につながる形で頑張れると思います。
――ライブドアの経験も生きていますか。
そうですね。そういう意味で言うと、ライブドアにいた時も大変ではありました。しかしサービスも伸びていましたし、社員も皆、若くてすごく頑張るチームでした。周りからは「大変だね」といわれることも、本人たちは大変だと思っていないこともあるものです。それこそいろいろやってみようということで、楽しんでいました。
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――ライブドア時代にはホリエモンこと、堀江貴文さんが上司だったこともあると思いますが、どんな存在でしたか。
堀江さんはとても怖かったですけど、言っていることはすごく的を射ていて、「そりゃそうだよな」ということが多かったです。「世の中こうなっているからこうなんです」というような考え方を許さず、合理的に説明できないと「なんでなんでなんで」と問い詰められます。そこで「世の中的にこうなので」「クライアントに言われたので」と答えてしまうと、叱られることもありました(笑)。
そんなやりとりが、クリアファイルを発注するかどうかのレベルの話でもありました。やはりとても頭の良い方なので、何が問題の本質かの見極めと、そこに一気にラッシュしていく集中力と突破力はすごかったですね。
――出澤社長のビジネスの考え方にも影響を与えましたか。
堀江さんに限らず、ライブドアという会社から深く影響を受けました。やはりインターネットのイロハを教えてくれたのはライブドアでした。もともとインターネットは好きだったものの、そこまで詳しくはありませんでした。
私が保険会社から出向した時のライブドアは当時オン・ザ・エッヂという名前で、Webの受託開発をする会社でした。当時の日本の上場企業でも多くの会社がWebサイトを持っていなかったような時代でした。オン・ザ・エッヂはWebサイトの制作だけではなく、当時は珍しくデータセンターも自社で運営していました。広告部門もあり、アフィリエイトやクリック課金の広告システムも販売していました。
そういう意味では、われわれが案件を受託すると、まずドメインを取って、SSLの申請をしてサーバを立て、サーバの構成を考える。そしてWebサイトのデザインや構成を考えて、最後に納品したあともマーケティング支援までワンストップで提供している会社でした。
レベルはさておき、一通りインターネットのレイヤーの上から下までを勉強できたのはとても大きな経験になりました。当時のオン・ザ・エッヂ、ライブドアはすごくエンジニアドリブンの会社でした。堀江さん自身も自分でコードを書いていましたし、非常に優秀なエンジニアが集まっていた会社でした。
そういった人たちと日々接することによってさまざまな勉強になりました。エンジニアたちや会社からもいろいろと教えてもらえましたね。
――やはりネットに触れた時に「これは今後の世界を変える」という感覚があったのですか。
保険会社で働いていた当時、23歳の若手である自分が会社にインパクトを出せることはほとんど何もありませんでした。そういう状況の中で、オン・ザ・エッヂに1年間出向しました。同社では大企業にテレアポをして、それなりのアポイントを取れることが日常でした。ここは保険営業をしていた自分からすると驚きでした。さらに皆が聞いたことのある大企業の中に入り込んで、1〜2カ月という期間できちんと提案できたのもいい時代でした。
4〜5人のチームで作ったサービスを、たくさんの人に使っていただいたことも衝撃でした。少人数で生み出したものが世の中にインパクトを出せる。これが、保険会社との対比で見た時に、キラキラ輝いて見えたわけですね。
それはそれで大変なところもありますが、1人1人にかけられるレバレッジが無限大だと思い、そこがインターネットの面白さだと痛感しました。本来は1年で保険会社に帰るはずだったのですが、そのままオン・ザ・エッヂに居着いてしまった形ですね。
この考え方は今でも変わっていません。後にLINEという、本当に少人数で作ったものが、今やグローバルで約2億人が利用しています。インターネットでは、本当に少人数で世の中にインパクトを与えるものを作れます。良い意味で世の中をもっと便利にしたり、もっと楽しいことを生み出したりするものが生み出せるのです。ここがコアな原体験としてあり、今に続いています。
(河嶌太郎、アイティメディア今野大一)
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