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ダイヤルを1958年に合わせると、木製のラジオから当時のニュースと昭和歌謡が流れ出す。耳を傾けていた介護施設の利用者が、若い頃の思い出を語り始める。
【写真4枚】「RADIO TIME MACHINE(ラジオタイムマシーン)」の実物
これは介護施設で実証実験中のAIデバイス「RADIO TIME MACHINE(ラジオタイムマシーン)」が見せた光景だ。
開発したのは、博報堂DYグループの「TBWA HAKUHODO」だ。介護大手の「ニチイ学館」が、介護現場での実証実験に協力している。中身は最新の文章生成AIと音声生成AIで、ダイヤルで西暦を選ぶと、その年のニュースとヒット曲がラジオ番組風に再生される。狙いは、利用者の過去の記憶を呼び覚まし、周囲との会話を生み出すことだ。
両社が行った実証実験では、利用者の笑顔の度合いが平均8.7%上昇し、1分当たりの発話量が10.8語増えた。両親の名前すら思い出せなかった利用者が、家族の話を始める場面もあったという。
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介護スタッフの不足や、利用者との世代差による会話のしにくさ。介護現場が抱えるこうした課題に、生成AIを活用しようとする試みは浸透するのか。今回は、RADIO TIME MACHINEの実証結果を振り返りつつ、新たに見えた事業化の壁について考察したい。
●青春時代を呼び覚ますラジオ
RADIO TIME MACHINEの外観は、1950〜60年代の据え置き型ラジオを思わせる形をしている。ラジオとの違いは、液晶画面の表示が周波数ではなく西暦であることだ。ダイヤルを回すと、1950〜2025年の間を1年刻みで針が動く。年を選ぶと、その年の今日と同じ月日に起きたニュースと当時のヒット曲が流れ出す。
この商品には最新の生成AIが組み込まれている。ベースとなるのは、Wikipediaに掲載された過去の出来事をもとに、事前に作り込まれた独自のニューストピックリストだ。これを、文章生成AIが当時のラジオ番組風の原稿に仕立てる。
原稿を読み上げるのは、30人以上の開発関係者の声を録音して構築したAIボイスだ。各年代のラジオの話し方、抑揚、語りのテンポ、当時のラジオ特有のノイズまで再現することで、時代感のある音声を生成している。近接した日に同じ年を選んでも、AIキャスターの感想や言い回しが毎回変わるため、利用者が同じ放送を繰り返し聞いている感覚にならないのが特徴だ。ニュースの合間には版権元から個別に許諾を得た当時のヒット曲が流れ、約20分のコンテンツがループする。
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このように、各年代のラジオの雰囲気を感じられるRADIO TIME MACHINEだが、なぜ1950年が起点なのか。本プロジェクトを率いるTBWA HAKUHODOシニアクリエイティブ・ディレクターの鈴木賢史郎氏は「介護施設の利用者は80〜90歳代が多い。彼らが結婚するちょっと前、青春時代の思い出を呼び覚ますために1950年に設定している」と説明する。
●現場で見られた変化
実証実験に協力したのは、全国約1900の介護拠点を展開するニチイ学館だ。その一部の施設で、2026年1月下旬から2月下旬にかけて行われた。実証実験前は、スタッフに両親の名前や若い頃に働いていた会社を聞かれても、答えられなかった施設利用者も多い。しかし、若い頃のニュースやヒット曲を聴きながら同じ質問をされると、家族の名前を口にするだけでなく、当時の家のことまで話し始めたという。
「あの頃は車で東京を走り回って、ずっとラジオを聞いていた」「寝る前にラジオをつけっぱなしにしていた」などと、20代だった頃の生活風景を自然と語り出す。1950〜60年代の音源を流すと、当時20代だった現在の80〜90歳代が最も反応するという。
ある利用者の娘が同席した回では、母親が東京の目黒区で働いていたという話が初めて明らかになった。親のアルバムを自作するほど母親思いの娘でも、聞き出せていなかった過去だという。
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「利用者が、ご自身の情報を自然に話してくださるので、『昔そんなことをしていたんだ』『ご家族はそういう方だったんだ』と、聞いているこちらも楽しくなります」
このように手応えを語るのは、ニチイ学館の人財開発事業本部理事本部長でGENBA SMILE Lab所長の松本裕美子氏だ。スタッフからは「私もほしい」との声まで上がったという。
良い反応は数字にも表れている。表情解析では、口角の角度などで測る笑顔の値が平均8.7%上昇し、最大23.8%上昇した利用者もいた。骨格推定による身体活動量解析では身振り手振りが10%増加し、1分当たりの発話量は10.8語増えた。
●なぜ、木製ラジオなのか
RADIO TIME MACHINEは生成AIを使ったソフトウェアだが、それを重さ約2キロの木製ラジオというハードウェアに組み込んでいる。前面に大きなつまみが付いているなど、1950〜60年代の日本のラジオデザインを参考にしたという外観は、高齢者が「懐かしい」と感じる見た目だ。
しかし、なぜスマホアプリではダメだったのか。鈴木氏は「高齢者に触ってもらうには、こうしたリアルなものでないと難しい」と話す。介護施設の高齢者はそもそも自身のスマホを持っておらず、アプリは扱いづらい。長く使ってもらうには、画面の中ではなく、リアルなモノとしての存在感が必要だったのである。
また、ラジオであることが、より豊かな交流や体験を作り出している。テレビと違い、ラジオは画面を凝視する必要がない。そのため、共有スペースに置けば複数人で楽しむことができ、視線が解放されているため利用者同士やスタッフとの会話が成立する。スタッフが「ながら聴き」で利用者と言葉を交わせるのだ。
●AIによる“効率化”への違和感が起点に
この木製ラジオ開発において、鈴木氏は「効率化からは距離を置いている」と話す。TBWA HAKUHODOのフィロソフィーは「ディスラプション(創造的破壊)」だ。既存の前提をひっくり返すという反骨精神を、企業の核に据えている。AIによる業務効率化や人員削減ばかりが語られる議論への違和感が、開発の出発点にあった。
「AIで効率化は進むが、その裏で、機械的で非人間的な、寂しい社会が生まれつつある。そんな問題意識があったので、AIの使い方を真逆にしていこうと考えた」(鈴木氏)
ニチイ学館の松本氏も同じ思いだ。「効率化ではなく、AIで人と人の隙間を埋めていく。今まで引き出せなかったものを引き出し、プラスアルファを作り出す。そうした使い方が見えたのがおもしろかった」と話す。
両社のアプローチは、介護現場の構造的な課題ともかみ合う。ニチイ学館が介護スタッフ向けに行ったアンケートでは、業務負担の上位に「利用者の見守りやコミュニケーションの難しさ」が挙がった。スタッフは「もっと施設利用者と話したい」と望むが、世代が離れていて会話のきっかけがつかめない。RADIO TIME MACHINEは、その世代間の距離を縮める役割を果たしている。
●「会話を増やす」ことにお金を払う企業はあるか
TBWA HAKUHODOは、2026年春から北里大学医療衛生学部の福田倫也教授らと共同研究を始める。調べるのは、RADIO TIME MACHINEが認知症の症状改善にもたらす効果だ。
認知症患者の、落ち着きがない、怒りっぽい、意欲が下がるといった症状は、家族を介護疲れに追い込む大きな要因とされている。RADIO TIME MACHINEがこの症状に効くなら、認知症ケアの新たな選択肢になりうるだろう。
ただ、仮に医学的な効果が確認されたとしても、事業として成り立つかは別問題だ。RADIO TIME MACHINEは既存の介護保険上の福祉用具貸与・販売の対象種目には該当しにくく、現時点では保険外での運用が前提になる。
RADIO TIME MACHINEは、今後家電メーカーなどと組んで数百〜数千台の規模で製造され、介護施設への販売・貸し出しが行われる予定だ。しかし、「施設利用者との会話を増やす」ためのデバイスに、自社負担で資金を投じる企業がどれほどあるのかは未知数である。
TBWA HAKUHODOとニチイ学館の取り組みは、AIの使い方の幅を広げる試みの一つである。しかし、実証実験で見えた効果を事業として広げていくには、導入企業の資金的ハードルをいかに下げられるかがカギとなりそうだ。
筆者:斎藤健二
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