たけし軍団に入って芸歴40年のラッシャー板前「殿から巣立たないと」師匠からの卒業

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2023年04月23日 21:10  週刊女性PRIME

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ラッシャー板前

「自分でもまさかこんなに続くとは思ってもみませんでした。奥さんにも“よく25年もったよね”と言われます(笑)」

 昨年3月、25年間レギュラーを務めた情報番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)を卒業したラッシャー板前(59)。初出演は1997年4月で、以来土曜朝の顔としてお茶の間の人気を集めてきた。実は当初はピンチヒッターでの登板で、レギュラー入りの予定はなかったと明かす。

美食旅の弊害とは!?

「僕の前にレギュラーを務めていたのが軍団の松尾伴内さん。あるとき松尾さんが舞台出演で番組をお休みすることになり、代役に僕を指名してくれて。食リポを伴うロケが多いのですが、もともと彼は海産物が苦手で、“ラッシャーなら好き嫌いなく何でもおいしく食べられるから”と。最初、自分は代役だからと自由に楽しくやっていて、それがよかったみたいです(笑)」

 ラッシャーの出番は生中継のコーナーで、アナウンサーと共に地元の生産者を訪ね、その土地の名物を紹介していく。人気番組の生放送に緊張する出演者も多いが、ラッシャー流の気配りで場を和ませてきた。例えば素人にはあえて台本を渡さず、素の言葉を引き出す、というのもそのひとつ。

「一言一句、台本に書かれたとおり言おうとすると、やっぱり緊張しますよね。そういうときは“台本は気にせず、僕とアナウンサーさんの質問にだけ答えるようにしてください”と伝えます。ご自分の言葉で話してもらうと、地元の方言が出たり予想外の展開になって面白いんです」

 総出演数は1000回以上。全国各地を旅して回り、25年間で47都道府県を制覇した。番組で出会った各地の美食のなかで、とりわけ印象に残っている逸品はというと?

「福井県の若狭かれい! 身が透き通っていて、卵を持っているからピンク色に染まっている。肉厚の身に切れ目を入れて、七輪で焼いて熱々を食べるともう、凝縮された旨みがあふれてきて。あと最高だなと思ったのが、青森の八戸前沖さば。

 極寒の海で育っているから脂ののりが完璧なんです。カニやマツタケは美味しくて当たり前だけど、かれいとさばは正直ナメてかかっていたから驚いた。あまりに美味しくて感動しましたね」

 さすが25年のキャリアで、グルメの紹介となると描写も鮮やか。いまやご当地グルメの名リポーターとして誰もが認めるところだが、美食の旅には弊害もあるそうで─。

「25年で尿酸値がぐっと上がって、8以上で通風というところ、10を超えちゃいました。これからも旅に行って好きなものを食べられるよう、朝晩欠かさず薬を飲んでます(笑)」

 そのライフワークともいえる番組を卒業して1年がたち、新たなことに挑戦した。
今年はたけし軍団結成40周年にあたり、この3月に、記念プロジェクトとして『ウスバカゲロウな男たち』を上演した。ラッシャーにとっては芸歴40年目にして初舞台で、台本には“客席を意識!”など赤字をずらりと書き込み、本番に臨んだ。

「寝る間も惜しんで必死でセリフを覚えました。まったく初めての経験だったので、手応えといえるような余裕もなくて。今は終わってちょっとほっとしています(笑)」

師匠からの“巣立ち”を意識した舞台

 たけし軍団だけにドタバタな喜劇作品かと思いきや、『ウスバカゲロウな男たち』は意外にも人情会話劇。

 あるとき中堅企業の社長が亡くなり、創業時から会社を支えてきた役員の中から次期社長を選ぶと発表される。すると役員の男たちが次々“われこそは!”と名乗りを上げ─。

「僕の役はおとぼけキャラの役員で、素の自分に近い感じ。みんなの役もそうで、そこは脚本家の方が考慮して書いてくれたみたいです」とラッシャーが言うように、舞台の設定は現実と大きくリンクする。

 劇中でも最終的にはつまみ枝豆が次期社長になった。

 ビートたけしの弟子たちにより、1983年に結成されたたけし軍団。当初軍団メンバーはビートたけしが設立した『オフィス北野』に所属していたが、2018年に師匠が事務所を退社。後任としてつまみ枝豆が新社長に、ダンカンが専務取締役に就任し、軍団の主要メンバーは『オフィス北野』改め新社名『TAP』の所属となった。

 本公演はたけし軍団にとって初の舞台公演で、恩師への感謝の念と巣立ちを物語に重ね合わせる。ラッシャーが改めて師への思いを口にする。

「僕らももういい歳ですから、いいかげん、師匠に頼るのもおかしな話ですよね。最近は師匠とお会いする機会もほとんどなくなりましたけど、師匠には本当にたくさんのことを教えていただきました。これからはみんなで頑張っていきます、という気持ちです」

 たけし軍団は一軍・二軍・三軍・その他メンバーで構成され、最大時は50人以上が在籍していた一大組織だ。当時一軍メンバーは、ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、ダンカン、グレート義太夫、井手らっきょ、松尾伴内、柳ユーレイ(柳憂怜)、そのまんま東(東国原英夫)、大森うたえもん、ラッシャーの計10名。

 彼ら一軍は軍団の中でも師匠に最も近いメジャーチームであり、メンバー入りはもちろん、40年にわたりメジャーであり続けるのは並大抵のことではないだろう。ラッシャーも入団時は一軍に入れず、先輩芸人のすがぬま伸のケガを機に代打として加入している。

「とにかく必死でした。師匠に“軍団に代わりはいくらでもいるから”と言われて、“くそー、なんとかしがみついていかなきゃ!”と思って。今振り返ると、常に全力投球だったような気がします」

 '80 〜'90 年代はバラエティー番組の黄金期で、芸人たちが身体を張って笑いをとっていた時代。熱湯風呂にボウリングのボールを使ったバレーボール、ワニ園での綱渡りクイズ、ブリーフ1枚で雪のスキー場直滑降など、文字どおり命がけのロケも多々あった。

テレビではできないことをYouTubeで!

「雪山直滑降は40歳近くまでやっていたんじゃないかな。あるときタカさんの裸の背中にシミができているのを見つけて……。彼は7つ年上ですから、“自分がタカさんの代わりに頑張らなきゃ!”と思った記憶があります(笑)」

 今となってはコンプライアンス的に問題視されそうな過酷な現場の数々を乗り越えてきたが、芸人たちの頑張りがお笑いの一時代を築いたのも事実。ラッシャー自身にとってその経験はまた大きな武器になったと話す。

「おかげで鍛えられました(笑)。免疫がついて、風邪をひくようなこともまずありません。だから25年間の生放送もやってこられたんだと思います。番組は卒業したけど、リポーターのお仕事はこれからもずっと続けていきたい。その土地の魅力を伝えていくのは僕の使命だと思っているので」

 今年は芸歴40年という節目に加え、6月15日の誕生日で60歳の還暦を迎える。人生の3分の2をたけし軍団として生き、初舞台を経験した今、この先挑戦してみたいことを聞いた。

「軍団で昨年YouTubeを始めたので、そこでまた旅番組をやりたいですね。何しろネタは山ほどありますから。テレビじゃ言えないこと、できないことも、YouTubeならできそうじゃないですか(笑)。パンツ一丁でスキー場にはもう行けないけれど(笑)、まだまだ変わらず現役で頑張るつもり。軍団の誰一人欠けることなく現役でい続け、次はみんなで50周年記念公演をやれたらと……。ただ僕はなるべくセリフ少なめで、と思っています(笑)」

取材・文/小野寺悦子

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