吉祥寺で100年続いた老舗の銭湯「よろづ湯」の“終活”を手伝った話

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2023年06月26日 13:51  マイナビニュース

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3月15日の夜、自宅で仕事をしていると知らない番号から1本の電話がかかってきた。出ると、「よろづ湯です」と一言。


よろづ湯は、東京・吉祥寺の歓楽街にひっそりと構える、100年以上続く銭湯。今では大変珍しい番台スタイルを貫く銭湯で、男女別の扉を開けると、すぐに脱衣所があり、その横にある番台で入浴料を払うシステム。だから番台から脱衣場もお風呂場も丸見え。数年前初めてここに来た時は、「え、このおじさんの前で着替えるの?」と衝撃を受けたが、慣れれば全く気にならなくなり、それどころかその昔ながらの佇まいと、奇をてらわない素朴な雰囲気が気に入って、よく通うようになった。

○店主の入院で1年半前から休業していた「よろづ湯」


電話の相手は、その番台にいつも座っていた店主からだった。実はよろづ湯は、店主が病気で突然入院することになり、1年半前から休業していた。無事退院し、自宅に戻ったと聞いてからは、店主に何度か会いに行った。休業して約1年後、店の前に再開に向けて準備しているとの貼り紙を見た時は心から嬉しかった。


店主は病気で体が不自由になってしまったので、「できることがあれば手伝うから何かあれば連絡してね」と電話番号を渡していた。しかし半年たってもなかなか再開しないからどうしたのかと心配していた矢先、店主からこの夜に初めて電話がかかってきたのだ。いよいよ再開するという報告の電話かと思ったが、電話の声は暗い。「どうしたんですか?」と聞くと、「3月末で廃業することになった」と。再開に向けて頑張ってきたが様々な事情で廃業という苦渋の決断に至ったとのこと。もうどうすることもできない状態のようで、私は「今まで本当にお疲れ様でした」と言うことしかできなかった。


私はよろづ湯のお風呂が本当に好きだった。浴槽は、通常のお風呂と深めのお風呂のみで、もちろんサウナもなし。簡素な造りだが、お湯に浸かりながら壁一面に描かれた富士山のペンキ絵を眺めていると、今抱えている悩みなんてどれもちっぽけに感じて、不安や心配事は一瞬で吹き飛んだ。電話を切り、もうあの富士山の絵を見ながらお湯に浸かれないのかと思ったら涙があふれた。



湯に浸かれなくてもあの景色をもう一度見たい。店主に言えば見せてくれるだろう。しかし私だけでなく、他の常連さんだって見たいのではないだろうか。それに100年も続いた銭湯がこんな形で終わってしまうのは悲しい。だったら店主に相談して、1日銭湯を開放するのはどうだろうか……。せっかく開放するなら多くの人の記憶に残るような楽しいイベントにしたらどうだろうか……と思いついた。でもどうやったら店主を説得できるだろうかと、あれこれ考えていたらその日はほとんど眠れなかった。

○「やっても誰も来やしないよ」と乗り気でない店主を説得して……



次の日、店主の元を訪れ、よろづ湯お別れ会開催の提案をした。案の定、店主は「そっとしておいてほしい」「静かに引退させてくれ」「やっても誰も来やしないよ」と全く乗り気ではなかった。でも、「ずっと再開を待っていた常連さんに何の挨拶もなしに終わっていいの!?」と半ば強引に説得し、お別れ会の開催を許可してくれた。3月末までにこの場所を明け渡さないといけないので、お別れ会は3月の最終週の日曜日に決めた。


わずか10日で、イベントなんか開いたこともない私に何ができるのだろうか? と考えたが、とりあえずやるならとことん楽しくしようと、常連さんだった落語家さん、アーティストさんに連絡をとり、お別れ会への出演をお願いすると快く引き受けてくれた。お別れ会のお知らせのチラシを銭湯の入口に貼り、よろづ湯のインスタを作り、地域のコミュニティサイトでお別れ会の告知もしてもらった。するとインスタを開設してたった1日でフォロワーが100人を超え、問い合わせもたくさんきた。市役所からも電話が来て、当日は市長も参加したいと連絡があった。想像以上の反響があり、もう後には引けない。



あまりにも多くの人が来たら大変なことになるので、入場料を取るべきでは? という意見もあったが、多くの人にこの昔ながらの銭湯を見てもらうというのがこのイベントの目的だったので、無料で行うことにした。ただ予想以上に設営費がかかり、今回出演を快諾していただいた方々にも謝礼をお支払いしたいから、当日来ていただいた方々にカンパを募ることにした。

○いよいよお別れ会の当日。どれだけの人が来てくれるのだろうか……

そしていよいよ当日。男湯の浴槽の上にステージを設営し、風呂の椅子を並べて客席にした。何とも手作り感溢れるアットホームな造り。でもそれぐらいしかできない。女湯は見学用に一般開放し、アルコール・おつまみも販売することにした。雨の中、どれだけの人が来てくれるのだろうか……。心配をよそに、開場すると多くのお客さんが駆けつけてくれた。開会のあいさつをして、イベントはついに始まった。


最初は落語披露。銭湯で落語が聴けたら素敵だと思い、よろづ湯の常連で噺家さんがいないか店主に聞くと、女性の方でひとりいたと。それが立川志ら鈴さんだということが分かり、HPの問い合わせから連絡して出演が決定。志ら鈴さんが前座時代によろづ湯に通っていた頃のエピソードをマクラで語った後、よろづ湯が登場するオリジナルの「初天神」を披露してくれた。銭湯でプロの噺家さんの落語が聴けるなんて貴重な機会。みなさんの笑い声がお風呂中に響き渡っていた。


店主にもステージに上がってもらった。再開を目指して頑張ってきたが、様々な事情から廃業することになった経緯をご自身の口で説明。申し訳ない気持ちでいっぱいだと切なそうな表情の店主が印象的だった。だが、よろづ湯の歴史や建物について、お客さんからの質問に答えているうちに、店主にも笑みが。これまでの銭湯人生を振り返る良い時間になったようだ。


1年半休業していたこともあり、久々に店主に会えて喜ぶ常連さんも多かった。普段はシャイでなかなか話さない店主も嬉しそうに会話を楽しんでいた。



女湯の脱衣所には、残念ながら2021年末に廃業した吉祥寺の「弁天湯」の写真を飾った。よろづ湯同様に、吉祥寺の銭湯文化を支えた歴史あるお風呂屋。こちらも本当に多くの人に愛されてきた銭湯だった。その美しい風景の記憶を、記録として残しておくために廃業する数日前に弁天湯を訪れて撮らせていただいた時の写真を展示した。展示の前で立ち止まった人から「懐かしい!」「こんな銭湯もあったんだ」という声がちらほら。


プロのアーティストさんにも出演いただき、よろづ湯の常連であるシンガーソングライターの鈴木柊平さんと、シンガーの森村愛さんのパフォーマンスも大いに盛り上がった。イベントの締めを飾ってくれた森村愛さんは、黄色のワンピースに頭にタオルを巻いて、お風呂上がり風の衣装で「神田川」などの昭和歌謡を中心に披露。最後に披露したザ・ドリフターズの「いい湯だな」は、「吉祥寺よろづ湯♪」とアレンジを加えて歌唱。最後の「オヤジ、元気でいろよ!」のフレーズに、涙を流すお客さんも。大盛況のうちにお別れ会は幕を閉じた。


よろづ湯への寄せ書きコーナーを設置したところ、みなさんよろづ湯への思い出や店主に伝えたいことがたくさんあるようで、それぞれが思い思いのメッセージを書き込んでくれた。店主に渡したところ、1つ1つにじっくりと目を通して、「本当ありがたいね」としみじみ。


10日という短い準備期間にもかかわらず、150名近くの参加者が集まったよろづ湯お別れ会。終わった後に、あんなに乗る気じゃなかった店主から「やってよかった。本当にありがとう」とお礼を言われた時は涙がこぼれた。カンパも16万4,848円集まり、設営費と出演者やスタッフへの謝礼を支払うことができた。全部引いて残った3万5.000円は、店主に渡して引っ越し代の足しにしてもらった。


お店も時代の変化に合わせて、次々と現れては消えていく。後継者不足や立ち退きで閉店を余儀なくされる店も増えている。大好きな場所がなくなるのは残念だが、最後に楽しい思い出を作るお手伝いができてよかった。今回のイベントの様子は、インスタ(よろづ湯吉祥寺)やダイジェストからも見られるので、ぜひお時間ある時にのぞいていただけると幸いです。(鈴木恵美)

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  • 自分から進んで温泉や銭湯はまず行かないが、車中泊の旅で立ち寄った野付温泉浜の湯は、とても印象的だった。
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