月9『真夏のシンデレラ』は今年一番の“スベり芸”ドラマ! 脚本家は北川悦吏子大先生の正しい後継者

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2023年09月05日 00:21  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

テレビ・エンタメウォッチャー界のはみ出し者、佃野デボラが「下から目線」であらゆる「人」「もの」「こと」をホメゴロシます。

【今回のホメゴロシ!】「北川悦吏子メソッド」を律儀に踏襲、調べずに「山勘」で書く作劇に驚愕しきりの『真夏のシンデレラ』

 “月9”『真夏のシンデレラ』(フジテレビ系)が、「物語」が一つも存在しないまま、最終章に突入。最終章……という言い方もどうなんだ? と思ってしまう。そもそも「章」もへったくれもなく、雑……あ、いや、元気でカラフルなエピソードを思いつくままに羅列しただけの「動画」なのである。しかしこうした、ドラマとは呼び難い「動画」のほうが、若年層には訴求するのかもしれない。するんだろう。うん。

 「キュートでロマンティックな“月9王道”のラブストーリー」という触れ込みの本作、トレンディドラマの再来を狙っているようだが、さすがにこれと一緒にされては、往年のトレンディドラマ出身の野島伸司(敬称略、以下同)や坂元裕二も「おいおい、いくらなんでも、ここまで“キュートでロマンティック”ではなかったぞ(苦笑)」と待ったをかけるのではないだろうか。

 本作は、湘南が地元である女子3人組の蒼井夏海(森七奈)、滝川愛梨(吉川愛)、小椋理沙(仁村紗和)と、東京から来た男子3人組の水島健人(間宮祥太朗)、佐々木修(萩原利久)、山内守(白濱亜嵐)を中心に繰り広げる、ひと夏のラブストーリー。脚本を手がけるのは、2022年にヤングシナリオ大賞を受賞したての市東さやかだ。

 自社ドラマに「新しい風」を呼び込もうというフジテレビの思惑なのだろう。昨年のヒットドラマ『silent』(フジテレビ系)でも、前年のヤングシナリオ大賞を受賞して間もない生方美久を脚本に起用している。しかし、社会現象にまでなった『silent』と比べると、二番煎じを狙った本作は、パンサー尾形も嫉妬するほどの“スベり芸”ドラマになっている印象だ。

 ところで注目すべきは、市東の作劇スタイルが、あのトレンディドラマ界の“重鎮”北川悦吏子大センセイにとてもよく似ているということだ。

 筆者はこれまで、『半分、青い。』(NHK総合)『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』(日本テレビ系)『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系)『ロングバケーション』(フジテレビ系)と、北川作品の“魅力”を研究・解明してきたが、『真夏のシンデレラ』は、これらの作品に通底する「北川メソッド」との類似点が非常に多い。令和5年、北川イズムの正しき継承者がここに降臨、といったところ。いや〜よかったですね、北川大センセイ。

 さて、『真夏のシンデレラ』と北川悦吏子作品は、具体的にどう似ているのか。特筆すべき類似点を3つ挙げてみたい。

『真夏のシンデレラ』、北川悦吏子作品との類似点(1)
「こういう人なんです」という設定を読み上げる――説明ゼリフで仕上げる人物造形

 北川悦吏子作品の登場人物といえば、「えっとね〜、この子はね〜、長身でメガネをかけていて天才でね〜、(漫画の作画の)カケアミもできてね〜、クリームパフェを作るのが得意でね〜」と、大センセイがリカちゃん遊び感覚で考えた設定を施されることで有名だ。そしてそのキャラクター設定を、その人物ならではの行動や態度によって描写するのでなく、セリフによる「説明」で視聴者に訴えようとすることが多い。

 『真夏のシンデレラ』もこれと同様に、ヒロイン・夏海の「サバサバしてるけど恋愛偏差値の低い奥手女子」「シングルファザー家庭で家業に家事に奮闘する、蒼井家のお母さん的存在」という設定を、周りの人物たちにセリフで言わせることで、「こういう人なんです」と視聴者の記憶に刷り込ませる手法を取っている。「ったく夏海は鈍感だからな〜」「夏海ってほんとお母さんみたいだよね〜」といったセリフを、脇役たちに何度も何度も叫ばせる。それをドラマと呼べるのか? という問題は、今は脇に置いておこう。

 さらに、この番組のテーマであるらしい「住む世界が違う男女同士の、ひと夏の恋物語」を強調するために、「住んでる世界が違うね」というセリフを登場人物たちがマントラのように繰り返し唱えるのも、見どころだ。あまりにしつこく繰り返すので、しまいには笑えてくる。何度も繰り返す。これは「スベり芸」の真髄とも言えるだろう。出川哲朗のギャグ「ヤバイよヤバイよ」も、30年の間、何度も繰り返すことで、いぶし銀の境地に達したのだ。

 また、夏海の恋人で、「東大卒で頭がいい」という設定である健人の「頭がいい」の“描写”が、「暗算ができる」「屋台の射的で『当たると倒れる』仕組みを物理学っぽく説明できる」といったもので、これまた見る者を大いに和ませてくれる。

 北川作品は、登場人物の誰もが1日に30分ぐらいしか働いてなさそうだし、ヒロインはたいした努力も自己研鑽もなしに、ヒロインであるという理由だけで、すぐに望んだ仕事に就けてしまうという、職業描写の“おおらかさ”でおなじみだ。

 『真夏のシンデレラ』のヒロイン・夏海は、サップのインストラクターをしながら家業の食堂を切り盛りしている。「アタシ、この仕事、好きなんだよね」と、うわごとのように繰り返すものの、「How」が描かれない。どのように好きなのか、好きになったのか、どこにやりがいを見いだしているのか、矜持はあるのか。まったくわからない。家業の食堂は自転車操業でカツカツのはずなのに、なにかといえばすぐ内輪で集まって貸切にしてしまう。

 健人は大手建設会社の御曹司で、なおかつ社員として働いており、「仕事がデキる」「忙しい」という設定らしいが、しょっちゅう湘南の別荘でリモートワークをして、1日の半分は夏海のそばをウロウロしていたりと、たいそうゆったりしている。なるほど、働き方改革を見据えた令和のドラマ、ということか。また、健人が取引先と電話で話す際の「ファサードパースイメージはレンダリングしてからお送りいたします」と、ネットでサッと調べて取ってつけたようなセリフも実にフレッシュでよい。

 ほかにも、研修医(修)、大工(夏海の幼なじみの牧野匠/神尾楓珠)、美容師(愛梨)など、さまざまな職業に従事している設定の人物がいるが、誰もがいつでも暇そうで、平日の湘南の街を手ぶらでプラプラ歩いているか、防波堤に腰掛けて海を眺めている。そしてなにかと集う。

 よって視聴者は、「登場人物の仕事なんていうのは形だけのものなんでね。細部を気にしたら負けっすわ」と腹を括って見るしかない。

『真夏のシンデレラ』、北川悦吏子作品との類似点(3)
「知らない・調べない・取材しない」の三拍子。大胆な「山勘脚本」

 北川大センセイといえば、「リサーチしないよ。想像の翼を折るから」という名(迷)言を有言実行して、すべての脚本を勘で書いていることで知られるが、「令和の北川悦吏子」の有望株・市東さやかも、“師匠”のスタイルをしっかりと踏襲している。

 まず、舞台である「湘南」についての認識がめちゃくちゃだ。前述の「住んでる世界が違う」というセリフを多用しながら、なにかと「(作者が思う)東京と(作者が思う)田舎」の二項対立に持ち込む。このような作劇は、北川作品でも非常によく見かける。例えば、湘南地元女子3人組に「東京とここ(湘南)は違うから」「田舎だから星が綺麗でしょ」「東京人とは価値観のギャップが」などと言わせる。サップボードの展示会で東京を訪れた夏海は、東京駅に降り立つなり「やっぱ東京って、すっごいな〜!」などと言いながら周りをキョロキョロして、完全に「おのぼりさん」状態だ。

 湘南地域は長らくベッドタウンとして認知されており、過去20年間人口が増加し続けている。東京からの移住者も非常に多く、海に近く環境の良い街に暮らしながら、都内に通勤するというライフスタイルを選ぶ人が年々増えているのだ。「郊外」ではあっても「田舎」とは言い難い。

 また、愛梨が守と東京で遊んでいたら電車がなくなり、修のマンションに泊まるというシーンがあるが、街の様子はどう見ても夜10時過ぎぐらい。小田急線なら新宿を夜11時34分、東海道線なら品川を0時4分に出れば片瀬江ノ島駅まで帰れるのだが……。

 こうした、知らないうえに調べないで「こんなもんだろ」と勘頼みで書くという「北川メソッド」を律儀に継承する作劇に感心する。

 ……といったチェックポイントに加えて、毎回タンクトップとショートパンツ姿で跳ね回る森七菜の健康美や、内心では首を傾げながら演じていそうな間宮祥太朗の死んだ目など、見どころがたっぷりだ。なんとか最終回まで見届けたい。

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