坂本龍一に捧ぐ「創造的自由」へのオマージュ。AsynchroneはYMO名義の曲や“戦メリ”をどう解釈した?

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2023年10月20日 18:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by 青野賢一

坂本龍一がこの世を去っておよそ半年、Asynchroneが『Plastic Bamboo』と題した11のカバー曲集をリリースした。フリージャズやエレクトロニックミュージックのシーンで活動する6人からなるフランスの音楽コレクティブの演奏からは、坂本の死後に発表されたさまざま追悼記事ではあまり触れられない、坂本龍一のある側面を垣間見ることができる。

「Asynchrone plays Sakamoto.」とBandcampのプロフィールにあるとおり、坂本龍一の楽曲を演奏することをアイデンティティとして掲げる音楽集団が『Plastic Bamboo』で継承した「坂本龍一らしさ」はどういったものだったのか。文筆家/DJの青野賢一が読み解く。

日本で生まれた音楽の種子が、東からの風に運ばれてはるか遠方のフランスに落ち、実を結んだ——Asynchroneの『Plastic Bamboo』はそんな印象のアルバムだ。

本作は坂本龍一が作曲(1曲のみ共作)した11の楽曲をカバーした、いうなればトリビュートアルバムであるが、カバーとひとことで片づけることのできない軽やかな独創性と革新性に満ちた内容であり、そこには坂本の音楽への態度との共通点が感じられるように思う。このユニークな作品を紐解きながら、その種子たる坂本の音楽についても考えてみようというのが本稿の趣旨である。

Asynchrone『Plastic Bamboo』アートワーク(Bandcampで聴く)

まずはAsynchroneについて説明すると、チェロ、シンセサイザー、サックスとバスクラリネット、フルート、ピアノ、ドラムスの6名からなるフランスのグループ。それぞれがエレクトロニックミュージック、フリージャズ、コンテンポラリー、ワールドミュージックといったフィールドで活躍するアーティストである。

中心人物のひとり、シンセサイザーのフレデリック・ソウラードは、フランスの鬼才と称されるヨアキムが設立し2000年代初頭のフレンチエレクトロやエレクトロクラッシュシーンで存在感を放っていたレーベル「TIGERSUSHI」などの諸作でミキシングエンジニアやプロデューサーを務め、2010年代に入るとワールドミュージックとコンテンポラリーの橋渡しをするようなアーティストの作品を多数リリースしている「NO FORMAT!」のいくつかの作品にもミックス、プロデュース、演奏で携わっている。

もうひとりの中心人物はクレマン・プティ。彼はシンガーソングライターのブリック・バッシーやコラ奏者・バラケ・シソコらの「NO FORMAT!」からの作品や、4度の『グラミー賞』受賞歴を持つシンガーソングライターのアンジェリーク・キジョーの『Celia』(2019年)にも参加と、幅広いジャンルで活躍するチェリストである。

Asynchrone
パリのフリージャズとエレクトロニックミュージックのシーンで活躍するミュージシャンによって2021年に結成された音楽コレクティブ。坂本龍一の音楽に敬意を表しており、そのスタンスを「凍結された作品へのオマージュというよりも、創造的自由へのオマージュである」と表明している。

このAsynchroneというプロジェクト——おわかりのとおり、呼称は坂本の『async』(2017年)に由来する——のスタートは3年前、本作の録音は2023年2月と、追悼のためのものではないことは念頭においていいだろう。

作家の逝去を受けて制作される作品にはウェットな感情が意図せずとも入り込んでしまうと思うのだが、このアルバムにはそうした影響はなく、結果的に追悼アルバムのようなリリースのタイミングになってしまったが、むしろ自由さが際立っている。

本作の幕開けはアルバムタイトル曲である“Plastic Bamboo”。坂本のソロデビュー作『千のナイフ』(1978年)からのナンバーだ。Yellow Magic Orchestra(以下、YMO)の最初期のライブレパートリーでもあった同曲だが、竹のように直線的な展開と、コンピューターシークエンス、シンセサイザー、シンセドラムによる密度の濃いレイヤーが特徴の原曲を丁寧に腑分けし、アフロビートを軸としたアンサンブルで風通しよく聴かせている。

続いてはYMO『浮気なぼくら』(1983年)収録の“Expecting Rivers”をピックアップ。ボーカルなしなので『浮気なぼくらインストゥルメンタル』からの曲といったほうが適切だろうか。イントロパートと<Dreams fly by / In the starless sky / Dreams fly by>と歌われる部分にフォーカスし、アップリフティングなムードに仕上げている。フリージャズ的混沌からメロディーが浮かび上がってくる後半部分はこの曲のなかでもひときわ美しい演奏だ。

原曲は先の<Dreams fly by〜>のパートのあとにマイナー調のメランコリックなメロディーが現れるのだが、その部分の気配をアウトロ的に配しているのもユニーク。

3曲目は『B-2 UNIT』(1980年)で坂本が自らの声で歌った“Thatness and Thereness”で、Asynchroneバージョンでもボーカル入りである。原曲の持つエレガントな虚無感(などという言葉があるのかはわからないが)を大切にしつつ、そこに一筆書きのようなゆるやかさを与えた。どこかエルヴィス・プレスリー“Blue Moon”を思わせる曲だ。

4曲目はふたたびYMO名義の作品“Neue Tanz”。アルバム『テクノデリック』(1981年)に収録の曲だ。ミニマル+インダストリアルビートといった風情がもたらすひんやりとした質感とケチャの熱狂が共存する1曲で実は細野晴臣のベースがさりげなくファンキーなのだが、そのファンキーさを抽出してビートに当て込んでいる。フリーキーなサックスソロも素晴らしい。

『B-2 UNIT』からの“Differencia”は、オリジナルのいびつでヒリヒリとしたドラムパターン(坂本がプレイしている)をソリッドな演奏に置き換え、代わりにノイズをたっぷりとまぶし、原曲のパンク〜ポストパンク魂を見事に継承している。途中にビートとはまるで同期せずに出現するフレーズは“DAS NEUE JAPANISCHE ELEKTRONISCHE VOLKSLIED”(『千のナイフ』収録曲)からの引用である。

アルバムの中盤、6曲目はマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンもカバーしたYMO“Behind The Mask”(1979年のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』収録)。

YMOのライブのほか、坂本のソロライブでも頻繁に取り上げられた曲だが、本作では印象的なイントロのシークエンスを省いた1993年のYMO再結成時のライブバージョンを思わせるアレンジで多幸感がある。オリジナルのボコーダーによるボーカルを踏襲しているのもあり、古くからのYMOファン、坂本ファンには堪えられないのではないだろうか。

アルバム後半のスタートはソロ3作目の『左うでの夢』(1981年)から“Boku No Kakera(ぼくのかけら)”。どこか沖縄音楽の雰囲気もある原曲に近い印象だが、<あげるよ / ぼくのかけら / ありがとう / きみのかけら>という語りを排したインストゥルメンタルナンバーとなっている。曲の終盤のダビーな音響処理が心地よい。

“Once in a Lifetime”は『左うでの夢』の“Tell’em To Me”のインストゥルメンタルバージョンに、「M」名義で“Pop Musik”のヒットを持つロビン・スコットが新たに歌詞をつけて歌った楽曲。Riuichi Sakamoto & Robin Scottとしてリリースされたミニアルバム『The Arrangement』(1982年)の1曲として発表されたものだ。

ここでAsynchroneは8分の6拍子のポリリズミックな原曲をほぼ解体し、アンビエントジャズ的アプローチでプレゼンテーションしている。

“Ubi”は近年の作品である『async』から選ばれているという意味で本作のなかでも異色の存在。詩情豊かなピアノ、澄んだ響きを持つ物音、残響音が互いに素知らぬ顔で各々の時間を奏でるそれはそれは美しい原曲を、Asynchroneはサックスを軸にしたリリカルかつエモーショナルなアプローチでもって見事に料理している。

サックス、シンセサイザー、ピアノ、ドラムなどが放つ思い思いの音が折り重なるなかの混沌とした美しさが心にしみる。“Once In A Lifetime”と“Ubi”は、本作においてもっともアブストラクトで実験精神に満ちた、ある意味でAsynchroneの持ち味が色濃く出たものといえそうである。

10曲目、“Riot In Lagos”は『B-2 UNIT』収録曲で、YMOの1980年ワールドツアーのオープニング曲として世界各国で演奏された名曲。

これをジャズ寄りの演奏でカバーしているのだが、途中からYMO“東風”(いうまでもなく坂本の楽曲である)のベースラインと間奏部分のフレーズが入ってくるのには鳥肌が立った。この曲、『Plastic Bamboo』のLPには収録されていないのが残念(CDと配信には含まれている)。12インチ・シングルとしてリリースされることを願うばかりである。

そしてラストは“Merry Christmas Mr. Lawrence”。説明不要、大島渚監督作『戦場のメリークリスマス』(1983年)のサウンドトラックである。坂本がどこの世界にも属さない音=シンセサイザーで奏でた珠玉の旋律を、Penguin Cafe Orchestraを彷彿させるサウンドアプローチで再構築した素晴らしいカバーバージョンでアルバムは幕を閉じる。

さて、ここまでざっと『Plastic Bamboo』収録曲とその原曲について触れてきたが、“Ubi”以外の全曲が1970〜80年代前半のものだというのは大変興味深い。

この時代の坂本のソロ作を振り返ると、成り行きからセッションミュージシャンとしてスタートし、アレンジャーの仕事の合間を縫って、当時の自身の音楽的興味と教養と技術を詰め込んだ『千のナイフ』、パンク〜ポストパンクにも通じる破壊性を有するダブに大いに影響を受けた『B-2 UNIT』、そしてそれらを発展させつつ開放感のあるポップスとしても楽しめる『左うでの夢』と、アルバム全体のトーンは提示できるが、テーマ性やジャンルとしての統一感はあまり感じられないだろう。

これは同時に「そのときにやりたい音楽をつくって演奏してまとめた」結果ともいえる。坂本の初期ソロ作には心を突き動かされたことへの忠実さとそれが生むある種の軽やかさや自由さがあり、こうしたエッセンシャルな部分は、「ただぼくが今聴きたい『音/音楽』を作りたかった」とライナーノーツで坂本が述べている『async』でふたたび明確になる。

Asynchroneの坂本作品へのアプローチは、まさにこうした坂本の根源的な姿勢を改めて明らかにする作業ではなかったかと思う。

具体的なカバーの手法に目を移すと、緻密な音のレイヤーから独自に選ばれたフレーズやライトモチーフが本来の主旋律よりも前面に出現したり、西洋クラシック音楽に見られる曲の引用を行なったり、あるいはダブ的に楽曲の構造を解体・再構築したりと実にユニーク。

曲そのものだけでなく、坂本がそれぞれの楽曲で行なったアプローチや考えをカバーするという発想は、音楽理論とそれを表現するだけの優れた技術、そして音楽に対しての自由なマインドを持ちあわせていないとたどり着けない境地であり、この点においてAsynchroneのあり方は坂本の音楽的態度と通底しているといえるだろう。そう、『Plastic Bamboo』はアルバムを通して坂本の音楽との向き合い方をみずみずしく表しているのである。

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  • Spotifyなどでは実際の演奏者が作曲者坂本龍一も一緒にクレジット併記するようになった。これクラシックの曲であるあるだけど、正直迷惑。やめてほしい。
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