『黄金世代』でひとり取り残されたGKの苦悩「なぜ自分だけ...」

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2024年01月29日 11:31  webスポルティーバ

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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第2回:南雄太(3)

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 1999年ワールドユース(現U−20W杯)・ナイジェリア大会で準優勝を飾ったあと、南雄太は2000年シドニー五輪の出場を目指す代表チームのメンバーとしてアジア予選に臨んだ。だが、本番の代表メンバーには選ばれなかった。

 オーバーエイジ枠の楢崎正剛らとの、正GK争いの"サバイバル"から自ら降りてしまったのだ。その結果、2002年日韓共催ワールドカップに挑む日本代表においても、招集された時期もあったが、同代表での活動はほとんどなく、最終的にワールドカップメンバーにも選出されなかった。

 一方で、ワールドユースの快挙以降、小野伸二や高原直泰、稲本潤一ら「黄金世代」の中心メンバーたちは、その才能が評価されて海外に飛び出していった。同時に五輪代表、さらには日本代表でも活躍するようになった。

 同じチームで戦ってきた仲間の、そうした眩いばかりの姿を見て、南は焦りを募らせていた。

「同世代の選手が海外に出て行き、代表でも中心選手となっていく。なんか、自分ひとりだけ取り残されていく焦りを感じました。早くいいプレーをして『代表に戻らなきゃいけない』と思うんですが、(気持ちばかりがはやって)逆にいいプレーが全然できなくて......。みんなと同じ舞台に戻れないもどかしさを感じつつ、2005年にはチーム(当時所属の柏レイソル)もJ2に落ちてしまった。

 当時のJ2は今と違って、スタジアムにはあまり観客が入っていなくて、J1とのギャップがすごかった。変なプライドもあって、『なんで自分はここにいるんだろう』と忸怩たる思いでいました。2006年にはドイツW杯もありましたが、(チームが)J2にいたので、まったく声がかからないし......。『(同世代の)みんなは海外や代表で活躍しているのに、自分は......』って、他人との比較ばかりしていましたね」

 このとき、南が自らの現状と謙虚に向き合えなかったのは、"世界大会準優勝"というプライドが邪魔したことが大きい。

「自分はもっとやれるんだ」と思ったところで、それは自己評価でしかない。しかし南には、過去の栄光、実績があるという自負があっただけに、簡単に現状を受け入れることができなかった。クラブでポジションを奪われる事態に陥っていても、危機感や不安を抱くことさえなかったという。

 そんな南が、ついに厳しい現実を突きつけられることになる。

「(当時所属の)柏を30歳でクビになったんです。そのとき初めて『プレーできるクラブがない。どうしよう......』という不安を味わいました。

 それから、意識が変わりましたね。試合に出ているから『自分はレギュラーなんだ』という感覚、そうした驕りはなくなりました。もう、常に危機感しかなかったです」

 柏から戦力外通告を受けたあと、J2のロアッソ熊本に移籍。2011年には主将となって、リーグ戦全試合出場を果たした。そして2014年、横浜FCに移籍。2017年こそ、大きなケガを負ってリーグ戦出場は1試合にとどまったが、翌2018年には復活し、25試合に出場した。

 柏を離れて以降、J2という舞台であっても、もう腐ることはなかった。高いパフォーマンスを維持して、ずっと第一線で活躍してきている。

 そうやってモチベーションを保って、ここまでプレーを続けてこられたのはなぜか。「あまり先を考えなくなったからじゃないですか」と言って、南はこう続けた。

「若い時は、何歳までに代表に入って、何歳で海外に行くとか、明確な目標を設定して、そこに向かっていくじゃないですか。でも僕は、柏をクビになって以降、目の前の1試合が貴重に思えるようになったんです。

 よく『何歳まで現役でやりたいですか?』と聞かれるけど、そういうのもないですね。『40歳までやる』と設定すると、そこに到達した時点でもう続かないと思うんです。

 今はとにかく、1年間完全燃焼してがんばる。その結果、1年でもプレーできる時間が長くなればいいと思っています。自分が『ちょっとキツイ』と思ったら(現役を)やめるかもしれないけど、そう思わないようにがんばっている感じですね」

 南を含めて「黄金世代」は、40歳を目前にして今なお現役でプレーを続けている選手が結構いる。彼らとはもちろん対戦することもあるし、キャンプや合宿地などで会うこともあるという。

 そのときは、それぞれの近況などを報告しつつ、いろいろな話をする。厳しい競争下に置かれていること、ケガや体のケアについての話などは、お互いに共感する部分が多いという。

「昨年はキャンプ地のプレシーズンマッチでソガ(曽ヶ端準/鹿島アントラーズ)と会って、話をしました。ソガは『若いときは、自分が出られるようにクラブも後押ししてくれるけど、今はライバルを連れてこられる』というような話をしていました。『クラブは血の入れ替えをしていかないといけないので、それは仕方がないことだけど、そこを自分の力で食い止めないといけない』と。

 昨季限りで引退した(小笠原)満男も、そのシーズンが始まる前には『(自分が)成長するには競争相手が必要だよ』って言っていましたけど、そのとおりなんですよね。プロサッカー選手に安泰なんてない。自分でポジションをつかまないといけないし、それがプロのあるべき姿。

 海外では、それが日常じゃないですか。実際、それが成長につながるし、本田圭佑選手が若い選手たちに向けて『海外に行け』というのは、そういう理由からだと思います」

 南が現在所属する横浜FCも選手の入れ替えがあり、GKにも強力なライバルたちが入団してくる。南は今、彼らとの競争を楽しみつつ、よりうまくなるために時間を割くようになった。

 若い時は試合の映像を見ることはほとんどなかったというが、今ではJリーグはもちろん、海外の試合もよく見ているという。とりわけGKのプレーは何度も見返して、技術向上にも余念がない。

「若い時に、こういう向上心が(自分に)あったらなぁと思います」

 そう言って南は笑ったが、その向上心が、今の南雄太を支えている。

 1999年のワールドユース・ナイジェリア大会から、今年で20年になる。南は「黄金世代」と呼ばれることについて、どう思っているのだろうか。

「『黄金世代』っていう言葉で、多くの人が僕らのことを覚えていてくれるし、(自分のことを知らない人でも)僕が1979年生まれだと言うと『黄金世代ですね』と言ってくれる。『黄金世代』と呼ばれることにプレッシャーを感じていた時期もありましたけど、今はすごくうれしいですね。

 それに、同世代の活躍がすごく気になる。試合に出ていないと『あいつ、どうしているのかな』って心配になるし、同世代が点を取ったり、活躍したりしていると、自分のことのようにうれしい。若い時はそんなことなかったんですけどね(笑)」

 20年の時が経過した今も、『黄金世代』が達成したFIFA主催大会における日本男子代表チームの"準優勝"という記録は破られていない。その後、すばらしい選手が次々に登場し、レベルの高い世代がいくつもあったにもかかわらず、だ。だからこそ、世界2位という結果は、日本サッカー界の歴史のなかで、今なお燦然と輝いている。

「(『黄金世代』以降も)若くて、いい選手がたくさん出てきていると思うけど、個性があってギラギラしている選手が少ないかな、と思いますね。自分らのときは、お山の大将だらけだったし、みんなギラギラしていて、ポジションの奪い合いをしていた。だから、成長できたんだと思う。

 いずれは自分たちを超える世代がポンと出てくるでしょう。そうして、ワールドカップでベスト16の壁を破ってほしいですね。そこを超えたとき、自分たちが(U−20で)ベスト8の壁を超えた時と同じように、日本サッカーがひと皮むける時だと思うので」

『黄金世代』はワールドユースでベスト8の壁をブレイクスルーしたことで歴史を作り、その勢いが2000年シドニー五輪のベスト8、そして2002年日韓共催W杯のベスト16という結果につながった。

 そのインパクトと日本サッカー界に与えた影響は、計り知れないものがある。『黄金世代』は、日本サッカー界にどういう風を吹かせたのだろうか。

 最後に、南はこう語った。

「(ワールドユースの)1997年大会を経験したときは、まだ世界とは大きな差があると思ったし、日本が初めて出場した1998年のワールドカップを見たときは、『世界は本当に遠いな』と感じました。でも、自分たちがナイジェリアのワールドユースで準優勝して、世界で戦えることを証明した。そして、多くの選手が海外に飛び出していった。

 そこから、日本のサッカーがグッと伸びていく流れを作ることができた。『黄金世代』は、日本サッカーとしても、選手としても、世界との距離を縮めるきっかけを作ったのだと思います」

(おわり)

南雄太
みなみ・ゆうた/1979年9月30日生まれ。神奈川県出身。横浜FC所属のGK。若くして頭角を現し、1997年、1999年と2度のワールドユースに出場。静岡学園高→柏レイソル→ロアッソ熊本

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