巨人・松井颯「凡人でもやればできると証明したい」高校時代は控え投手「育成の星」の挑戦

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2024年02月26日 10:31  webスポルティーバ

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 背番号93が巨人の一軍に昇格したのは、2月13日のことだった。

 その2日前の紅白戦では先発を任され、1回無失点。主力の門脇誠、吉川尚輝、岡本和真を打ちとっている。16日に宮崎から沖縄へとキャンプ地を移し、開幕一軍をかけたサバイバルが本格化するなか、首脳陣はこの投手が必要だと判断したのだろう。

 プロ2年目の松井颯(はやて)は、今季ブレイクが期待される「育成の星」である。

【高校時代は4番手の控え投手】

 明星大4年時の2022年ドラフト会議で巨人から育成1位指名を受けて入団。昨季は5月に支配下登録されると、5月21日の中日戦でプロ初先発初勝利を挙げた。

 今春のキャンプは二軍スタートだったものの、持ち前の球威は群を抜いていた。2月7日、ライブBP(シート打撃)に登板した松井のストレートを、バットの芯でとらえられる打者はいなかった。

「ここまでは順調じゃないですか。今日は真っすぐでインコースをどれだけ突けるかをテーマにしていたので。桑田さん(真澄/二軍監督)からも『右バッターのインコースがシュートしなくなったね』と言ってもらえました」

---- 大学時代はあまりインコースを突くのが得意ではなかったのでは?

 そう聞くと、松井は苦笑いを浮かべてこう答えた。

「大学ではインコースに投げなくても抑えられたので......」

 2022年のドラフト指名選手のなかで、松井ほど実力と知名度が乖離した選手はいなかったかもしれない。花咲徳栄高時代は4番手格の控えだったこと、明星大では首都大学2部リーグという日の当たりにくい境遇にいたこと、ブレイクしたのが大学4年時と遅かったこと。以上の要因から、松井はドラフト戦線で埋もれていた。

 だが、大学4年時に松井が投じていたストレートは、ドラフト上位候補の球となんら遜色なかった。エネルギッシュな腕の振りで、則本昂大(楽天)を彷彿とさせるスリークオーター。ドラフト会議前には6球団から調査書が届いている。それでも、指名されたのは育成ドラフトだった。

 当時、明星大の監督を務めていたのは、大昭和製紙など社会人野球で経験豊富なベテラン・浜井?丈(ひろたけ)監督だった。浜井監督は松井に対して「加藤初(元巨人ほか)のスピードに、安田猛(元ヤクルト)のキレとコントロールを兼ね備えている」と絶賛していた。それだけに、ドラフト時には「なんで松井が支配下じゃないんだ」と憤りを隠さなかったという。

【育成と支配下の見えない壁】

 入団時、松井に与えられた背番号は021だった。当時、松井は入団経緯についてこんな感想を語っている。

「支配下で呼ばれたかった思いはもちろんあるんですけど、『見返してやろう』と気持ちを切り替えています」

 NPBの門をくぐってしまえば、支配下も育成選手も横一線。そう語る選手や編成関係者も多い。契約金や年俸の多寡はあれど、練習環境面での差別はないに等しい。

 それでも、松井は「見えない壁」を感じていた。

「支配下と育成では立っている場所が違うと感じていました。どうしても扱いが違うというか、『育成は育成』と見られてしまうところはありました」

 松井が胸に刻んでいたのは、高校時代の恩師である岩井隆監督から授けられた言葉だった。

「スタートダッシュが絶対に大事だぞ」

 1年目のキャンプから飛ばし、開幕後は二軍の先発ローテーションに入って結果を残した。「目の前の1試合、1試合で結果を残そう」と無欲に投げる松井は、次の登板を2日前に控えた2023年5月12日に突如東京ドームに呼び出された。

 首脳陣の前で投球練習を披露したあと、当時の原辰徳監督からこう告げられた。

「次の二軍の試合で何もなければ、その次の日曜には一軍で投げてもらうぞ」

 事実上の最終テストだった5月14日の西武戦。松井は4回までパーフェクトの快投を見せる。5回に2失点を許したため不安もよぎったが、試合後に当時の桑田ファーム総監督から「支配下に上げることになったから」と告げられた。

 その瞬間は、飛び上がるくらいうれしかったのではないか。そう尋ねると、松井は淡々とこう答えた。

「素直にうれしかったですけど、そこはゴールではなく通過点なので。支配下になったからといって終わりではなく、そこからはいつもどおりでした」

【Bチームの星になりたい】

 5月21日、松井は東京ドームのまっさらなマウンドに立った。高校3年夏に甲子園球場で1イニングを投げた経験はあるが、プロ野球の先発マウンドは別世界だった。

「大学時代に投げたいい球場といえば、平塚(バッティングパレス相石スタジアムひらつか)か浦安(浦安市運動公園野球場)くらいかなぁ。東京ドームは屋内の球場なので、やっぱり景色が全然違うなと感じました」

 それでも、オープン戦で東京ドームを経験していたこともあり、「意外と緊張せずに投げられました」と振り返る。5回を投げ、被安打2、奪三振5、無失点。試合後はヒーローインタビューに呼ばれ、場内のファンからの大歓声を浴びた。

「5回しか投げていないのに、二軍で投げるよりもずっと疲れました」

 上々のデビューを飾った松井だったが、すぐに壁にぶつかった。蓄積された疲労が抜けず、ボールから本来の球威が削がれていった。

「一軍にいるだけで気疲れしていました。キャンプからずっと二軍にいたので、周りはあまりしゃべったことがない人ばかりで。試合では緊張しますしね」

 6月4日の日本ハム戦では、高校時代のチームメイトである野村佑希と対戦した。

 松井は大学時代に、こんなことを語っていた。

「僕は『Bチームの星』になりたいんです。自分がプロに行くなんて、誰も想像がつかないと思います。凡人でもやればできると証明したいんです」

 高校2年秋に二軍格であるBチームに落ち、絶望を味わっている。悔しさをバネに努力し、3年春に結果を残してベンチ入りを果たした。そんな松井にとって、野村は「エースで4番」の大スター。プロで相対してみて、松井は「ほかの選手よりちょっと意識しちゃいました」と振り返る。

 その結果、野村に3ラン本塁打を許すなど、3回5失点でノックアウト。松井はすぐさま二軍に落とされた。

 次に野村と対戦したら、どんな勝負をしたいか。そう尋ねると、松井は即答した。

「インコースでバットをへし折るくらいの気持ちで投げたいですね」

【プロ入りを実現した親友への感謝】

 一軍で学んだことはほかにもある。右打者に対してシンカーを投げられず、球種がストレートとスライダーのみになっていた。昨季中にシンカーを改善し、今キャンプでは新球・スプリットやカウント球のカーブに磨きをかけている。

「球種がひとつでも増えればバッターを意識させられますし、配球の幅が広がりますから」

 そして、今の松井を突き動かすものは、自身のプライドだけではない。夢破れた者の思いも背負って、マウンドに上がっている。

 このオフ、松井は明星大時代のチームメイトに自主トレの一部をサポートしてもらっている。その元チームメイトの名前は谷井一郎さん。ダイナミックな投球フォームから最速159キロを計測した、知る人ぞ知る剛腕だ。高校時代に最速141キロだった松井が、明星大で最速154キロまで急成長した背景には谷井さんの存在があった。

 ふたりは投球フォームやトレーニング法について語り合う親友だった。松井は大学時代、「一郎がいなかったら僕がプロに行くことはなかったと思います」と谷井さんへの感謝を口にしている。

 谷井さんも松井とともにプロ志望届を提出していたが、制球に課題を残す谷井さんの指名はなかった。その後、谷井さんは本格的な野球継続を断念。今は一般就職して野球から離れている。

 今オフ、松井は谷井さんから「フォームが本当によくなったね」と太鼓判を押され、心強さを覚えたという。そして、ある思いを胸に刻んだ。

「この世界に入ること自体、難しいことなので。一郎の分まで野球をやれたらいいなと考えています」

 前出の紅白戦では、ドラフト1位ルーキーの西舘勇陽(中央大)と先発で投げ合った。その対決は一部で「多摩モノレールダービー」と話題になった。

 多摩都市モノレールには「中央大学・明星大学」という駅がある。改札を出て右側に行けば中央大学のキャンパス、左側に行けば明星大学のキャンパスに分かれる。ある明星大関係者は「中大はエリートばかりが集まりますけど、ウチは高校時代に控えだったような選手ばかりです」と語っていた。同じ駅を利用する大学生であっても、境遇はまるで違ったのだ。

 巨人は西舘以外にも、阿部慎之助監督や亀井善行コーチなど中央大出身が伝統的に多い。プロ野球界全体を見渡しても、その多くがアマチュア時代に華々しい実績を挙げてきたエリートばかりだ。

 そんなエリートを向こうに回して、雑草育ちの松井颯は雄々しく右腕を振り続ける。インコースの剛速球で、バットをへし折る覚悟で。

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