中村メイコさん弔辞は黒柳徹子 亡くなる6日前に出演した『徹子の部屋』での約束果たす「あなたがいらっしゃらなくなって寂しくなります」

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2024年03月18日 16:00  ORICON NEWS

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中村メイコさん(C)ORICON NewS inc.
 昨年12月31日に肺塞栓症(はいそくせんしよう)で亡くなった俳優の中村メイコさん(本名:神津五月、享年89)を『乾杯で送る会』が18日、都内で開かれた。

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 中村さんは、作家の村常氏の長女として生まれる。2歳の時に映画『江戸っ子健ちゃん』でデビュー。角帽の子供“フクちゃん”を演じて人気に。元祖天才子役だった。その後、数多くの作品に出演。紅白歌合戦の紅組司会を 1959年から1961年に務めた。1957年に作曲家の神津善行さん(92)と結婚。長女は作家の神津カンナさん(65)、次女は俳優の神津はづきさん(61)、長男は画家の神津善之介さん(51)。

 会場中央には、中村さん自身が選び、死去後に使ってほしいと思っていた写真の中から選ばれた1枚が飾られた。前には大好きだった赤いガーベラと、スコッチウイスキーの水割りが置かれていた。

 会が開かれる前に、善行さん、カンナさん、はづきさん、善之介さんが取材に応じた。善之介さんは「女優・中村メイコ、私たちの母のカーテンコールのような会だと思っております。ですので、乾杯をしていただくような感じで、明るく優しい目で送り出していただけたらと思っております」と『乾杯で送る会』になった理由を伝えた。はずきさんも「母は明るく楽しいことが好きだったので。最後も空に龍が昇るように、すっと逝ってあっぱれだったので、やっぱりこれは乾杯かな、という感じで。乾杯で送りたいねということを話して決まりました」と振り返り、カンナさんも「(お酒は)すごく好きでした。亡くなる日もなくなる日も飲んでた」と明かしていた。「シラフの母は見た記憶がない」と子どもたちは笑いながら、はづきさんは「三途の川までシラフでは無理だと思って、みんなで花びらにウイスキーを漬けて棺に入れた」と秘話を語った。

 中村さんへ最後の言葉を伝えるなら、という問いかけられると善行さんは「女房に話しかけてほしいんです。拝む必要ないんです。拝んでもらってもしょうがないんで。それより『頑張って冥土歩いてきなさい』ってことをみんなに励ましてもらえればいいと思うんで。こういう会を開いた」とする。その上で「夫婦だけで暮らしてましたから、どっちが先に死ぬかっていうことをよく話で出たんです。で、その時に『私はあなたの葬式なんかできないから、絶対に黙って先に行かないでね』ってことを言われて。『俺もあんたを1人で遠いところ、道もわからないところを行かせるわけにいかないから1人であんたが死んだら俺もついてってやるよ』って言ったら、うれしいそうに泣いてました。それが約束みたいに思えて…。守ってやれなくて、悪いな、かわいそうだなと思います。今、彼女を連れて向こうの国へ一緒に行ってやりたいっていうのが1番の僕の気持ちです」と涙まじりに亡き妻への思いを話していた。

 また、弔辞は約束を交わしていた黒柳徹子から。仕事のスケジュールの都合で黒柳は欠席となったため、カンナさんが代読。「『私のお葬式の弔辞は、あなたが読むのよ。そう決めたから絶対よ』。あなたは、いつも私にそう言ってたわね。『徹子の部屋』にあなたがいらして、その六日後に亡くなった時、私は本当に驚いたのよ。人間は亡くなる六日前にテレビに出て、弔辞のことも約束して、変わらずに、いつもの声で『絶対よ』」なんて言えるものかしら、と思ったから。『私は二歳半から女優やってるからあなたより芸歴長いでしょ。だから、あなたより先に死ぬから、あなたが弔辞読むの』。有無を言わさず、楽しそうに、あなたはそう言ったの」と亡くなる6日前に出演した『徹子の部屋』のエピソードを語っていた。

■黒柳徹子の弔事

弔辞

 「私のお葬式の弔辞は、あなたが読むのよ。そう決めたから絶対よ」。あなたは、いつも私にそう言ってたわね。『徹子の部屋』にあなたがいらして、その六日後に亡くなった時、私は本当に驚いたのよ。人間は亡くなる六日前にテレビに出て、弔辞のことも約束して、普段と変わらずに、いつもの声で「絶対よ!」なんて言えるものかしら、と思ったから。「私は二歳半から女優やってるからあなたより芸歴長いでしょ。だから、あなたより先に死ぬから、あなたが弔辞読むの」。有無を言わさず、楽しそうに、あなたはそう言ったの。それにしても、あなたは『徹子の部屋』に出て下さる時、必ずプレゼントを持って来て下さったわね。アクセサリーとか、お化粧品とか、お洋服とか。でも不思議なことに、最後にいらした時だけ、おみやげなかった。いつものあなたなら「ごめんなさい、おみやげ今日は、忘れちゃった」とか、そんな風な言い訳があるはずなのに、最後の日は、おみやげもなく、言い訳も、なかったわね。

 もし違うことがあったとしたら、そこだけが違ってた。

 そして、『徹子の部屋』に、必ず、お話のおみやげも持って来て下さった。しかも、びっくりするようなお話を。最後の時は、「仕事が長すぎたから、もう、このへんでいいやと思って、死のうと思って、海へ行って、どんどん先の方までジャボジャボ入って行ったら、とうとう泳ぐところまで行って、考えたら、私はスポーツ音痴だけど、水泳だけは上手だったのよ。だから泳いで沖のほうまで行ったけど、結局、泳いで帰って来たの。そしたら、徳川夢声さんのお嬢さんが、そこを通りかかって「何してるの?」って言われちゃって。考えたらお洋服着て泳いでるんだからヘンよね。結局死ねなかったの」。笑わせて、泣かせるメイコさん、あなたはサービス精神いっぱいの方でしたね、最後の最後まで。

 でも考えてみれば、娘を二人産んでから、息子がいないのは、つまらない、と言ってて、男の子も産むことになって。そこで孫が産まれて。こんなに恵まれた女性は、そうはいないと思います。しかも、ちゃんと育てて。

 メイコさん、あなたがいらっしゃらなくなって寂しくなります。今後、お会いすることがあったら、もっとたくさん、お話しましょうね。長いこと、お友達でいて下さって、ありがとう。私は、もう少し、生きてみます。あなたのご家族を、お守り下さいね。ついでに私のことも。あなたがいらっしゃらないこの世がつまらないこと、繰り返しお伝えします。じゃね、あなたの気に入る弔辞かわからないけど、お送りします。バイバイ!

二〇二四年三月十八日

黒柳徹子
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