F1の心臓部を扱う白幡勝広「たたき上げメカニック人生」

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2024年04月04日 16:30  webスポルティーバ

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5月特集 F1 セナから20年後の世界
「ヘイ、カッツ! どうしてお前は一介のメカニックなのにそんなに有名なんだ?」

 そう声をかけられた男の名は、白幡勝広。ウイリアムズの同僚たちが不思議そうな顔でたずねる。

 F1の世界におけるメカニックというのは、ドライバーやエンジニアのように自分たちの判断が勝負を左右するわけではなく、言うなれば顔の見えない裏方の存在だ。そんなメカニック個人にスポットが当たり、日本のF1ファンの間でその顔と名前が知られていることが、彼らにとっては理解できないらしい。

「日本人で、F1のネジを締めているのは僕しかいないですからね。世界で一番すごい最先端のものをいじっている夢の仕事です」

 ウイリアムズでバルテリ・ボッタスのマシンを担当する白幡は、モノコックにエンジンをマウントする6本のボルトのうち、右側の3本を締めている。今年から大きく生まれ変わったパワーユニットの、まさにその心臓部に触れている日本人は彼ひとりなのだ。

 ボディカウルの内部が極端に複雑化し、今年のマシン整備は時間も労力もこれまでとは桁違い。だが、多くのチームにトラブルが多発してメカニックたちが多忙を極める中、ウイリアムズのマシンは開幕前のテストから今に至るまで、これといった大きな問題は起きていない。

「ウチのクルマは、そんなに大変じゃないです。まず壊れないというのもあるけど、パワーユニットのパッケージングがすごく良くて、カウルの中もすごく綺麗にできているから、整備がしづらいという感じは全然ないんですよ」

 火曜日からサーキットに入ってピットガレージの設営やマシン整備を始め、金曜の走行が終わればマシンを一度完全に分解し、土曜のセッションに向けてまた新たなパーツに換えて組み直す。そして、土曜日の予選や日曜日の決勝では、ピットストップのクルーを務め、目にもとまらぬ速さでタイヤ交換を行なう。耐火スーツとヘルメットで武装しているため表情をうかがうことはできないが、マシンが停止すると同時に外された右フロントに、新たなタイヤを取り付けるポジションについているのが白幡だ。レースウィークの期間も、このピットストップ作業の練習は何度も繰り返し行なわれ、肉体を鍛え上げるためにクルーたち全員でトレーニングも行なっている。

 レース終了後は、そのまま深夜までピットガレージ設備の撤収作業を行ない、戦いを終えたマシンの整備をしたうえで、資材をコンテナにパッキング。そして英国オクスフォードシャーにある本拠地ファクトリーへと送り出す。その後の数日間をファクトリーで過ごした後、翌週にはまた次のグランプリへと旅立っていく。世界中を転戦するF1メカニックの仕事は過酷だ。

 しかし、今年のウイリアムズには1月のヘレス合同テストの時から明るく和やかな雰囲気が漂っていた。不振にあえいだ昨年とは比べものにならないほどマシンの出来が良く、絶好調だったからだ。シーズンが開幕してまだ大きな結果につながってはいないが、チームスタッフたちの表情が去年とは段違いに明るい。

「どんなポジションで戦っていてもやっている仕事は変わらないけど、やっぱり成績がいいと気分が違いますよね(笑)。7位か8位でゴールしても、去年17位、18位でフィニッシュしたときのような雰囲気なんです。たとえばバーレーンGPは3番グリッドからのスタートで、表彰台を狙ったけど7位と8位だったので落ち込んでいると、クレア(・ウイリアムズ/チーム副代表)が『なにをガッカリしているの!』とみんなを元気づけるくらい(苦笑)。去年と比べたらすごい贅沢なハナシです」

 フェラーリからフェリペ・マッサが加わったウイリアムズは、バーレーンGPからフェラーリでマッサのレースエンジニアを務めていたロブ・スメドリーが加入。彼がビークルパフォーマンス責任者としてレース現場を取り仕切るなど、ウイリアムズは次々とチーム体制強化策を打ち出し、数年先を見据えて着実に進歩を遂げようとしている。

「ロブが入って、チームが変わっていくなと感じる部分がありました。彼の言葉には自信と力があるんです。このチームがガラッと変わるということではなく、彼の考え方とかやり方によって、このチームが必要としていたものが新しく加わるという感じです」

 ヨーロッパの階級社会と同じように、F1の中にもホワイトカラーの「エンジニア」とブルーカラーの「メカニック」という明確な線引きがある。エンジニアがマシンに触れてオイルにまみれることはないし、メカニックがエンジニアリングを語ることもない。

 そして、メカニックの中にも階級がある。熟練のチーフメカニックの下で、2台のマシンそれぞれにナンバーワンメカニックがつき、その下に各エリア担当のメカニックたちがいる。

 バーレーンGPの直後に行なわれた2日間のテストで、白幡は夜間チームのナンバーワンメカニックを任じられた。レース期間とは異なり、テスト期間は夜間作業禁止規定がないので、テストプログラムを効率的にこなせるように夜間も作業を行なう。そのため、昼間のテストを担当する部隊とは別に、夜間の作業チームも投入される。ボッタス車担当チームがその夜間部隊を担い、そのチームを取り仕切るナンバーワンメカニックに白幡が抜擢されたのだ。

 白幡はもともと、東京工科専門学校の教師として、モータースポーツのメカニックを目指す学生たちを指導していた。そして、一念発起して、2003年にヨーロッパのチームでメカニックとして働く道を模索。8カ月間の努力の末、ベルギーのF3チームに就職した。彼が31歳の時のことだ。その2年後、ウイリアムズのテストチームのメカニックとして採用され、F1メカニックになるという夢を実現したのだ。

 レースチームに昇格した彼は、しばらくの間、手が足りない箇所をどこでもサポートするフローターという役割で研鑽を積み、自身のポジションを確立していった。そして今年、夜間チームとはいえナンバーワンメカニックのポジションを経験。着実に自身の立ち位置を高めつつある。

 2、3名のメカニックで1台のマシンを担当するがゆえに、さまざまな作業や対応力が要求される他のレースカテゴリーに比べて、自分の担当箇所だけを見るF1のメカニックは専門性が高く、図面通りに組み立てるだけで自由度がないと言われることもある。

 だが、白幡はそんな声を一蹴する。

「『F1のメカニックはどうせ分業だから』なんて言う人がいますけど、それは世間で言われていることであって、じゃあ、そう言っている人たちはF1マシンを触ったことがあるのかというと、そんな人はいないわけです。実際にF1の世界に入ってみてどうなのか、自分でやってから言ってくれって話です」

 自分の手で世界を広げ、自分の足で這い上がってきた白幡だからこそ、その言葉には重みがある。それは、実際にF1の世界で働いている者だけが語ることのできる言葉であり、そこには、F1の世界で生きている者だけが持つプライドが感じられる。

「F1の世界で働いている人は、みんな同じだと思います。メカニックでもエンジニアでもジャーナリストでも、特定の職業の人だけがすごいとか、苦労しているということではなく、それぞれが自分の得意分野で仕事をしているだけで、そのベースにある苦労とか喜びは同じだと思います」

 日本から飛び出し、世界で活躍する夢の仕事――。白幡は「今の若者も、もっと世界へと活躍の場を広げていってほしい」と語る。実際、彼はエンジニアやメカニック志望の若者たちをヨーロッパに点在するレーシングチームに紹介するといった支援を続けている。

「やっぱり、F1で働くことは面白いですよ。日本の若い子たちにどんどん世界に出ていってほしいし、F1に限らずどこの国のレースに行っても日本人が何人も働いているというふうになればと思いますね」

 そんな話をしていると、レースを終えたマシンの車検が終わり、白幡は「じゃあ!」と言って仲間のメカニックたちとともにマシンを押してピットガレージへと戻っていった。その背中には、世界最高の舞台で世界最速のマシンを扱っているのだという誇りが溢れていた。

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