朝ドラ『虎に翼』への批判に反論。「政治的」「ビールを酔うほど飲む女性はいなかった」がトンチンカンな理由

1

2024年05月15日 16:00  女子SPA!

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

女子SPA!

(画像:『虎に翼』NHK公式サイトより)
 NHK連続テレビ小説『虎に翼』(NHK総合、午前8時放送)第4週第16回、伊藤沙莉扮する主人公・猪爪寅子が、しこたまビールを飲む場面があった。この描写が議論になっている。

 時代設定は、1935年に置かれている。つまり昭和10年代、女性が大っぴらにビールを飲むことがあったのか? と疑問を呈した、あるネット記事に対して、Xを中心に反論のポストが散見された。

 イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、本作で描かれた寅子の痛飲が意味するほんとうのところを考える。

◆あまりにトンチンカンな批判の意見

 平均視聴率が好調で、作品のクオリティもすこぶる快調な『虎に翼』だが、そんな作品にも批判の意見は常について回る。舌鋒鋭く、批評性に富んだものならば、むしろ批判的であっても作品の背骨を補強してくれるし、自由で豊かな眼差しの読解はあって然るべきだろう。

 だけどこれは目に余る。あんまりトンチンカンだから拍子抜けしてしまった。その記事の批判的意見(難癖?)を一言で要約するとこうだ。“本作が時代設定を置く昭和10年代(1935〜1944年)、果たして女性は酒類(ビール)を飲んでいたのか?”

 随分とシケタ疑問じゃないだろうか。第4週第16回、1935年(昭和10年)、明律大学女子部を卒業した猪爪寅子(伊藤沙莉)を祝した酒宴の場面。笑顔でビールを飲んでいる寅子のヘベレケ姿を愉快に見ていた多くの視聴者をシラケさせたろうけど、それでもこの愚問を正そうとする誠実な識者がたくさんいた。

◆昭和10年代にビールを飲む女性

 まず映画評論家・町山智浩はX上で、原節子主演の『東京の女性』(1939年)を引き合いにだした。寅子が卒業した1935年に銀幕デビューした原の初期を代表する作品だが、原扮するタイピストの君塚節子は、戦前のモガ(モダンガール)として自動車のセールスマンになる。

 同作公開は昭和14年。原に先んじて1930年にデビューした山田五十鈴が、19歳で主演した『浪華の悲歌』(1936年)では煙草をスパスパ、畳の上に吐き捨てる描写がある。はっきり飲んでいるわけではないが、山田扮する主人公が過ごす愛人生活の背後には立派なウィスキーが置かれ、彼女はかなり痛飲していることが容易に想像できる。

 溝口健二の映画では、男性より女性のほうがよっぽど酒類が似合う。同じ溝口監督作で同年公開の『祇園の姉妹』では、芸妓に扮した山田が朝は瓶の牛乳をぐびぐび、夜はちょっとだまくらかしてやろうと、手慣れた手つきで進藤英太郎に瓶ビールを傾ける。

 山田のこうしたイメージは、小津安二郎監督作『東京暮色』(1957年)の酒場で、ひとり酒をちびちび飲む姿まで地続きだ。

◆徳田秋声や谷崎潤一郎の文学作品

 X上でのパトロールを続ける。今度は文学作品から。小説家の中沢けいがレファレンスとしたのは、徳田秋声と谷崎潤一郎。どの識者も口々にいう。あんな愚問が浮かぶくらいだから、映画も文学もろくに知らないんだろうと……。

 実際、その記事の筆者が根拠としたのが、『男女7人夏物語』(1986年)。寅子にならって素直に反応すれば、まさに「はて?」だ。そもそも昭和10年代の話題なのだから、いきなり昭和後期である1980年代のテレビドラマの話をされても理解に苦しむ。

 尾崎紅葉の門下で自然主義を代表する徳田秋声が1938年に発表した『仮装人物』の小夜子は、ウィスキーやらビールやらなんでも飲んで、酔っ払ってばかりいる。それから、昭和10年代の関西に暮らす上流家庭の4人姉妹を微細に描く谷崎潤一郎の『細雪』連載が始まったのは、時代が下って1943年。

◆手酌で飲んでいた描写

 戦後、ベストセラーになる同作は、戦中、「中央公論」連載途中で陸軍省から掲載を禁止されたが、次女の幸子がビールを飲む人物として設定されている。映画でも文学でも昭和10年代までに酒を飲む女性がちゃんと表象されていたことになる。

 実はその記事の意見にはもうひとつある。今度は寅子が手酌で飲んでいたことが問題ある描写だというのだ。当時の女性は男性から注がれることはあっても自分のグラスに自分では絶対に注がないと。

 寅子の父・猪爪直言(岡部たかし)や母・猪爪はる(石田ゆり子)がそこは絶対にとめるべきだったというのだが、猪爪家のような裕福な家庭の女性がかなり自由に飲酒を楽しんでいたことは、『細雪』が示す通り。

 あるいは、昭和10年代生まれのぼくの祖母は、下戸ながら、飲酒が好きな人は女性でも誰でも、人前で好きなように楽しんでいたことを証言してくれた。

◆瓶ビールをグラスに注ぐ動作がしっくりくる

 1937年、「別れのブルース」をリリースした淡谷のり子にはこんな逸話まである。現在の東京音楽大学で声楽を学んだ淡谷は、ソプラノである自分が低い音域の声をだすために、レコーディング前夜、夜を徹してしこたま酒を飲み、声をガラガラにしたという。

 日中戦争が勃発した年の流行歌手は、こうもファンキーだったのだ。「昭和10年代の女性はビールを飲んでたんですか?」なんてうっかり聞いたものなら、「あーた、寝ぼけてんの?」と淡谷の冷たい視線に射抜かれるだろう。

 ファンキーというと、伊藤沙莉だって負けちゃいない。この人は、ほんとビールが似合う人なのだから。第16回のにこやかな飲みっぷりだけでなく、2018年公開の『パンとバスと二度目のハツコイ』では、深川麻衣扮する主人公とのランチ場面でビールをぐびぐび。もちろん手酌。瓶ビールをグラスに注ぐ動作がしっくりくるのなんの。

◆寅子の痛飲が意味するもの

『虎に翼』には、内容が政治的過ぎるという批判の声もある。エンタメはエンタメ。政治と切り離すべきだという意見だが、そもそもそれは無理な相談だ。

 カメラのフレームが切り取るのは、恣意的な現実世界。恣意的である以上、作品全体には、制作サイドの思想が反映される。思想はそれぞれの制作者によってもちろん異なる。相対的な意味で、作品の数だけそこには自然と政治が宿る。

 その上で第16回の酒宴を考える。痛快なビールの喉越しがほんとうのところ、伝えようとしているのは、太平洋戦争が始まる昭和10年代の激動前夜のひと時である。それを単なるフィクションだと断定するのはとんでもない誤読なのだ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
    ニュース設定