箱根駅伝優勝を狙う東洋大学・梅崎蓮&石田洸介のラストシーズンへの決意 「石田はやはり頼もしい存在」「梅崎と笑って終われれば」

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2024年05月30日 07:21  webスポルティーバ

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東洋大学・梅崎蓮&石田洸介インタビュー 後編

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「鉄紺の覚醒」をテーマに箱根駅伝に向かう東洋大学陸上競技部(長距離)。チームの成功の鍵を握るのは、主将の梅崎蓮と中・高校時代に世代トップランナーとして名を馳せた石田洸介の4年生ふたりだ。最終学年の今季は5月の関東インカレではそろって存在感を発揮し、チームとしての強さを感じさせている。

 大学入学後から地道に力をつけてきた梅崎、対照的に苦しんできた元高校記録保持者の石田。その差は2年目以降に顕著になっていくが、いかにして梅崎は成長を遂げ、石田はトップステージに戻ってきたのか。そして学生最後のシーズンにかける思いは?

【2年目も着実に成長した梅崎】

――2年生になると、梅崎選手は関東インカレや駅伝でも主力としての地位を築きました。箱根では9区区間4位の好走でチームを総合11位から9位に引き上げ、シード権獲得(総合10位)に貢献しました。

梅崎 自分の場合、関東インカレのハーフはもともと出場を予定していた選手が故障で出られなくなっての出場でしたが、2位に入れたので、いい経験になりました。そこからもしっかり走り込んで、全日本大学駅伝でも強い選手のいる長い区間を走らせてもらい結果も残せたので(7区区間7位)、個人としてはよかったです。

――石田選手は1年目に比べて、あまりいい成績ではなかったです。三大駅伝に出場を果たしますが、箱根駅伝では2区を走って区間19位。苦しい時期だったと思います。

石田 自分は梅崎とは逆で、どんどん走れなくなっていったシーズンでした。梅崎の関東インカレ・ハーフを見て頑張ろうと思ってはいたのですが、自分が描く走りからどんどん離れていってしまいました。練習では1年目よりも距離的な面ではこなせる時期もあったのですが、結果が伴わなかったですし、ほとんど毎日悩んでいて、納得できない走りばかりでした。練習が(試合で)実になっていなかった。出雲、全日本も1年目より強い選手のいる区間ではあったのですが、最後の箱根でああなってしまって......。何ひとつよかったと思える日のなかった1年でした。

梅崎 (石田は)期待されているぶん、調子が悪い時期が続いている時はつらそうでした。箱根前も体調を崩していたのに、石田にエース区間の2区を走らせるしかないチーム状況だったので、その点は自分のなかでも申し訳なかったと感じていました。自分がまだ自ら2区を走りたいと言えるだけの自信はなく、つなぐ役割を意識していたからです。そういう面では万全でない状態で(石田を)2区で走らせてしまったことに責任を感じました。

【梅崎、小林の好走に刺激を受けた石田】

――3年目の昨シーズンは、梅崎選手は着実に力をつける一方、石田選手は夏前に競技から離れた時期もあったとお聞きしました。

石田 チームメートに話すことはなかったんですけど、本来ならどんなに辛くても3年生として、箱根では役割を果たさなければと思っていたのですが、自分のなかで限界に感じてしまったんです。なので、今年はみんなに任せようと。

――梅崎選手は、石田選手が競技から一時期離れると聞いた時は?

梅崎 突然、知った感じだったので、そこまで苦しんでいたのかと。ただ、必ず帰ってくると思うので、その時はまずはゆっくりしてほしいと思いました。

石田 チームメートに話さないではなく、話すことができなかった。みんな必死にやっているのに、自分のそうした気持ちを言うことはできませんでした。

――気持ちの整理がついて、夏の終わりごろにチームに合流した時はスッキリしていましたか。

石田 いや、そうでもないですね。どんな顔をして戻ればいいんだろうという葛藤はありました。毎日、気持ちが変化していましたし、戻る前に(酒井俊幸)監督と何度か話しながら、自分で戻ってもいけるかなと思える段階で、ようやく戻った感じだったので。

――昨季の駅伝シーズンは浮き沈みが激しく、特に全日本大学駅伝は14位と酒井監督が指導して以降では2度目のシード落ち。非常にチーム状態が悪かったと思いますが、箱根駅伝では総合4位と復調。その時期はどのように箱根に向けて機運を上げたのでしょうか。

梅崎 チーム全体で信頼関係が築けていなくて、生活面でも甘くなっていった部分がありました。そういうのはレース後半で粘りきれないとか、実際にレースに出たりしていたと思います。

――酒井監督は常々、競技でよい成績を残すためにきちんとした日常生活を送ることの重要性を話していますが、そういう部分って選手としてもわかるものなのですね。

梅崎 やっぱり、わかります。

石田 これぐらいでいいだろう、という部分が目につくものです。自分は走っていない側なのであまり大きなことは言えないのですが、本来なら選手同士でそういう部分を指摘し合うべきところでもそのまま流してしまうような感じです。監督の言葉で言う生活における「絆」がなかった。そこを4年生中心に建て直して、箱根に向かっていった感じです。

――梅崎選手は箱根ではエースが集う2区を任され、区間6位。その後の区間での好走につながる走りでした。

梅崎 ちょうど箱根の1週間前の法大記録会で1万mの自己ベストを出して、調子が上がってきていることが実感できたので、(2区でも)いけるかなと思いました。そこで監督から2区で走ることを伝えられました。

――最後の戸塚の壁(約3km続く上り基調のコース)を含めて2区はどうでしたか?

梅崎 最後以外でもきつい箇所は多かったですけど、チームのために頑張りたいという一心で走りきりました。自分の走りがチームの総合順位にも大きく影響する自覚はありましたので。

――石田選手は梅崎選手の2区の走りをどのように捉えていましたか。

石田 自分は小林(亮太、3区区間6位)の給水のために移動しながら見たのですが、小林に給水する時もそうだったんですが、ふたりの走りを間近で見て、普通に感動したのではなく、涙が出るくらい感動しました。自分が長い期間、チームから離れていた時に、どれだけ頑張ってチームを支えていたのかも実感できましたし、そのふたりの走りを見たことで、今、最終学年こそ頑張ってみようと思わせてくれました。

梅崎 石田がそう思ってくれたのは、本当にうれしかったですね。走り終わったあとに石田から今言ったようなLINEももらって、走りきってよかったと。

【「一緒に笑って終わりたい」】

――梅崎選手が今年度の主将になるというのは、チーム内では何となく既定路線だったのでしょうか。副将含めた役職は酒井監督が決めたとのことですが。

石田 いや、自分の場合は、「お、梅崎が主将なんだ」という印象でした(笑)。

梅崎 監督からは、自分はあまり喋るのが苦手なタイプなので、将来のことを考えて、その部分が少しずつでもできように、主将をやってみないかと。

石田 監督の話では、梅崎がひとりで全部の責任を負うというのではなく、4年生全体で支えながら、梅崎には走りで引っ張ってもらい、日常生活などはみんなでフォローしていくということだったので、納得しました。

梅崎 自分としては、「強いチームをつくりたい」とみんなに伝えましたが、副主将の小林、吉田(周)、寮長の北村(勇貴)、副寮長の石田がいるので、自分が苦手な部分を周りで分担する狙いが監督にはあったと思うので、すごくやりやすい状況です。

――関東インカレ・ハーフでは3年連続トップスリーに入りました。なかなかできることではないと思います。

梅崎 でも、トラックに比べてレベルがそこまで高いわけではないので。ただ、過去2年、表彰台に上っていたので、そこは目指していました。

――石田選手は最終学年、どのようなシーズンにしたいですか。

石田 一番は、悔いなく終わりたいです。ここまでの3年間、結果が出てないに等しい日々だったので、自分を大切にしながら取り組み、あとはようやくチームと一緒に笑って終わりたいという気持ちが強くなったので、同級生、酒井監督、(酒井)瑞穂コーチ、大西(智也)コーチに信頼されるような走りをしたいと思います。

 トラックのほうがやり残したことは多いですし、高校時代から止まった時間を取り戻したいです。駅伝はシーズンにならないとわからない部分もありますが、チームとして大きな目標なので、一緒に向かっていきたいと思います。

――そういう意味では、関東インカレ1万mで4年ぶりの自己ベストは大きかった。

石田 本当に何年ぶりだろう、やりきれたのは、という感じでした。

梅崎 やっぱり強いなと思いました。初めての関東インカレで結果を残せるのは、精神面が強い証拠ですから。

――梅崎選手は、個人的な最終学年の目標は?

梅崎 駅伝シーズンは区間賞が目標です。チームとしては、箱根の優勝、優勝争いです。

――どちらでしょう?

石田 優勝です。

――今年は6月の全日本大学駅伝の選考会もありますが、今季、お互いに望むことをお願いします。

梅崎 石田はやはり頼もしい存在なので、チームを引っ張っていってほしいです。また、みんなで切磋琢磨して強いチームにできればと思います。

石田 梅崎は地道に大学時代を通じて駆け上がってきたので、そのまま自分の軸を崩さずに走ってほしい。主将として、というプレッシャーをかけるつもりはなく、とにかく出しきってほしい。自分としてはそんな梅崎と笑って終われればと思います。

【Profile】
梅崎蓮(うめざき・れん)/2002年8月14日生まれ、愛媛県出身。城北中→宇和島東高(愛媛)―東洋大4年。中学時代はソフトテニス部に所属。高校時代から本格的に陸上に取り組み、全国レベルで頭角を表し、2年時に出場した沖縄インターハイ5000mでは14位(3年時は中止)、3年時の全国高校駅伝では1区11位の戦績を残した。大学1年目は全日本大学駅伝で5区区間4位、箱根駅伝では7区区間11位。以降、学年の中心選手として活躍し、3年連続の出走となった前回の箱根駅伝ではエース区間の2区を任され、区間6位の走りで8人抜きを果たし、チームの総合4位に貢献した。今年度は主将に任命され、関東インカレ1部では2年時から3年連続ハーフマラソンの表彰台に上った。

石田洸介(いしだ・こうすけ)/2002年8月21日生まれ、福岡県出身。浅川中(福岡)―東京農大二高(群馬)―東洋大4年。3000mで中学新記録をマークするなど、中学時代から全国トップレベルのランナーとして活躍。高校入学後は1、2年時は苦しんだが、3年時には5000mの高校記録を16年ぶりに更新した。大学1年目は出雲駅伝5区、全日本大学駅伝4区で連続区間賞を獲得。箱根駅伝は2年時で初出走を果たすも、2区19位に。3年時は一時競技から距離を置く時期もあり、三大駅伝は不出場となったが、秋以降に本格的に競技に復帰。今年4月の関東インカレ1万mでは28分08秒29と4年ぶりの自己ベストで6位に入った。

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