「美をつむぎだす手を持つ人」美輪明宏から称えられた華道家・假屋崎省吾の“生き甲斐”

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2024年06月08日 16:10  週刊女性PRIME

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華道家・假屋崎省吾(65)撮影/伊藤和幸

 東京メトロ千代田線・湯島駅にほど近い、旧岩崎邸庭園。明治29年に造られた三菱財閥岩崎家の豪邸と庭園は、国の重要文化財にも指定されている。

華道家・假屋崎省吾の2度目のイベント

 どの季節にも丹精された花が咲き、飾られ、管理者も観覧者も往時を偲び今を楽しみ未来を守るため、大事にしている洋館に和館に撞球室は、豪壮で優美な空間が広がる。

 桜は葉桜となった4月半ば、そこで当代きっての人気を誇る華道家、假屋崎省吾の2度目になるイベント「華と音楽で彩る春 in 旧岩崎邸〜『春をいける』假屋崎省吾の世界 The second〜」が開かれた。

 時間が止まっているような、しかし永遠をも感じさせる旧岩崎邸の各所、要所にいけられた花々は、ある部屋では真っ先に人目を惹く華やかさだ。

 別の部屋では、由緒ある建具などを引き立てるよう密やかなたたずまいを見せる。

「なるほど、ここにはこの花がこういけられているべき」と、観る者を納得させる計算がされ尽くされた空間が広がる。

 次の部屋に入ると、その空間はがらりと色彩を変える。先ほどの花と背景への緻密な計算と、きまじめな姿勢だけでなく、華道家の天性の勘、もはや霊感といっていいかもしれない判断、軽やかな遊び心も発揮される。

「ここにこの花を、こんな花器にこんなふうにいけるのか」と驚かされもするのだ。

 假屋崎は、ここ旧岩崎邸だけでなく、京都・二条城といった歴史的建築物の数々、そしてJRA(日本中央競馬会)のイベントでは『ベルサイユのばら』といった人気漫画ともコラボレーションしている。

 どれも互いを引き立て合って、どちらも負けていない。新たな魅力を引き出し合う優美な融合にひたすらうっとりさせられる反面、もはや死闘といっていいかもしれない真剣勝負の緊張感も感じさせられる。

 完成されたいけばなに感嘆し、しかし華道家の決してやまない挑戦をわれらも待ち続ける。

由緒正しきバックボーンから生まれるギャップ

 假屋崎省吾、通称、いや、愛称カーリー。誰もが知る華道家、フラワーアーティストの大家なのに、愛嬌に満ちた雰囲気や口調、親しみを感じさせるキャラとフェミニンな容姿などで、ついカーリーと呼んでしまう。

 これはもはや、敬称でもある。尊敬されつつ、そんな呼び方をされている華道家など2人といない。

 そんなカーリーの、花をいけることのモットーは、空間に調和しながら自己主張もし、違和感のない空間芸術をつくることだとされている。

 確かに観る者は、100年昔からこの花はここにあったとも思わされる。たとえそれが、布で作られたポップな造花であっても。ただし人々のため息とともにこぼれる感嘆は、きれい、ではなく、可愛い、に変わるが。

 広大な庭園にはカーリーの作品ではない、元からそこにある牡丹なども咲き誇っていたが、その先住者たる根を張った花々と、いっときご一緒させてもらいますと運び込まれたカーリーの切り花が、引き立て合い調和し、春の盛りの旧岩崎邸は花園に君臨し、花園に支配されていた。

 別棟に建てられたスイスの山小屋風の、撞球室。カーリーは芝生の庭に集まった人たちを前に、その出入り口の前でいけばなのパフォーマンスを行った。

 かつては、テレビにもよく出ていた。その由緒正しきバックボーンに優雅なたたずまい、なのにぶっちゃけおもしろトークの、ピタリとはまっているような、大きなギャップがあるような、得難いキャラで人気を博したものだが。

「テレビって、言っちゃいけないことや、言いたくても言えないことや、制約がいろいろあって、そこに少し疲れたかもしれない」

人生の師匠とする美輪明宏さんへの思い

 本人は、自らテレビから遠ざかり、今はブログをはじめとしたSNS、そして直接的にファンと触れ合える現場へと軸足を完全に移している。

「今はYouTubeもあるし、インスタのライブなんかもあるし、こっちのほうが自由に発信できて、もっと身近に触れ合える感じだし」

 そう、若い人にとっては、テレビでなくてもカーリーの姿は見えて話も聞ける。若い人はテレビより、スマホの中のカーリーがリアルなのだ。

 そしてテレビをよく見ていた世代としては、あまりにもカーリーの存在感、インパクトが強くて、いまだに先日テレビで見ました、と言ってしまうのだ。

 現実のカーリーを目の当たりにすると、テレビによく出ていたころと見た目にほとんど変化がない、というのもある。金色に染めていた髪は、染料が染みて傷むのを気にして、ナチュラルなシルバーに変えたそうだが。

「今日は季節の花である、藤や小手毬を持ってきました」

 わかりやすい解説と、軽妙な語り口。何よりも、花への愛。華道のそれではないが、人生の師匠という俳優・美輪明宏さんの、カーリーへの言葉が今、観る人たちの目の前に展開されていく。

美をつむぎだす手にあるたおやかさと力強さ

「美をつむぎだす手を持つ人」

 これほどまでにカーリーを称える形容はなく、これほどまでにぴたりと当てはまる表現もない。言われた御方もすごければ、言った御方もすごい。

 英雄は英雄を知る。達人は達人を知る。御両人の美学はまったく同じでなくても、かなりのところが重なるがゆえの、これもまた奇跡のコラボレーションだ。

 カーリーのその手は美を繊細につむぎだしながらも、美に向かってつかみ取ろうとする強い力も秘めている。美輪様の歌や芝居にも、優美と野性が共存しているように。 

 旧岩崎邸の花の中にも、太い木を組み合わせた土台の、いけばなのイメージとは違う、もはや建築物、造形物といっていい作品がある。

「土台だけは、アルバイトも含めて10人くらいで材料を運んでもらい、そのあと1本1本、私が角度や位置を決めて組み立てます」

 いけばなといえばどうしても、たおやかで繊細なものをイメージしてしまうが、こんな力強い土木工事みたいな基礎に造られたものを目の当たりにすると、これもまさにカーリーと圧倒される。

 美をつむぐ手の元には、たくましく力強い腕がある。優しい語り口の土台には、確固たる信念がある。

「旧岩崎邸、ここも重要文化財だから、展示に当たっては制約がいっぱいあります。でも、その中で美を追求していくっていうのがおもしろい」

 お弟子さんたちの作品も飾られていて、それも見事であった。ただ、おこがましいし失礼にもなってしまうかもしれないが、派手な蕾といった風情。咲きあぐねている花弁もある。そこが、可能性や将来性を暗示もする。

 美の追求というよりは、まだ自分の表現したい気持ちが真っ先に来ていて、師匠の軽やかな満開の花々の前では、蕾は固い。

 旧岩崎邸での感想は、SNSでも多く見られる。

《繊細で大胆な色彩感覚、假屋崎さんでなければと思わせる》

《御本人が、花は景色を作るとおっしゃっていた。調和させるのが本当に上手い》

《景色と溶け合いながら、花そのものに物語が感じられる》

 芸術とは、ある程度の美意識が備わった人間でないと理解できないし衝撃も受けないという考えと、芸術とは子どもにでもわかる、ただ美しいものであるという考えと、どちらも正しいのだとカーリーが教えてくれる。

「日本の伝統文化の華道の本質は、そのときそのときの生きている生命体から、新しい美を生み出しながら、作り出す。それは私の天命です」

被災地域の復興や地道に頑張る地方のために

 ぱっと咲いてぱっと散る桜に象徴されるように、日本人は潔さ、儚さを尊ぶ。枯れても散らない花の粘り強さを尊び国花にする国もあり、それは文化の違い、民族性の違いであって、上下や優劣の比較にはならない。

「洋館も素敵だけど、日本間がいいですね、やっぱり。今回も違い棚に、震災から頑張ってらっしゃる富山県の鋳物の器を使いました」

 10年くらい昔に見せていただき、今はもう手放してしまった渋谷の洋館には、清められた和室もあり、そこに御両親の仏壇があったのを思い出す。

「復興を目指しましょうという気持ちで、桜をいけました。ダリアは山形県のもの。ダリアも牡丹も3日くらいで寿命になるのでいけ替えます。子守をするのが大変、生命の守りです」

 重要文化財とのコラボの向こう、隣には、被災地域の復興や地道に頑張る地方の繁栄を願う気持ちが常にあり、カーリーの手がつむぐのは花だけではない。

「バラは、けっこう長持ちします。ジャーマンアイリスなんかも、花びらが肉厚で強い。でも日本の花、和花は、花びらが薄くて儚い。なので、子どものころから、牡丹、菖蒲、朝顔、桜、菊といった和花が好きだった」

芸術家とて人間。お金も大事

 儚さに惹かれ、美を追求し続けながらも、カーリーの生き方はかなりいろんな意味でたくましいのは、美をつむぎ続ける人には不可欠な要素である。

 同じく美しいものが大好きで、確固たる美学に生きた御両親はお金儲けや貯蓄には関心がなく、小さな借家でいいという生き方をされていた。

 そんな親御さんと違い、カーリーは商売熱心でもある。自分のブランドの着物の見立て会でも精力的に各地を回り、オリジナルの製品の開発にも取り組んでいる。

 カーリーの花鋏、花器、ランチョンマットやバッグ、買えばすべてに愛想よくサインしてくれ、笑顔で記念写真も撮ってくれる。ついつい、買い込んでしまう。

 カーリー、とってもうれしそう。いや、本当に自分の心を込めた作品などを売ることも、それで人を喜ばせることも大好きなのだ。

 これは大事なことである。芸術家とて人間。霞を食って生きられるものではないし、なんといっても儲ければ大きな家も手に入り、華やかに装って美食もできる。そうなるとさらにいろいろな美に触れられるし、美を求める道も多岐にわたることにつながるのだ。無料では見られない美、ただでは学べない美というのも、たくさんあるのだ。

 貧乏しても好きなお花だけいけていられたらいいの、という姿勢の人もそれはそれで立派かもしれないが、門下生はあまり集まらず、後進が育たない。さらにいえば、いけられる花の種類も限られてくる。

 かっこいい、憧れる、あんなふうになりたい、あんな暮らしをしたい、といった俗な欲望も持たせなければ、華道に限らずすべての業界は萎んで枯れるだけではないか。

 美輪明宏さんも、あの華やかな容姿と暮らしぶりも憧れの対象となった。そして同類だといち早く見抜いたカーリーには、秀吉の絢爛豪華さと千利休の侘び寂びがある、とおっしゃったそうだ。

 簡素な茶室の一輪の花、金ぴかの茶室の高価な茶器、カーリーはどちらも愛し、どちらも手に入れ、どちらも作品として人を感嘆させる。

母、そして美輪明宏さんからいただいたもの

「若い子が私に会いに来るのは、そうですね、怖いもの見たさもあるんじゃないの」

 そんなふうに、笑いながら自分を評してみせるカーリー。旧岩崎邸において、若いファンも多いのを改めて目の当たりにした。

 そして若い子たちには一定の年齢層から上の方々の区別が厳密につかなくて、美輪様とカーリーが混ざる子もいるのではないか、とも思う。

 仲のいい夫婦が似てくるように、御両人はなんとなく年々似てきているような。

 美輪様がまだ姓を丸山と名乗っていたころ、お母様がシャンソン好きなのもあってファンだったが、カーリーは怖いと感じた。

 そう、怖いもの見たさではなく、ただ怖い。遠い人だと憧れながらも、何か自分といろいろ共通するものも勘づいてしまったカーリー少年は、あまりにも美輪様が魅惑的で自分が激しくのめり込みそうで、いったん自分の中で封印した。

 それがお母様が亡くなったころ、寂しいと思いながら街を歩いていたら、美輪様の舞台があるのを知ってしまう。今だ、と直感した。ここだ、と天啓に打たれた。

 さっそく観に行き、封印を解き、通い詰めて覚えてもらうまでになる。そしてカーリーが本を出したりするようになったとき、推薦文などいただきに出向く。

 そして、あの名言。宝石のような御言葉である。まさに枯れない言葉の花束。いや、唯一無二の、一輪の花か。弟子に心の準備ができれば師匠が現れるというのは、本当だ。美輪様も、待っていてくださったのだ。

 カーリーが真摯な尊敬を捧げたから、美輪様も同じように返してくださったのだろう。

 そして絶対に、お母様の引き合わせだ。

お腹の中が真っ白なパートナーと犬たちに支えられて

「私が美輪様のコンサートを観に行ったときに、美輪様が

『隣にお母様が来てたわよ』と教えてくれるときもありました」

 その美輪様が、20年近く公私ともにカーリーを支えるパートナーを見て、「この人はお腹の中が真っ白ね」とおっしゃったとか。これも、その通りなのだろう。

 かつて猫好きでも知られたカーリーが、いつの間にか犬好きになって、迫力ある大型犬や可愛い小型犬たちに囲まれているのも、犬好きのパートナーの影響だそうだ。愛犬たちの姿はSNSで見られ、犬好きを悶絶させている。

 そんなカーリーは、豪邸を衝動買いするのでも知られているが、これも実は衝動買いではないのかもしれない。家のほうが、買ってもらえるよう待っていたのだ。

「鎌倉の家が1000坪、軽井沢の別荘が1300坪。それでもまだ足りない。

 もっともっと、自分の庭を花でいっぱいにしたい。花まみれにして、古い材料で古民家風の建物や茶室もつくりたい。もっともっと、まだまだ。犬たちを自由に走り回らせるドッグランもつくりたい」

 カーリーの動機や生き方は、実はシンプルでベーシック。好きなものが欲しい、美しいものに囲まれたい。でも、満足度は人それぞれだから、自分の城をいかに美しく居心地よくするかが大切だという。

「先行投資はしなきゃだめ。ケチるのもだめ。お金も循環させなきゃ、血流と同じで滞るのがよくない。あと、断捨離ってのもあるけど、要らないものは捨てて、大事な物はちゃんと取っておかないと。思い出も捨てちゃだめ」

 カーリーは欲望に忠実だが、必ず分け与え、還元しようとする。そして日本人の多くも、震災などに遭った人に寄附をしようとするし、助けようとする。

「花は経済のバロメーターです。豊かな国は、花が人気商品。今の日本は、真っ先に花などの消費が削られている」

 カーリーを見ていると、いや、見習えば日本は大丈夫、盛り返せるという気もしてくる。花の市場は不況でも、カーリーのイベントが活況を呈しているのだからまだ大丈夫とも思える。

楽天家すぎた両親たちに節約を説いた少年時代

 カーリーの幼少期、少年期、世に出る前の青年期の物語、それらの御本人が語る逸話の数々は、他人が聞く限りでは、良くも悪くも波瀾万丈ではない。

 苦難に満ちたド根性物語などでもなく、本人にしかわからないさまざまな葛藤や苦悩はあったに違いないとしても、愛に満ちた親御さんに守られながら過ごした日々は、他人からはまるで古きよき時代のほのぼのとした思い出話だ。

 ちなみに、カーリーといえばスリムなイメージが定着しているが、子どものころは肥満児といっていい体型だった時期もあるという。40代のころには糖尿病を患うも、のちに、食事制限などで改善した。

 食事制限といえば厳しくつらいものと響くが、食事改善といえば健康的だし、まずいものを食べさせられる苦闘ではなくなる。実際にカーリーは、そこから健康的な身体に戻せただけでなく、美味な味をも追求することになり、料理上手としても名を馳せることとなるのだ。まさに、禍を転じて福となす。苦悩の種も、良き土壌と手入れで美麗な花となって咲き、美としてつむがれ人々を感嘆させる日も来るということだ。

 まだ何者でもなかった、やや風変わりではあっても普通の少年だったころ。何者かになりたくてなれず、勉学や友達関係、仕事などで挫折も経験しながら足掻いた時代。それらは多くの人に、自分と同じだなと共感を呼ぶはずだ。

 カーリーが華道の道を模索し、突き進み、認められるようになっていき、カーリーへと成長し進化していく時期は、「やっぱり我々とは違う」「まさに一気に花が開いたようだ」と感嘆させられるが。

 そこで「あっ、やっぱり幼少期からカーリーはカーリーだった」とも気づかされるのだ。

 役場勤めの、まじめで穏やかなお父様。専業主婦で、陽気で粋なお母様。

 ともに多趣味で、まさに美しいものが大好き、美味しいものが生き甲斐。普通に遊園地やレストランなどにも連れて行ってくれたけれど、神社仏閣巡り、博物館や美術館で、大いに美しいものに触れさせてもらえた。

 学校教育だけでなく、情緒を育む文化的な娯楽には、金を惜しまなかった。

 ただ御両親は貯蓄、不動産などにはあまり興味がなく、棟割長屋と呼ばれた二間ほどの集合住宅に住み、そこで満足していた。

 とことんお金は楽しいことに使い、家族のために使うものだったのだ。カーリー少年も、そこのところはわかっていた。

 家は小さくても庭があり、そこに園芸が好きな親は季節の花を咲かせていた。カーリーもチューリップの球根などを植えて育てる喜びも知り、母に託され庭に咲いたバラを学校に持って行くと、バラ一輪で教室が華やぐのも目の当たりにする。繊細で、情緒豊かな少年の成長を追う「カーリー物語」の始まりである。

 とはいえ、ここで「栴檀は双葉より芳し」と皆をしみじみさせるのが、高校生のカーリーが御両親を説教したというくだりだ。

「できるだけ無駄遣いをやめ、家を買うための貯金をしましょう」

 御両親は納得して息子に従い、煙草を減らしたりして、ちゃんと建売住宅を買うのだから立派だし、息子も立派だ。

「生き甲斐」は一つではなくいくつも持つこと

 お父様が亡くなった後、すでに花の道で評価を得るようになっていたカーリーは、お母様の孝行もしたくて高名な建築家を頼んで洒落た家を建てるが、お母様は引っ越しの前日に亡くなってしまった。

 ここからカーリーの華道と家への夢は邁進というより驀進という言葉通りになっていくのだが、御両親が不世出の華道家、假屋崎省吾を丹精込めて育て上げたのは間違いないとうれしくもなり、悲しくもなる。

 悲しくなるというのは、ここまで大家となった息子の姿を見られなかったことと、カーリーの親孝行と美意識と将来への理想、希望、あらゆるものが詰まった家に住めなかったということだが。

 ちゃんと立派になりつつある姿は見ているし、あれほどまでに息子に丹精込めたという自負があれば、息子が大輪の花として開くのは予想がつき、命が散る前にきっと満開の息子の姿を見て香しき未来の匂いも嗅いだことだろう。

 カーリーの著書『華麗なる花ことば』(KADOKAWA)は、あらゆる分野への研ぎ澄まされていながら慈愛に満ちた美意識がちりばめられ、まさにカーリーの花のように瑞々しくいけられているが、特にこの箇所が人気らしい。

《小さいころは、ピアノと園芸だけが生き甲斐でした。

 ピアノは3年ほど続けていました。大学受験でピアニストへの夢をあきらめて以来、やめていました。その後もピアノがあったら弾いていたいと思いながら、精神的な余裕がなかったんですね。

 でも、50歳になって将来のことを考えたときに、自分の中の柱のひとつとしてまた始めることにしました。これは自分の愉しみのためとして。人前では恥ずかしくて、とても演奏なんかできません》

「『生き甲斐』は、一つではだめなんです。たった一つしかなかったら、それがなくなったときに何も残らなくなってしまうでしょう。

『生き甲斐』とは生きている甲斐ですから。そういう柱が、何本も自然と現れてくるような人生がいいですね」 

 好きなものには邁進、突進し、耽溺するところと、俯瞰しつつ実生活とのバランスも上手く保って、偉大な芸術家でありつつ極めて常識人なところがよく表れている。

 自分に厳しくありながら、人生を楽しむ余裕も豊富。大きなお家がたくさん欲しいと笑いながら次々と叶え、しかし恐ろしいまでの花への思いはどんな広大な庭をもってしても足りないと、こちらも微笑みつつ空恐ろしくもなる。

 大欲は無欲にも通じるとはこれかと、カーリーの穏やかな笑みがなんだか怖い。

 あの旧岩崎邸の会場では、実際に音楽の演奏会が開かれ、カーリーはピアノには触っていなくても、花の中にも背景にも確かにカーリーの奏でるピアノ曲が流れていた。

 そして繊細な花を支える太い柱を思い返し、あの花がカーリーなのか、支える柱がカーリーなのか、とも考えてしまうのだった。

 さて旧岩崎邸の特設会場で、カーリーの考案した切りやすく切れ味鋭い花鋏を買った。自分が不器用に花を切って、あのような美をつむぎだせるとはとうてい思えないが、この鋏を使うたびにカーリーを思い出すので、彼の美へのこだわりや名言は復唱でき、美の種を撒いていただけたのは実感できる。

<取材・文/岩井志麻子>

いわい・しまこ 1964年、岡山県生まれ。少女小説家としてデビュー後、『ぼっけえ、きょうてえ』で'99年に日本ホラー小説大賞、翌年には山本周五郎賞を受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。著書に『現代百物語』シリーズなど。最新刊に『おんびんたれの禍夢』(角川ホラー文庫)がある。

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  • 以前、岩崎邸で拝見したことがある。まあ、実家の庭が草ボーボーになってしまう自分には真似できないなぁ。なにげに重労働だよね。
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